今日のお昼にマクドナルドに行きました(ドライブスルー)。
YuさんがCM見てて「食べたい!!」と言っていた
「チキンタツタ 瀬戸内レモンタルタル」
を買って帰りました。
ワタシは普通のチキンタツタにしたのですが美味しかったですね。
ショウガの香りがいい感じ。
個人的にはフィレオフィッシュに並ぶマクドナルドNo.1メニューではないでしょうか。
さて最近ジャズの旧盤を漁っていて、当時の日本の音楽シーンとかも調べててたらドキッとする歌手・作品に出会いました。
浅川マキのデビューアルバム『浅川マキの世界』。
- 夜が明けたら
- ふしあわせという名の猫
- 淋しさには名前がない
- ちっちゃな時から
- 前科者のクリスマス
- 赤い橋
- かもめ
- 時には母のない子のように
- 雪が降る
- 愛さないの愛せないの
- 十三日の金曜日のブルース
- 山河ありき
浅川マキ (vo)
今田勝 (p, org, key)
原田政長 (b)
市原宏祐 (flu)
稲垣次郎 (flu)
横内章次 (g)
チコ菊池 (ds)
衝撃的でした。
歌声も歌詞も。
浅川マキの1970年の作品。
ワタシが生まれる前。
はじめ気になったのは、ジャズピアニストの今田勝のクレジットと寺山修司がライブの演出・歌詞を担っていたところ。
浅川の名前は知らなかったです。
寺山修司と言えば演劇実験室の「天井桟敷」。
ワタシは正直詳しくは知りませんが、当時の前衛芸術として高い評価を受けていたと聞いています。
当時の実験的な芸術・文化を支えたのがアートシアター新宿文化という劇場。
その地下に「アンダーグラウンド蠍座」という、実験的な映画や芝居をする90席の小劇場が1967年に作られたそうです。
そこで寺山が演出したのが浅川のライブで、本作の8曲目以降はそのライブ音源です。
2, 5, 7, 10-12曲目は寺山の作詞。
どの曲もインパクト強くて当時のアングラ感に満ちています。
6曲目の
「不思議な橋がこの町にある 渡った人は帰らない」
って歌詞も強烈で、ワタシがスピーカーで聴いていたところ、Yuさんが
「・・・怖いんですけど」
と言ってきました。
7曲目とかは「寺山修司の世界」と言っても良いほど。
港町の娼婦が水夫に殺される事件を描いていて、もうとてつもなくアングラ感強めの物語です。
そのような癖の強い歌詞を歌い切る浅川のハスキーヴォイス。
華やかな世界とは程遠い薄暗い世界。
東京オリンピックや大阪万博など日本経済の発展の裏側で、三島由紀夫の割腹自殺や学生運動、日本赤軍などの成長の歪も顕著だった時代。
改めて「昭和」の力強さを思い知る作品でしょう。
70年安保のころ、多くの若人が血気盛んな一方で
マイウェイの若人たちが町に繰り出して
自分たちの主張をとなえてるってそんな時代のアーティストさんですよね~ フォークロックの世界だあああ~
わ~~ すごい懐かしい…
私は暗いので(スミマセン!)ほとんど聞きませんでしたが
日曜学校の先生たちが聞いていたので知ってます~☆彡
ひゃ~なんか、懐かしいのだああ
umekouさんは生まれてない…ああ、世代を感じます!
こんばんは。
浅川マキご存知でしたか!
ワタシはこの時期のあとに生まれたチャッキチャキの(?)団塊Jr世代です。
しかし日曜学校の先生がこの歌を歌っていたとはなかなかシュールな時代ですよね。
なんか横須賀の場末のスナック感満載で、でも何気に豊かな時代だったのかな、と思います。
アートシアター、私はここで映画を見てました。
伊勢丹まで、徒歩でもいける距離、バスですぐでしたので、
新宿といえば、あのあたりが好きでした。
浅川マキ、人気ありました。
そして三島自決は、学校の授業中、
学校は市ケ谷が近く、授業中、教師が、
さっき、三島が死んだ、と言ったことを覚えています。
この時代を過ごされたのですね。
新宿のこの時代はそれこそ様々なカルチャーのるつぼだったそうですね。
もはやゴールデン街が観光地化されている現在では考えられませんけど。
ワタシは初めて上京した時に新宿にすぐ行きました。
アルタとか西新宿の高層ビル群とかすごく圧倒されました。