「フランシス・ベーコン展」
(Francis Bacon)
豊田市美術館
2013年6月8日[土]-9月1日[日]
un.8 [Sat] - Sep.1 [Sun], 2013
もうずいぶん前のことで申し訳ございません。
今年の夏豊田市美術館 Toyota Municipal Museum of Art (8景)で「フランシス・ベーコン展」を見ることができました。
フランシス・ベーコン(Francis Bacon)の絵は小学生の頃から気になり、父の書棚から画集を取り出しては見ておりましたことを思い出します。
フランシス・ベーコンは、論理的に考える以前から感覚的にわたくしの好みの一つでした。
枠組みやガラスを通してみるフランシス・ベーコンの絵は、中学三年そして高校の頃にのめり込み全集を繰り返し読んだ安部公房の感覚に近いもを感じておりました。(これはあくまでもわたくしが十代半ばから感じていたことですので、間違っていてもご容赦願います。)
今回フランシス・ベーコンの絵を目の前にし、嬉しさと強烈なインパクトのために、立ちすくんでしまいました。
色が思いのほか美しいフランシス・ベーコンの作品。印刷物や図録のそれとは全く違いました。
印刷では表現できないガラスを通してまでをも計算した彼の色彩は、一見モノクロームに見える作品出さえも豊かで多彩でした。ヨーロッパ家具を意識したというピンクにも、光りと筆のタッチから放つ多くの色味が感じられ、フランシス・ベーコンの豊かな感性に触れました。そこに空間や遮り、空気や風邪や時間が加わり、この感覚はわたくしにはたまらないものでございました。
ある作品では安部公房を思い、また違う作品ではカフカを感じ、別のものでは現代音楽やピンク•フロイドの調べが流れ込み、それを調和させるかのように豊田市美術館の美しい白い空間はすばらしい作品群を包み込んでおりました。
見ているわたくしがいる。わたくしが鑑賞しているフランシス・ベーコンの作品。
ところが、枠に遮られながらこちらを眺めている彼はいつの間にか人格を持ち、ガラス越しにわたくしを見ているのです。わたくしの息吹は吸い取られ、描かれているはずの人物が、はっきりとつぶやくのです。
「ちがうよ。」
それは不思議な感覚でございました。安部公房の「箱男」ともまた違うのですが、心地の良い感覚でございました。
鍵を開ける男。
壁に体の一部が同化した男。
時間差を通じて動く男。
ただひたすら走る犬。
人格を得たスフィンクス(4作品 スフィンクスは6月に見たばかりでしたので、印象に残りました)
これら全てに時間が流れておりました。
絵の中の彼らは、それぞれにつぶやいておりました。
「ちがうよ、僕が見ているのだよ」
細やかに内面まで観察される自分に気づき、絵の前でその視線を拒否するかのように、わたくしは作品の前から銅座借りました。
「ほら、やっぱり、わたくしが見てるんじゃない。」
そうです。『ほら、やっぱり、わたくしが見てるんじゃない。』と心の中でつぶやきながら体を動かすことでしか、フランシス・ベーコンの描く人物には抵抗できず、また、太刀打ちできなかったのです。
わたくしは中学の頃から京都の岡崎にある美術館を一人でさえも企画展を見ることがありました。なので、これまでにも心に残る企画展がいくつかありました。そして今回愛知県で楽しませていただきました美術企画展「フランシス・ベーコン展」もその一つに仲間入りでございます。関西には回ってこなかったフランシス・ベーコンの作品ではございましたが、見ることができ長年の夢の一つをかなえることができました。
何気なくついてきてくれた夫ではございましたが、彼も多いに喜び、食い入る様に見つめておりました。
余談ですが、「フランシス・ベーコン展」を見た後、高島屋でフランシス・ベーコンの色彩イメージの財布を購入しました。
色は黒ベースですが、内側はやや重厚なピンク。ですから、普段閉じているときには本のわずかばかり、ピンクが見えます。フランシス・ベーコンが毎日わたくしの手のひらの中で泳いでいます。日をおいた今も、フランシス・ベーコンを思い浮かべるわたくしが、家族の為に魚や野菜を買いさんまを焼き、おだいのたいたんやおひたしをつくるのです。フランシス・ベーコンを好きな私がいて、家族を思うわたくしがいる。朝は慌ただしく、ベーコン•エッグを焼く…。これが現状です。だから美術や本や芝居が好きなのかもしれませんね。
豊田市美術館 Toyota Municipal Museum of Art
愛知県豊田市小坂本町8-5-1
お付き合い下さいまして、ありがとうございます。
心より感謝いたております。