「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

恋に落ちなくて Long Good-bye 2024・08・30

2024-08-30 04:56:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

  引用はじめ 。

 「 〈 そういうものだ 〉と〈 それがどうした 〉と
  いう言葉は人生における( とくに中年以後の人
  生における )二大キー・ワードである 。 経験
  的に言って 、このふたつの言葉さえ頭にしっか
  り刻みこんでおけば 、たいていの人生の局面は
  大過なくやりすごせてしまう 。
   たとえば せっかく駅のフォームの階段を駆け ( platform だから フォームなのかな 。)
  のぼったのに 、間一髪で電車のドアが閉まって( 慣用的には プラットホームとか駅のホームとか 。 )
  しまったりすると 、ものすごく腹が立つもので
  あるが 、このようなときは〈 そういうものだ
  と思えばいい 。つまり電車のドアというのはた
  いてい目の前で閉まっちゃうものだと認識し 、
  納得すればいいのである 。そう思えばべつに腹
  も立たない 。世界がその原則に従って然るべき
  方向に流れているだけの話である 。
   しかしその電車に乗り遅れたおかげで待ち合わ
  せの時間に遅れることだってある 。そういう場
  合には〈 それがどうした 〉と自分に向かって
  言いきかせる 。時間なんてたかが便宜的な区分
  じゃないか 、待ち合わせに二十分やそこら遅れ
  たって 、そんなのは米ソの核軍拡競争や神の死
  に比べたらなんていうことないじゃないか 、
  と思う 。これが〈 それがどうした 〉の精神で
  ある 。
   ただしこういう考え方に基づいて生きていると 、
  気楽に生きていくことはできるけれど 、人間的
  にはまず向上しない 。社会的責任感やリーダー
  シップなんかとはまず縁がなくなってしまう 。
  そのうちに核戦争が起こっても 、神が死んでも 、
  〈 そういうものだ 〉〈 それがどうした 〉と
  考えてしまうようになって ―― 僕にもいささ
  かそういう傾向があるけれど ―― それはそれ
  で困ったことになってしまう 。物事にはほど
  ほどというのが必要である 。」

  引用おわり 。

  小文のタイトルは「 恋に落ちなくて 」。

  このタイトルが付いているのは 、はじめの方に 、

 以下の文章があるからです 。

 「 女性に関する好みというのは 、やはり僕にも
  ある 。」

 「 ここで僕の言う好みというのは 、外見とか雰
  囲気とか 、そういうもののことである 。つま
  りその女性と何かの拍子に出会って『 あ 、こ
  の人は素敵だな 、感じが良いな 、僕の好みだ
  な 』と思ったりすることである 。そういうの
  はそれほどしょっちゅうあることではないけれ
  ど 、やはり年に一度くらいはあるみたいだ 。
  しかしそれで僕がその相手と灼熱の恋にのめり
  こむかというと 、そんなことはなくて 、とく
  になんということもなくそのまま別れてしまう 。」

 「 僕の好みの外見の女性はまず百パーセント近く
  内面的には ―― というかつまり人間的には ――
  僕の好みではないのである 。だから最初は電光
  に打たれるが如く胸をかきたてられても 、しば
  らく相手と話しているうちに 『 ま 、いいや 』
  という感じでその電光がしゅるしゅると終息し
  てしまい 、結局僕は恋に落ちることなく終わっ
  てしまう 。こういう人生は不幸といえば不幸だ
  し 、平和といえば平和である 。」

  ( ´_ゝ`)

  作家の考察は 、さらに続きます 。

 「 自分の好みの外見の女性に自分の好みの人格が
  備わっていないというのは 、見ていてもなかな
  か切ないものである 。見ているだけで切ないん
  だから 、深く関わればもっと切ないんだろうと
  思う 。そういう女性を見ているときの心境は 
  ―― かなり卑近なたとえだけれど ―― 洋服屋
  でものすごく気に入った服をみつけたのにサイズ
  がまったく合わないというときの心境によく似て
  いる 。あきらめるしかないということはわかっ
  ているのだけれど 、心情的になんとなくあきら
  めきれないのである 。」

 「 僕が僕の目で捉えている世界と 、客観的に『 世
  界 』として実在する世界とでは 、その成りたち
  方がまったく違うのである 。つまり僕がいくら彼
  女の外見と彼女の人格が相反していると感じても 、
  その相反状態が一個の人間として存在し機能して
  いる以上 、僕にはそれに対して異議を唱える権利
  なんてまったくないのである 。それに彼女の目か
  ら見た世界にあっては僕だって相当歪んだ姿をと
  っているかもしれないのだ 。
   そういうものなのだ 。」

  以上 。言葉少なな筆者には 、とても務まらない職業だな 、

 作家というのは ・・・ 。イグ・ノーベル文学賞あげたい 。

  夏の終わりの 、雨降りの朝 。

  雷鳴しきり 。

 

 

 

コメント
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