トルコ アララト山 マークーから
イラン北西部のマークーからトルコの国境までは車で半時間もあれば到着します。
ドライバーは、
「トルコには行った事があるかい?何度行ったの?僕は何度も行っているさ。」
と誇らし気です。
イランの若者からすれば へジャブ(女性頭隠し)やマントウ(女性上着)や酒の自由なトルコは魅力ある国に違いありません。
マークー市内から生神女マリア聖堂とバールーン湖往復の山中からは、トルコの大アララト山(左)と小アララト山(右)をみることが出来ます。
どこか日本の富士山を思い出させるアララト山を見ていると、のんびりとした気分を味わう事が出来ます。
若者は、アララト山を見て
「日本の富士山、富士山」
と、大はしゃぎ。
イランでも日本の富士山と『おしん』は有名です。
トルコのアララト山が見える町マークーに住むドライバーの自慢のようで、微笑ましい感じが致しました。
ウィキペディア(2011.1,16現在)より ▼
アララト山(アララトさん)は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山(成層火山)。アルメニア語表記はԱրարատ、ペルシア語表記はآرارات、クルド語表記はÇiyayê Araratで、トルコ語ではアール山(Ağrı Dağı)と呼ぶ。主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山(Küçük Ağrı Dağı)と呼んでおり、それに対して標高5,137mの主峰は公式には大アララト山(Büyük Ağrı Dağı)という。アルメニアとの国境から32km、イランとの国境から16kmである。
『旧約聖書』にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされる山と目されて、12世紀以降にヨーロッパ人により命名された。聖書考古学上では『創世記』記者の意図した「アララトの山々(複数形)」はウラルトゥの山々の意味、現在のアルメニア高地のどこかの事と考えられているにもかかわらず、現在のアララト山頂から見つかった古い時代の木の化石や、航空写真から見出だした方形の船の跡らしいものをノアの箱舟の痕跡だとし、ノアの箱舟伝説が実証されたと主張する人もいる。[1]
アララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされる。オスマン帝国がこの地域を支配した時代まではアララト山の麓にはクルド人やトルコ人と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしてきたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなってしまった。このとき、相当の数のアルメニア人の人命が失われ、アルメニア人虐殺として国際的非難を浴びたが、トルコ政府は虐殺の事実を否認しており、長らく論争となっている(アルメニア人虐殺問題)。
その後、1920年のセーヴル条約に基づき、旧ロシア帝国領側に住むアルメニア人がアララト山の麓まで領土に含めたアルメニア国家を独立させる運動に乗り出したが、旧オスマン帝国領側に獲得した領土はトルコ革命軍によって奪還されてしまい、ロシア側も赤軍の侵攻によってソビエト連邦に組み入れられた。これ以降、アララト山はトルコ領となるが、1991年のソ連解体によって独立したアルメニア共和国はこのトルコとソ連によって引かれた国境を承認していない。アルメニア・ソビエト社会主義共和国時代においてもアルメニア人のシンボルであることは変わらず、国章にアララト山が用いられていた。現在の、独立後のアルメニアの国章についても盾の中央にアララト山をあしらっており、アルメニア人虐殺問題とあいまって、領土要求を警戒するトルコとの間で水面下の対立が続いている。
国際的な環境保護団体グリーンピースは、2007年6月現在、アララト山腹にノアの方舟の模型を建造中である。地球温暖化問題で、早急な対策が必要であるというメッセージを送るためという
マークー郊外
夕日の生神女マリア聖堂とバールーン湖
以前『イランのアルメニア人修道院建造物群』聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂を記録しました。
今回は 生神女マリア聖堂とバールーン湖にしぼって残しておこうと思います。
ここは夕方と朝の二回音連れ真下が、今回は夕日の中の夕日の生神女マリア聖堂とバールーン湖です。
ここは観光客は誰もおらず、ドライバーを含めて私たち三人だけでした。
車窓から撮った写真も多く、お見苦しい点をお許し下さい。
静けさを感じていただけましたら、うれしいです。
2010年12月 イラン マークー郊外にて
大阪道頓堀の 浮世小路
大阪道頓堀の松竹座近くには、浮世小路という細くて短い路地がつくられています。
ここは以前にも簡単に記録した事があります。
この路地を奥まで進むと、何と!パチンコの景品交換所が(たぶん)あります。
まさに、浮世☆小路ですね。
一晩、窓ガラスがたがたの刑にあう。
冬の夜の奈良は夏の夜のようには夢見心地でいられない。
おまけに家族は休み返上。早朝の出勤で、今朝は寝不足。
乱鳥、すこぶる眠い。
気がつくと一月も半ば。
一年の 1/24がすぎる。
この二週間、わたしは何をして過ごしたのか…。
みなさんとお話をしたり、博物館,芝居に行ったり、お料理で遊んだり…。
いくらかは本も楽しんだ。
思い起こすと、楽しい思い出が多い。幸せ者だ。
ここに何としてでも付け加えたいのが散歩と 完璧に近い家事と 事務処理。
この寒さでは散歩はつらいし、完璧に近い家事は主婦なら無理と知った上での理想論。
ここ二週間冬ごもりと決め込んで、一年間の貯めた事務処理でもこなそうか。
うん!それならなんとかできそうだ。
今年は寺を参りたい(本当は 観光)と思っていたところに、隔週雑誌(CD付き)『日本の古寺・仏像』が発売される。
早速アマゾンで注文しようと思うたが、古本として 最高値では 1,790円で売られていた。けしくりからん(←って言葉、ありかしらん?)
