今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「今人のうちに友人が得がたければ、古人にそれを求めるよりほかはない。私は早く今人に望みを絶った。二葉亭(四迷)に親炙すれば、勢いその友人とも昵懇になる。作品、日記、随筆に作者の友人知己が登場するから、芋づる式にそれと知りあいになること、死せる人も生ある人に変りはない。こうして私は、当時の言語、風俗、人情、物価に通じ、明治初年から末年までを、彼らと共に呼吸したのである。」
「私が兆民・中江篤介を知ったのは、幸徳秋水の紹介による。秋水は斎藤緑雨の、緑雨は内田魯庵の、魯庵は二葉亭四迷の紹介で知った。いずれも故人である。私が知ったとき、すでにこの世の人ではなかった。すなわち、私は死んだ人の紹介で、死んだ人を知ったのである。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
因みに「徒然草」の第十三段は、「見ぬ世の人を友とする」喜びを次のように記しています。
「ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は、文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。」と。
「今人のうちに友人が得がたければ、古人にそれを求めるよりほかはない。私は早く今人に望みを絶った。二葉亭(四迷)に親炙すれば、勢いその友人とも昵懇になる。作品、日記、随筆に作者の友人知己が登場するから、芋づる式にそれと知りあいになること、死せる人も生ある人に変りはない。こうして私は、当時の言語、風俗、人情、物価に通じ、明治初年から末年までを、彼らと共に呼吸したのである。」
「私が兆民・中江篤介を知ったのは、幸徳秋水の紹介による。秋水は斎藤緑雨の、緑雨は内田魯庵の、魯庵は二葉亭四迷の紹介で知った。いずれも故人である。私が知ったとき、すでにこの世の人ではなかった。すなわち、私は死んだ人の紹介で、死んだ人を知ったのである。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
因みに「徒然草」の第十三段は、「見ぬ世の人を友とする」喜びを次のように記しています。
「ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は、文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。」と。