今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私は芸術家に人格者を求めるのは間違いだと思っている。芸術家と人格者は両立しない。
島崎藤村を修身の権化のように思っている人があるが、彼は実の姪と通じて子を生ませている。太宰治は芥川賞を下さい、拝みます、頼みます、一生恩にきますと半狂乱になって八方へ手紙を書いている。山田五十鈴は何人の男をもったか知れない。けれども文士として女優としてすぐれていれば、そんなこと客はとがめない。いくら人格者でも芸能人としてダメなら、客は洟もひっかけない。
テレビが役者にモラルを求め、罰として退場させるのは笑止である。十年前ポルノがはじめてあらわれたとき、映画界(またテレビ界)はいきりたって怒ること、勝新太郎に怒るがごとくだった。一度でもポルノに出た女優は使わなかった。
それが今は使っている。ばかりか自分たちのドラマにも、必然性のないベッドシーンを挿入している。もしそれをとがめられたら、ベッドシーンのどこが悪いと息まく。それなら何年もたたないうちに、マリファナのどこが悪いと息まくだろう。
怒るなら一貫してずーっと怒ってくれ。偽善なら偽善でいい。末ながく同じ偽善者であってくれ。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
「私は芸術家に人格者を求めるのは間違いだと思っている。芸術家と人格者は両立しない。
島崎藤村を修身の権化のように思っている人があるが、彼は実の姪と通じて子を生ませている。太宰治は芥川賞を下さい、拝みます、頼みます、一生恩にきますと半狂乱になって八方へ手紙を書いている。山田五十鈴は何人の男をもったか知れない。けれども文士として女優としてすぐれていれば、そんなこと客はとがめない。いくら人格者でも芸能人としてダメなら、客は洟もひっかけない。
テレビが役者にモラルを求め、罰として退場させるのは笑止である。十年前ポルノがはじめてあらわれたとき、映画界(またテレビ界)はいきりたって怒ること、勝新太郎に怒るがごとくだった。一度でもポルノに出た女優は使わなかった。
それが今は使っている。ばかりか自分たちのドラマにも、必然性のないベッドシーンを挿入している。もしそれをとがめられたら、ベッドシーンのどこが悪いと息まく。それなら何年もたたないうちに、マリファナのどこが悪いと息まくだろう。
怒るなら一貫してずーっと怒ってくれ。偽善なら偽善でいい。末ながく同じ偽善者であってくれ。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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