発売元なら定期購読。これはちと不都合。
仕方が無いので寒いが本屋直行。初回「法隆寺」で 790円也。1000円の節約だと、お気楽者の計算法。
これで「法隆寺」は完璧だとにんまり顔で机上に積んどく。
まぁそのうち暖かくなれば、法隆寺を極めたいと、今朝もノーテンキにほくそ笑む。
2011年度 6
『異素六帖 ; 古今俄選 ; 粋宇瑠璃 ; 田舎芝居』から 「茶番早合点」
浜田 啓介 中野 三敏 校注
『異素六帖 ; 古今俄選 ; 粋宇瑠璃 ; 田舎芝居』から
「茶番早合点」
浜田 啓介 校注
新日本古典文学大系 82
P、357~349
茶番早合点初編
茶番早合点二編上
茶番早合点二編下
P、368~375 (解説)
岩波書店
1998年
(P,488)
「音曲に一声二節といふがごとく。茶番も一に景物に趣向なり。いかほど面白き趣向なりとも。景物麁末にては見劣せらるゝもの也………」( 第九 一景物二趣向の事并ニ見立景物の心得(茶番早合点初編))
と書かれるように、
「茶番早合点」は「茶番は江戸の戯場より起る。元は楽屋の三階にて、茶番にあたりし役者、いろいろの工夫思ひ付にて器物をいだせしを,茶番茶番といひしより、いつとなく今の戯となれり。………。」
から起ったとされる。
楽屋の三階さん、してやったり。
助六、曽我兄弟、吉野山、仮名手本忠臣蔵………芝居がいっぱい 芝居パロディがいっぱいと、「茶番早合点」を楽しむわたし。
芝居に関係ある内容多く、口調よい熱弁はスッキリと洒落ていて、芝居好き舞台好きの間では今とて流行るのではと感じるのだが…。
どこぞの誰かが再現してはくれないものかしらん。
江戸時代、江戸にはこんなにおもしろい物があったのか。
わたくしの平たい笑いに比べ、あっぱれじゃ!と感心することしきりなし。
今回も記録のみにて失礼申し上げます。
大阪松竹座 壽初春大歌舞伎 夜の部
一、八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)
湖水御座船の場
佐藤正清 我 當
斑鳩平次 進之介
正木大介 薪 車
鞠川玄蕃 錦 吾
雛衣 秀太郎
音声のせいか、演目に配慮してか、声が少し通りにくかったよ。
狂言終了後、周りの人も聞こえにくかったという声が聞こえてきたよ。
なぁんだ!わたしだけじゃなかったんだ。
真正面から見たので、最後迫力。
二、玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
吉田屋
藤屋伊左衛門 藤十郎
扇屋夕霧 扇 雀
女房おきさ 吉 弥
吉田屋喜左衛門 我 當
待ってました!の「吉田屋」
この芝居は好き。
藤十郎さんの伊左衛門は名人の域にとうに達しておられるなと感激。
左袖から真っ赤な襦袢を少し除かされた時は浮世絵そのもの。美しかった。
紙衣をかばうようすは素晴らしい。
藤十郎さんのご年齢から考えて、今回 おこた(こたつ)の上にはあがって渡られなかったが、満足満足。
会場中、拍手喝采だったよ。
もう一度見たいな。『玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)』
正月らしい演目で、ハッピーエンドなこの芝居は、楽しい気分になった。
めでたしめでたし
三、江戸川乱歩「人間豹」より
江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)
─明智小五郎と人間豹─
第一幕第一場 不忍池、弁天島の茶屋の前
第二場 江戸橋広小路の支度小屋
第三場 ウズメ舞の場
第四場 隅田河畔の茶屋
第五場 浅茅ヶ原
第二幕第一場 団子坂、明智小五郎の家
第二場 笠森稲荷
第三場 団子坂近くの一本道
第四場 洞穴、恩田の隠れ家
第五場 浅草奥山の見世物小屋
エピローグ 同 見世物小屋裏手
