今日の「お気に入り」は、新潮社刊「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」から次の二つの「ひとこと」です。
その1「戦争には勝敗はあるが、正邪はない」
山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは、原典である山本夏彦著「その時がきた」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。
「戦争に勝敗はあるが、正邪はない。戦勝国と敗戦国はあるが、その間に正義がわりこむ余地はない。
古往今来勝者は敗者を存分にした。殺すか奴隷にした。敗けた国は臥薪嘗胆して今度は反対に勝つと、同じ復讎を復讎した。こうして何千年来戦争はあった。これからもある。
清盛は頼朝を助けたばっかりに、あとで殺しておけばよかったとくやしがったが及ばなかった。頼朝は義仲を殺した。義経を殺した。
戦さに始めて正義をもちこんだのはアメリカ人である。アメリカ人は報復を報復でないように見せたがった。東京裁判なんて前代未聞の偽善である。」
(山本夏彦著「その時がきた」所収の「昔は喧嘩は両成敗だった」と題するコラムです。)
その2「発端を打消すことはできない」
この「ひとこと」についての「コラムの抜粋」は次のとおりです。
「大東亜戦争は侵略戦争でないというのはちとムリである。せまい日本にゃ住みあきたという歌が昔からある。日本人は広い海外に進出したいとかねがね願っていた。はじめ北米南米に移住したが、排日で移民はできなくなったから満州へとめざすようになった。五族協和というのは美名で、支配下におきたかったのである。
めでたく満州国建国にこぎつけたが、建国一周年のニュース映画では、満州国皇帝溥儀の面前で、まず大日本帝国万歳次に天皇陛下万歳、最後に満州帝国万歳をとなえていた。
そのあとハルノートをつきつけられてやむなく勝算おぼつかない日米戦に突入した。それによって欧米の旧植民地が皆々独立したのは日本のおかげだが、その発端は侵略である。あれはうそから出たまことみたいな独立で、うそから出ようと独立は独立だから感謝している国はあろうが、だからといって発端を打消すことはできない。」
(山本夏彦著「その時がきた」所収の「ひとくち話 戦争まで」と題するコラムです。)
その1「戦争には勝敗はあるが、正邪はない」
山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは、原典である山本夏彦著「その時がきた」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。
「戦争に勝敗はあるが、正邪はない。戦勝国と敗戦国はあるが、その間に正義がわりこむ余地はない。
古往今来勝者は敗者を存分にした。殺すか奴隷にした。敗けた国は臥薪嘗胆して今度は反対に勝つと、同じ復讎を復讎した。こうして何千年来戦争はあった。これからもある。
清盛は頼朝を助けたばっかりに、あとで殺しておけばよかったとくやしがったが及ばなかった。頼朝は義仲を殺した。義経を殺した。
戦さに始めて正義をもちこんだのはアメリカ人である。アメリカ人は報復を報復でないように見せたがった。東京裁判なんて前代未聞の偽善である。」
(山本夏彦著「その時がきた」所収の「昔は喧嘩は両成敗だった」と題するコラムです。)
その2「発端を打消すことはできない」
この「ひとこと」についての「コラムの抜粋」は次のとおりです。
「大東亜戦争は侵略戦争でないというのはちとムリである。せまい日本にゃ住みあきたという歌が昔からある。日本人は広い海外に進出したいとかねがね願っていた。はじめ北米南米に移住したが、排日で移民はできなくなったから満州へとめざすようになった。五族協和というのは美名で、支配下におきたかったのである。
めでたく満州国建国にこぎつけたが、建国一周年のニュース映画では、満州国皇帝溥儀の面前で、まず大日本帝国万歳次に天皇陛下万歳、最後に満州帝国万歳をとなえていた。
そのあとハルノートをつきつけられてやむなく勝算おぼつかない日米戦に突入した。それによって欧米の旧植民地が皆々独立したのは日本のおかげだが、その発端は侵略である。あれはうそから出たまことみたいな独立で、うそから出ようと独立は独立だから感謝している国はあろうが、だからといって発端を打消すことはできない。」
(山本夏彦著「その時がきた」所収の「ひとくち話 戦争まで」と題するコラムです。)