今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている
本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。
引用はじめ 。
「 甲斐はその日の午後七時ごろ 、西丸下にある
久世大和守(広之)の屋敷へゆき 、八十島主計
(やそしまかずえ)となのって 、大和守に面会
を求めた 。」
( ´_ゝ`)
「 大和守は小姓を一人伴(つ)れただけで出て来た 。
髪が白くなっただけで 、あのころと殆んど風貌
が変らず 、六十一歳という年よりはるかに若く
みえた 。
大和守が設けの座につくと 、亀谷清左衛門が
披露しようとした 。大和守はそれを遮り 、よ
しわかっていると云って 、甲斐を見た 。
『 久びさの対面だな 、原田 』
『 おそれながら 』と甲斐が云った 、『 お取
次まで申上げましたとおり 、わたしは八十島
主計と申す浪人者でございます 』
大和守は微笑した 。すると 、眼尻と唇の脇
に皺がより 、それが年だけの老いを証明する
かのようにみえた 。
『 そうであった 』と大和守は云った 、『 う
ん 、いつぞやどこかで会ったことがある 、い
やたしかに 、たびたび会ったことがあると思
うが 、今日はまたなんの用があってまいった
のか 』
『 いささか珍しい物が手にはいりましたので 、
お笑いぐさに献上かたがた 、世間ばなしなど
お耳にいれたいと存じまして 』
『 世間ばなし 』
『 御身分高き方がたには思いもよらぬような 、
桁外れな話しが世間にはいろいろとございます 、
お骨休めにもなればと存じまして 、二三御披
露つかまつりたいのですが 』
『 よかろう 、が 、まず土産を見ようかな 』」
( ´_ゝ`)
「『 浪人の身で 』と大和守は云った 、『 かよ
うに高価なものが自由になるとは 、よほど内
福のうえによき手蔓があることだろうな 』
『 おそれいります 、内福どころか家政は火
の車 、いまにも所帯じまいをしかねないあり
さまでございます 』
『 所帯じまい 、―― 』
『 もちろん御存じはございますまい 、これ
は下世話の申す言葉で 、家計がゆき詰まり家
主に追いたてられまして 、一家親子がちりぢ
りに駆け落ち夜逃げなどをすることでござい
ます 』
『 しかも 、かようなものを土産にくれると
いうのか 』
『 おそれながら大和守さまは 、当代十善人
のお一人と世評にかくれもございません 』と
甲斐は云った 、『 御威勢なみならぬ厩橋さ
まはじめ 、閣老諸侯多きなかにも 、この美
酒を差上げ 、味と香を篤と味わって頂きたい
のは 、大和守さまごいちにんでございます 』
甲斐は両手を膝に置いて 、静かに大和守の
眼をみつめた 。大和守広之はその眼を見返し
た 。甲斐の眼は静かだったが 、大和守の視
線には 、相手の心を読み取ろうとするような 、
一種の力がこもっていた 。
『 うん 』とやがて大和守は云った 、『 この
酒の味と香りは珍重だ 、これを味わいながら
話しを聞くとしようか 』」
( ´_ゝ`)
「『 まず御覧を願いたいものがございます 』と
会釈して 、甲斐はふところから 、奉書に包ん
だ書状を取出し 、小姓に向かって 、『 これを 、
御前へ ―― 』と云った 。
『 それには及ばぬ 、そのまま寄れ 』と大和守
が云った 。
甲斐は膝ですり寄って 、その書状を差出したが
大和守が受取るとすぐに 、元の座までさがった 。
『 これはどういうものだ 』
『 まず御披見願います 』
大和守は杯を置いて 、包んである奉書紙をひらき 、
中から四つにたたんだ書状を出した 。そうして 、
燭台のほうへ向けて 、書状を眼からやや遠ざけな
がら読んだ 。甲斐の眼はするどくなり 、大和守の
表情の 、どんな変化もみのがすまいとするように 、
じっと眸子(ひとみ)を凝らしていた 。―― 大和守
の顔はゆっくりと硬ばってゆき 、下唇がさがった 。
書状を見る眼は動かなくなり 、その表情には激し
い驚きと 、怯えたような色があらわれた 。」
( ´_ゝ`)
「『 ではうかがいます 、その証文はどう
いう意味でございましょうか 』甲斐は
杯を置いて 、静かに大和守を見まもっ
た 、『 十年以前 、御側衆であられた
某侯が 、ひそかに同じ趣意の忠告を与
えられました 。侯は三十万石分与とい
う密約のあることを知って忠告をなさ
れた 、もちろんその証文の他のお一人
は 、天下に並ぶものなき御威勢のある
方です 、しかし 、―― いかに御威勢
並ぶものなき方でも 、六十万石を分割
し 、御自分の縁辺に当る者に三十万石
を分与する 、などということができる
ものでしょうか 』
大和守は屹と歯を噛みしめた 。すると
両の頬の筋肉が動き 、唇が白くなった 。」
引用おわり 。
この章には 「 楔 ( くさび ) 」という小見出しが
ついている 。巻き返しの一手になるか 、どうか 。
物語の切所 ( せっしょ ) 。
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