市川染五郎大凧にて宙乗り相勤め申し候
明智小五郎 幸四郎
商家の娘お甲/女役者お蘭/明智の女房お文 扇 雀
目明し恒吉 錦 吾
老婆百御前 吉 弥
同心小林新八/娘お玉 高麗蔵
恩田乱学/神谷芳之助 染五郎
おもしろくて満足。
ある意味、江戸時代に江戸で新作歌舞伎を観た気分を味わえる。
現在における現在のハイテクを使用して見事に描かれた気がしたよ。
歌舞伎をふまえ、新しさを取り入れた『江戸宵闇妖鉤爪』
歌舞伎が固執した歌舞伎である前に歌舞伎とは芝居(狂言)であるという事を把握した表現に拍手。
古典歌舞伎も好きだが、こういった表現の新作歌舞伎なら、大歓迎。
やはり幸四郎さんは素晴らしい役者さんだ。
舞台にあがられると、ぴしっとひきしまる。
染五郎さんの奮闘はいつも見ていて気持ちがいい。
舞台に関して、まじめだ。
今回は劇中劇が二種出てきた。
仲でも見世物小屋は目をひいた。
1970年代後半(って、ぎりぎり最終の頃ですが)に見たアングラ劇のような衣装や化粧に、どこか懐かしさを感じた。
土佐の『絵金』のような場面あり。
『百鬼夜行』という台詞の通り『百鬼夜行絵巻』を意識してつくられていて、なんだかドーパミンがバンバン出てきそうな舞台づくりで、おもしろさ満載。
良かった良かった、これでおしまい。
平成23年1月2日(日)~26日(水)
夜の部 松竹株式会社より ▼
一、八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)
主君小田春永の嫡孫・春若の代理として上使と会うため、佐藤正清は北畠春雄の館を訪れました。その帰り、嫁の雛衣を伴って安土へ向かう船上で正清は寛いだ様子を見せますが、実は北畠の館で跡目争いの計略により毒酒を飲まされていたのでした。平然を保つ正清の元に、北畠の使者が迫ります―。
加藤清正が毒殺されたという伝説を描いた通称「毒酒の清正」。湖面に浮かぶ朱塗りの御座船という舞台装置をはじめ、大時代な歌舞伎の様式美が堪能できる一幕を、我當の佐藤正清、秀太郎の雛衣でご覧戴きます。
二、玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
吉田屋 新町の傾城夕霧太夫と深い仲になり、実家の藤屋からも勘当された伊左衛門ですが、恋しい夕霧が病に伏せっていると聞き、落ちぶれた身も省みず正月準備で慌ただしい吉田屋の店先までやって来ます。吉田屋夫婦の好意で夕霧には会えたものの、嫉妬のあまり心にもないつれない態度をとってしまう伊左衛門のもとへ朗報が届きます―。
華やかでお正月らしさに溢れた舞台面に、藤十郎の伊左衛門、扇雀の夕霧で、「傾城買狂言」の伝統を今に伝える上方和事の魅力溢れる舞台をお楽しみ下さい。
三、江戸川乱歩「人間豹」より
江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)
色男で道楽者の下級武士神谷芳之助の恋人がたて続けに何者かに殺されます。これらの事件には、ともに目をつけられてからちょうど百日目に殺され、肩には鋭い咬まれたような傷という共通点があったことから、隠密廻り同心の明智小五郎は、それらを同一犯の犯行とにらみ、人を食い殺す人間豹の仕業と見極めます。次の狙いが自分の女房であると知った明智は、人間豹・恩田乱学の挑戦を敢然として受けて立つ決意をするのでした。
妖しげな見世物ショーや大凧の宙乗りまで、妖しくも恐ろしい、江戸川乱歩の世界を歌舞伎に取り込み、九代琴松こと松本幸四郎の演出により東京で初演され、大きな話題となった作品の大阪初上演です。
幸四郎の明智小五郎と染五郎の神谷芳之助、恩田乱学の二役による怪奇の世界を存分にご堪能下さい。
青銅器館(坂本コレクション)を楽しむ。
ここは人も少なく、見ている間、ほぼ私たち二人だった。
