高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、47年の歴史をもつ共同購入の会です。

40年前、なにを思い、なにをしていましたか その4

2017-01-31 09:00:00 | 生産者からのメッセージ
今年は、土といのちの前身「高知土と生命を守る会」発足から40年。
現在、40周年の記念本を作成中です。
“土”と“いのち”を大切にする生産者たちの思いを伝え、
若い人たちの未来につながるような本にしたいと思ってます。
記念誌にはいろんな人が登場します。
乞うご期待!!   (管理人)

梼原町 谷川農園の谷川徹です。

今月のお題が「40年前、なにを思い、なにをしていましたか」とのことで・・・

谷川農園メンバーは当時小学生でした。
何を思い…あまり何も考えずですね。で、何をしていたか・・・
小学校に滞在している以外の時間には
野を駆け回り遊ぶこと・図書館へ通って借りた本を読むことがだいたい半分ずつ。
合間に学校の勉強(宿題)を、という小学生時代を過ごしておりました。
中学校の「お受験」などという概念もなく今から思えば、ずいぶんのんびりしておりました。
「土といのち」の生産者の中では、まだまだ若手ということになるのでしょうね(笑)

香美市 わたなべ農園の渡邉志津江です。

40年前か・・。
当時私は小学6年生12歳、徳島県阿南市橘町という小さな港町に住んでいました。

父の転勤で四国に来て8年目。
山を切り崩して造成した会社の団地に住み、20分ほど歩いて小学校に通っていました。
6棟あった団地の裏山でターザンごっこや缶蹴り、空き地で石蹴り、縄跳び、ゴム跳び、鬼ごっこと
縦割りの子ども集団の中でおもいっきり走り回って遊んでいました。
裏山からの崖道は小学生用のアドベンチャーロードで、
通学の行き帰りはその裏道を通るのが日常でした。

今でも木漏れ日がキラキラしている中、妹や友だちと連れ立って、
小川を飛び越しながら崖道をくだっていった風景が目に浮かびます。
楽しく本当にいい子ども時代だったなと懐かしく思います。
あの小川は実際はちょろちょろ流れている山のわき水だったと思いますが、
山道途中にあったキリスト教の教会のたたずまいとともに懐かしい心の風景です。
田舎で子育てしたかった理由はこんな子ども時代を過ごしたことにあるようです。

今年もどうぞ宜敷くお願い致します。

※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知らせ』2017年2月号より転載しました。
コメント
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