今日の大阪は雲ひとつない青空で比較的暖かな日でした。
2,3日前の極寒が嘘のよう。
しかし以前も言ったと思いますが、ワタシは曇天の冬空が何故か好きなんです。
夏生まれの夏男なのに。
どんよりとした冬空のもと、わざと一人ぼっちになるのが何とも好きで。
普段は友達とワイワイしていないと気がすまなかったくせに。
多分いつもワヤワヤしてる分、すっごい孤独感を味わいたい病がたまに発生していたんでしょうね。
そんなときを思い出す時にワタシが思い浮かぶアルバムがなぜかコレなんですよね。
ユタ・ヒップの『Jutta Hipp At The Hickory House Vol.1』。
- Take Me In Your Arms
- Dear Old Stockholm
- Billie’s Bounce
- I’ll Remember April
- Lady Bird
- Mad About The Boy
- Ain’t Misbehavin’
- These Foolish Things
- Jeepers Creepers
- The Moon Was Yellow
Jutta Hipp (p)
Peter Ind (b)
Ed Thigpen (ds)
Peter Ind (b)
Ed Thigpen (ds)
栄光のBLUENOTEの1500番台である1515番。
Vol.2が1516番で連番です。
1500番台で唯一の女性リーダー作です。
ヒップはドイツ出身で、ナチス政権下、第2次世界大戦中の日本と同様ジャズは「退廃音楽」と位置づけられていた中で9歳から始めたピアノでジャズを演奏していました。
戦後荒廃したドイツでそれなりの知名度を得た彼女をアメリカのジャズ評論家レナード・フェザーの目に止まり、BLUENOTE総帥のアルフレッド・ライオンにつながるのです。
幸運なことに彼女は当時ステーキハウスながらジャズ生演奏を売りにしていた「ヒッコリー・ハウス」で専属ピアニストとしての職を手に入れます。
専属契約は半年と長期に渡るもので、はじめはなかなかアメリカ人にうまく発音してもらえなかった自分の名前もすっかり馴染んでいったそうです。
そして1956年4月5日、「ヒッコリー・ハウス」でライブ・レコーディングを行います。
それが本作及びVol.2です。
リリースされた曲順も、ライブの時の曲順。
予めライオンと曲順まで決めていたのでしょう。
アメリカで知名度がない彼女のサポートにはレニー・トリスターノのサポートをしていたピーター・インドとオスカー・ピーターソン・トリオのレギュラー・メンバーだったエド・シグペン。
ライオンがどれだけ彼女を推したのか分かります。
イントロダクションはフェザーがつとめ、彼女を紹介するところから本作は始まります。
その後にはか細くちょっと自信なさげな彼女の自己紹介があり1曲目へと移ります。
その1曲目から、あの自信なさげな声だったはずの彼女のピアノは凛とした音を奏でるのです。
この流れがワタシは大好きで何度もリピートしてしまいます。
派手さは微塵もなく、ただただピアノと正面に向き合う。
的確な指運び。
観客に媚びる感じは全く無く、このライブ、このレコーディングに真面目に取り組む姿勢。
インドとシグペンは実力通りに彼女をサポートしています。
素晴らしいピアノ・トリオのライブ盤が誕生するのです。
恐らくライオンら首脳陣としては今後の彼女の活躍も視野に入れていたと思います。
この2枚のリリースの後に、以前共演したことのあるズート・シムズと再会し、『Jutta Hipp With Zoot Sims』を録音します。
BLUENOTE 1530番。
しかし彼女はその後ピアノで生計を立てることなく、衣料品工場で働き、絵画へ興味を持つようになりました。
一説には極度のステージ恐怖症だったとも、また彼女の厳しい生い立ちの中でPTSDに苦しんでいたとも言われています。
そして2003年4月7日に亡くなります。
享年78歳。
その孤独さを感じると、ワタシはやはり冬の曇天を思い起こさずにはいられません。
危うさのある彼女の才能の輝きがBLUENOTE1500番台の3枚に集約されています。
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