今回青銅器は素早く見たが、中国の好きなわたし。
興味深い「卣」(ゆう)や「饕餮文」(とうてつもん)で、足は止まる。
今回の展示物の中には聖獣(或は動物)をかたどった「卣」は見られなかった。
わたしは中国のミミズク型の「卣」を取り出しては眺める事があるが、こういった形にも魔除けの意味合いがあるという。
ミミズク型といっても猫のような愛嬌の顔。厳つさは無い。
「卣」はイランのリュトン(角杯)とは形状が違うが、いずれも酒器である事に違いは無い。
青銅器館(坂本コレクション) 奈良国立博物館公式HPより ▼
坂本五郎氏より寄贈された中国古代の青銅器380余点のうち一部。なら仏像館(本館)の南に位置する青銅器館(坂本コレクション)をその専用展示室としています。
坂本氏は古美術商店「不言堂(ふげんどう)」の初代社長で、古美術品の蒐集家として著名です。この寄贈品は、同氏が情熱を傾け、半生を賭けて集められたもので、中国の商(しょう)(殷(いん))時代から漢時代(B.C.17~A.D.3世紀)までの青銅製容器や楽器が主体を占め、武器や車馬具、農工具、文具類なども含まれます。 中国の青銅器時代は紀元前2,000年ごろに始まり、夏(か)、商、周(しゅう)の三代を経て、紀元前3世紀(戦国時代後期)まで続きます。商・周時代の青銅容器は彝器(いき)とよばれ、世界の青銅器文化の中で最も発達したものと評価されています。
商(殷)代の彝器は主に祖先神を祭る宗廟の器で、それは祭器であり、礼器でもありました。
周代に入ると祖先祭祀が形骸化し、代わって諸侯、卿大夫、士という身分秩序の象徴として所有する礼器の数が重要視され、また儀式用の音楽を奏するために楽器も発達しました。
坂本コレクションには鳳凰文ユウ(商末周初期)のように美術作品として優れたものも少なくありませんが、商時代前半の二里岡期(B.C.17~B.C.15世紀)から、商時代後期(殷墟期)、周時代を通して秦漢時代に至るまでの青銅彝器の大部分の器種が含まれ、各種の文様も観察されて、中国古代青銅器を理解する上で格好の作品群といえます。
また中国古代史の歴史資料としても見過ごすことができません。
主な出陳作品:
爵、觚、長頸尊、觚形尊、方彝、罍、鼎、鬲、豆、盤、壺、鐘、扁壺、蒜頭壺、竈、博山炉、鎮子、鐃、錞于など
仏教美術 考古
畿内の古墳に行く機会が多少あるわわしにとって、考古の展示は興味深い。
今回目をひいたのは鏡。
各鏡に加え、発掘等位の鏡の置かれ方が示される。
考古学関係の博物館ではよくある展示法だが、遺体(?)のまわりに置かれた鏡の位地は明確で、子供にも分かりやすいとに感じた。
「水銀朱」などの言葉は一目で飛び込む方法がとられ、こどもたちが考古に親しむいい機会を与えていると感じ、微笑ましく思った。
◆珠玉の仏たち〈なら仏像館〉 奈良国立博物館公式HPより ▼
◆珠玉の仏教美術〈西新館〉
奈良国立博物館では、主として日本の仏教に関する美術工芸品を展示しています。
飛鳥時代から連綿と続く仏教美術は、寺院にまつられる仏像・仏画をはじめ、仏の教えを記した経典、説話や縁起を題材にした絵巻、仏舎利や経典を収納する容器、堂内を飾る荘厳具、様々な儀式に用いられる品々、そして寺院跡や仏教遺跡から出土する遺物など、多岐にわたっています。
なら仏像館(本館)の名品展「珠玉の仏たち」では、飛鳥時代から鎌倉時代に至る仏像を中心として日本彫刻、およびその源流ともいうべき中国の諸作品を幅広く紹介します。
西新館の名品展「珠玉の仏教美術」では、絵画・書跡・考古・工芸のジャンル別に展示をおこないます。また、随時、ジャンルの枠にとらわれない特集展示も開催しています。
2011年1月 奈良国立博物館
名品展
珠玉の仏たち 奈良仏像館(本館)
奈良仏像館を楽しむ。
ここは複数回楽しみ,覚えているものも多い。
第一室目の素晴らしい観音菩薩にため息が出る。
近づいたり遠ざかったり、かがみ込んでみたり裏側からの土器込んだり…。
今回は特別公開されている東大寺の法華堂金剛力士像に感動し、その部屋から離れられない。
壁に寄りかかり、長い間見つめていた。
奈良仏像館を訪れると仏像について知りたい、知っとけば良かったと後悔する。
美しいと感じるのだが、知識として消化できないのが残念だ。
奈良仏像館は『おん祭と春日信仰の美術』の前に入館。
こちらは今回あっさりとみることにしたので、二時間くらいでまわる事が出来た。
『珠玉の仏たち 奈良仏像館(本館)』と『おん祭と春日信仰の美術』をあわせると、鑑賞時間は五時間以上。
いやはや、疲れは極限に達していた。
帰りに 奈良 月日亭 で飲んだ日本酒の美味しかった事 この上なし。
名品の数々を堪能した帰りには、どんな酒でも美味しく感じる。
2011年1月 奈良国立博物館
◆珠玉の仏たち〈なら仏像館〉
◆珠玉の仏教美術〈西新館〉
奈良国立博物館では、主として日本の仏教に関する美術工芸品を展示しています。
飛鳥時代から連綿と続く仏教美術は、寺院にまつられる仏像・仏画をはじめ、仏の教えを記した経典、説話や縁起を題材にした絵巻、仏舎利や経典を収納する容器、堂内を飾る荘厳具、様々な儀式に用いられる品々、そして寺院跡や仏教遺跡から出土する遺物など、多岐にわたっています。
なら仏像館(本館)の名品展「珠玉の仏たち」では、飛鳥時代から鎌倉時代に至る仏像を中心として日本彫刻、およびその源流ともいうべき中国の諸作品を幅広く紹介します。
西新館の名品展「珠玉の仏教美術」では、絵画・書跡・考古・工芸のジャンル別に展示をおこないます。また、随時、ジャンルの枠にとらわれない特集展示も開催しています。
◆特集展示はコチラへ
珠玉の仏たち 〈なら仏像館〉
平成23年1月2日(日)~
◆展示一覧
平成23年1月2日(日)~
奈良国立博物館 NARANATIONAL MUSEUM
◆名品展 珠玉の仏たち 【彫 刻】
平成23年1月2日(日)~ 〈なら仏像館第1~13室〉
第1室 〈観音菩薩〉
重文 木造観音菩薩立像 観心寺
重文 木造観音菩薩立像 文化庁
木造観音菩薩立像 当館
重文 木造観音菩薩立像 勝林寺
重文 木造十一面観音立像(平安) 薬師寺
重文 木造十一面観音立像 勝林寺
重文 木造十一面観音立像 地福寺
重文 木造十一面観音立像 新薬師寺
重文 木造十一面観音立像 西光院
重文 木造十一面観音立像 元興寺
重文 木造十一面観音立像 当館
重文 木造千手観音立像 園城寺
重文 木造如意輪観音坐像 当館
重文 木造不空羂索観音坐像 東鳴川観音講
重文 木造准胝観音立像 個人
第1室・第9室 〈護法の天部形〉
重文 西大門勅額 東大寺
木造毘沙門天立像 当館
重文 木造増長天立像 法明寺
重文 木造増長天立像 称名寺
木造広目天立像 当館
重文 木造十二神将立像[6躯] 東大寺
木造十二神将立像[12躯] 当館
第2室 〈如来〉
重文 木造釈迦如来立像 法明寺
国宝 木造薬師如来立像 元興寺
重文 木造薬師如来坐像 勝林寺
重文 木造阿弥陀如来坐像 東大寺
木造阿弥陀如来坐像 歓喜寺
重文 木造宝冠阿弥陀如来坐像 當麻寺
重文 木造裸形阿弥陀如来立像 浄土寺
木造如来立像 当館
第3室 特別公開〈東大寺法華堂 金剛力士像〉
国宝 脱活乾漆金剛力士立像(吽形・阿形) 東大寺
第4室 〈中国の石仏〉
重文 石造如来三尊像 当館
重文 石造如来三尊像 個人
重文 石造十一面観音立像 当館
石造如来立像 個人
石造如来九尊像 個人
石造如来坐像 個人
第4室 〈塑像と塼仏〉
侍者像〔奈良県法隆寺塔本塑像〕 当館
重文 塑像断片〔奈良県薬師寺西塔跡出土〕 薬師寺
塑像断片〔奈良県川原寺裏山出土〕 明日香村
塑造菩薩頭部〔奈良県定林寺出土〕 当館
塑像断片〔滋賀県雪野寺出土〕 個人
方形独尊塼仏〔中国〕 当館
多宝塔塼仏〔中国〕 個人
火頭形三尊塼仏〔伝奈良県橘寺出土〕 当館
方形三尊塼仏〔奈良県川原寺裏山出土〕 明日香村
六角形塼仏〔三重県天華寺跡出土〕 当館
第5室・第6室 〈菩薩〉
重文 木造文殊菩薩坐像 薬師寺
重文 木造観音菩薩立像 細見美術財団
重文 木造虚空蔵菩薩坐像 北僧坊
木造弥勒菩薩立像 林小路町自治会
木造菩薩半跏像 文化庁
木造地蔵菩薩立像 十市町自治会
重文 木造地蔵菩薩立像 大福寺
重文 木造地蔵菩薩立像 春覚寺
重文 木造地蔵菩薩立像 長命寺
第7室 〈明王〉
木造五大明王坐像 当館
重文 木造不動明王坐像 園城寺
重文 木造不動明王坐像 正寿院
木造愛染明王坐像 当館
第8室 〈檀像〉
国宝 木造薬師如来坐像 当館
重文 木造観音菩薩立像 本山寺
重文 木造十一面観音立像 当館
重文 木造釈迦如来坐像 東大寺
木造如意輪観音坐像 当館
重文 木造諸尊仏龕 個人
重文 木造諸尊仏龕 寂照寺
第8室 〈上代の金銅仏〉
重文 銅造誕生釈迦仏立像 正眼寺
重文 銅造誕生釈迦仏立像 悟真寺
銅造誕生釈迦仏立像 個人
銅造観音菩薩立像 興福院
銅造如来立像 当館
重文 銅造観音菩薩立像 金剛寺
重文 銅造観音菩薩立像 観心寺
銅造観音菩薩立像 個人
重文 銅造観音菩薩立像 法隆寺
重文 銅造観音菩薩立像 法起寺
第10室 〈肖像〉
重文 木造大津皇子坐像 薬師寺
重文 木造聖徳太子立像 成福寺
木造南無仏太子立像 当館
木造役行者倚像 個人
第11室 〈神仏習合〉
国宝 木造八幡三神坐像 薬師寺
重文 木造大将軍神坐像 大将軍八神社
木造男神坐像 観音寺
木造伊豆山権現立像 当館
木造男女神坐像 当館
重文 銅造蔵王権現立像 大峯山寺
木造金剛童子立像 当館
第12室 〈動物彫刻〉
重文 木造獅子 当館
木造獅子 当館
重文 木造狛犬 手向山八幡宮
重文 木造狛犬 当館
第13室 〈仮面〉
重文 舞楽面 皇仁庭 春日大社
重文 舞楽面 散手 東大寺
重文 舞楽面 地久 手向山八幡宮
重文 舞楽面 胡飲酒 手向山八幡宮
重文 舞楽面 貴徳 手向山八幡宮
重文 舞楽面 新鳥蘇 手向山八幡宮
重文 舞楽面 腫面(二の舞) 手向山八幡宮
能面 大癋見・俊寛・孫次郎 根来寺
重文 菩薩面 浄土寺
おん祭と春日信仰の美術
おんまつり展に行く。
去年一昨年とおんまつり御宴能に行く事が出来なかったので、嬉しさ一塩。
能面も展示され、翁や猩猩のめんに見とれる。
能装束も美しい。能の衣装は中学の頃初めて能を聴いた(見た)時から,心を奪われている。
わたしは日本伝統の舞台衣装が好きだ。
とりわけ丹念にに見たのは御祭の絵巻物。
これは興味深い。
御祭は初めから最後まで見た事は無いが、書物云々でなんとか流れは知っている。
自分の記憶と絵巻を重ねあわせながら見る。
伝統が残された部分と、多少の変化。
素晴らしい。
御宴能も丁寧に描かれている。
松が描かれたものと描かれてないもの。
実際に現在行われているようすを,一緒に見ていた家族に話す。
ひとりで見たり一緒に見たり…。
気楽に好きなように見ていた。
ざっと一通り見たつもりだったが、仏教館を除いて『おん祭と春日信仰の美術』だけで三時間弱はかかる。
満足の行く展覧会だった。
2011年1月 奈良国立博物館
春日大社公式HPより ▼
午後1時
大宿所詣(おおしゅくしょもうで)
午後2時半
午後4時半
午後6時
御湯立(みゆたて)
午後5時
大宿所祭(おおしゅくしょさい)
午後2時半頃
大和士宵宮詣(やまとざむらいよいみやもうで)
午後3時頃
田楽座宵宮詣(でんがくざよいみやもうで)
午後4時
宵宮祭(よいみやさい)
宵宮祭は、翌17日に行われる遷幸の儀(せんこうのぎ)に先立って、若宮神前に“御戸開(みとびらき)の神饌”を奉り、祭典の無事執行を祈る行事で、この後若宮本殿は白の、御幌(とばり)で覆われる。
これに先立って午後2時からは大和士が流鏑馬児(やぶさめのちご)と共に神事参勤の無事を祈って若宮社前へ御幣を奉り拝礼を行う宵宮詣の事がある。続いて午後3時からは田楽座も本社と若宮で田楽を奉納する。
本来の素合御供の復興
明治維新以前まで、お旅所の神楽所に献じられたのが故実で、紅白の紙を貼った四角い台に檜葉を差込み、餅と蜜柑を交互に差し立てたものである。平成15年より復興された。
午前0時
遷幸の儀(せんこうのぎ)
午前1時
暁祭(あかつきさい)
午前10時
本殿祭(ほんでんさい)
正午
お渡り式(おわたりしき)
午後12時50分頃より
南大門交名の儀(なんだいもん きょうみょうのぎ)
午後1時頃より
松の下式(まつのしたしき)
午後2時頃より
競馬(けいば)
午後2時半
お旅所祭(おたびしょさい)
午後2時半頃より
稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)
午後3時半より10時半頃まで
神楽(かぐら)・ 東遊(あずまあそび)・ 田楽(でんがく)・ 細男(せいのお)・ 猿楽(さるがく)・ 舞楽(ぶがく)・ 和舞(やまとまい)
午後11時
還幸の儀(かんこうのぎ)
午後1時
奉納相撲(ほうのうずもう)
現在はお旅所祭の翌日、18日午後1時よりお旅所南側の特設土俵で、奈良県相撲連盟、奈良市体育協会、奈良市相撲協会の協力のもとに執行されている。
遠い昔は真剣な勝負がなされたことであろうが、中世には儀式化されていたようである。勝者には掛布が肩から掛けられたものでこれは興福寺の正法院と愛染院が負担した。
午後2時
後宴能(ごえんののう)
先日(三日)、歌舞伎の大御所、中村富十郎さんがお亡くなりになった。
まだ 昨年の三月 歌舞伎座で見た幼いご子息とともに舞われた『石橋』が思い出される。
惜しい事をした…。もう、あの熱烈な芝居演技と 繊細でありながら力強い舞は見られない。
ご冥福をお祈りしています。
この気持ちは先代鴈治郎さんの時にも味わった。
鴈治郎さんは後ろを向かれていても、肩で演技をなさっていた。
高校生のわたくしにも名演技と感じることが出来、好きな役者さんのお一人だった。
春から心配なニュースを知り、ショックは隠せない。
わたくしの好きで好きでたまらない演じ手の中村芝翫さんが体調不良とのこと。
新橋演舞場の「壽 初春大歌舞伎」を五日から休演された芝翫さんは真の舞台役者だから、さぞかしおつらいだろう。
これは芝翫さんファンのわたしにとって痛手である。
何としてでもお元気になっていただきたい。
芝翫さんの演技はこれからも生で見たいから……。
関係者の話では
「大事を取って休演するもので、どこが悪いというわけではない。体調が回復次第、再度出演することになります」
だそうだ。
昼の部の「妹背山婦女庭訓 三笠山御殿」の代役は、次男の中村橋之助が勤められるとの事。
安心して、治療に専念していただきたい。
心より芝翫さんのご回復をお祈りしています。
今年に入り中村勘三郎さんも体調不良も表面化。
大阪で行われた平成中村座二ヶ月公演後、アメリカで休養され、帰国後 即病院とのこと。
新橋演舞場二月の「ペテン・ザ・ペテン」を休演されるそうだ。
披露困憊が理由らしい。
中村勘三郎さんのご回復を心より祈願しています。
歌舞伎界はなんだか暗いニュースが多い。
芝翫さん、中村勘三郎さん、ご回復の吉報を待ち望んでいます!
はつはる 興福寺 翁/鹿角合の段
興福寺です。
この鹿はまるで『翁』
そいういと昨日京都観世会館では『翁』が舞われました。
興福寺の調査も終わり、今は工事に取りかかられています。(写真左)
興福寺南大門の発掘調査 2009年11月12日
一月 冬。
今は何の季節なのでしょう?
左 立役,右 女形
角つきあわすも多少の縁…(ちゃいますやん)
写真のような鹿を多く見かけました。
頭を突き合わせる鹿が多く、気の多い鹿は人間にまで頭を突いてきます。
又、食べ物を持っていると鹿は攻撃的です。
泣いているお子供たちをかなり多く見かけました。
鹿さん、お手柔らかに!ネ。
2011年1月9日 奈良興福寺近くにて
写真は携帯電話で写しました。
(といっても、普段と変わらないか…><)
初春歌舞伎公演 通し狂言 「四天王御江戸鏑」(してんのうおえどのかぶらや)
菊五郎196年ぶり「四天王御江戸鏑」 土蜘蛛の精に菊之助、AKB48の曲も
国立劇場大劇場
2011年1月3日(月) ~ 2011年1月27日(木)
福森久助=作
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸課=補綴
通し狂言 四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)
五幕八場
国立劇場美術係=美術
序 幕 相馬御所の場
二幕目 一条戻橋の場
三幕目 第一場 羅生門河岸中根屋格子先の場
第二場 同 二階座敷の場
第三場 同 花咲部屋の場
四幕目 第一場 二条大宮源頼光館の場
第二場 同 寝所の場
大 詰 北野天満宮の場
(出演)
尾 上 菊 五 郎
中 村 時 蔵
尾 上 松 緑
尾 上 菊 之 助
坂 東 亀 三 郎
坂 東 亀 寿
中 村 梅 枝
尾 上 右 近
中 村 萬 太 郎
尾 上 松 也
河原崎 権 十 郎
市 村 萬 次 郎
市 川 團 蔵
坂 東 彦 三 郎
澤 村 田 之 助
ほか
昨夜 録画しておいた 初春歌舞伎公演「四天王御江戸鏑」を見たよ。
歌舞伎の手法がこれでもかこれでもかとてんこもりだよ。いいとこ取りのつなぎあわせって感じ。
色々な歌舞伎のワンシーンや言葉、能楽が出てきて、おもしろかったよ。
あ、ここは◯◯、ここは◯◯って分かるものもあり、演目名を忘れているものもありで、複数人で見てると愉快痛快。
家でくつろいでみてるので、なんだかんだと盛り上がりながら見ていたよ。
割合初めに大江山という言葉が出てきたかと思うと、終わりに近づき、雲の精の腕(手)が切られたり…。
なんだかごっちゃまぜのこの芝居。おもしろいな。
菊之助さんの宙づりはご本人も見事に美しいが、影が神秘的。
あれは本当に、雲の精だったな。若いが、菊之助さんはすごい!
蜘蛛の精の母役は時蔵さん。
土蜘蛛は能楽で有名だし歌舞伎でも見た事があるが、伝承そのものも興味深い。
色々言われているけれど、複雑なので、今回は省きたい。
劇中では、渡り巫女という言葉ででてきたよ。
巫女も色々あるよね。
歩き巫女とか踊り巫女とか、色々伝わっているよ。
あ!注連縄を切っちゃった…で、しばらくすると菊之助さんが
「注連縄切ったうえからはぁ…」
と、予想どうりの展開。
通し狂言 四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)は元は人気役者を盛り上げるための芝居だったような気がする。
何しろ四天王だから。
テレビで放映されたのは一月三日。
まだ興行が始まったすぐのせいか、菊五郎さんが相手の役名を間違えちゃったよ。
で、照れちゃって、次の言葉が二度ばかりでてこなかったんだ。
こんな事は初日ならどんな役者さんでも時としてある事だよ。
菊五郎さんはプロだから上手く盛り上げられたよ。
でも、横にいた中村梅枝さんがにやついちゃったよ。
菊之助さんはすごい。平常心是道。若いけれど、すごい役者さんだ。
通し狂言 「四天王御江戸鏑」葉195年ぶりの復活狂言だけど、現代の要素も多く取り入れられていたよ。
今話題の 戦場カメラマン 渡部陽さん(のものまね)が、戦場(闘い)撮影として出てきた時には大笑い。
笑う角には福きたる。こいつぁ春から演技がええわぇ!
塩湖 1 2010年12月
塩湖 2 〃の続き
塩湖 3 〃です。
塩湖 1、2で記録しましたように、今回の塩湖は シーラーズ市内から車で40分程で行く事が出来ます。
昨年九月に行きましたシーラーズ市内から一時間の採塩場のように 鮮やかな赤ではありませんでした。
シーラーズ市内から一時間の採塩場 2010年9月
ウルミエ湖 2009年 12月
Msharlu Lake マハルル湖 2007年9月
上三湖の塩は真っ白な部分が見られ、美しいものでした。
今までのものは塩湖らしさが感じられましたが、今回はそういった点では少し面白みに欠けました。
真っ赤ではなく、不純物を交えた赤黒く広がる今回の塩湖。
水は浅く、塩水の中をずいぶんと遠くまで歩く事が出来ました。
ドライバーは、
「こんなに雨の少ない冬は珍しい。あなたは運がいいよ。こんなに遠くまで歩く事が出来る。」
と、大はしゃぎです。
雨の多い年は水かさが増し、杭も隠れるそうです。
杭
ドライバーはガイドの長年の経験から、これ以上遠くまで歩く事は危険だと思うところまで、連れてくれました。
この塩湖では鳥が飛び交い、ゆっくりとした時間を味わう事が出来ました事を付け加えておきます。
この赤い水の中を、随分遠くまで歩きました。
2010年12月下旬
シーラーズ市内から車で40分
終わり