化物和本草 1 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政10 版元 山口屋忠右衛門
化物和本草 3巻
山東京伝作 1761-1816
葛飾北斎画 1760-1849
版元 山口屋忠右衛門
寛政10 (1798)
18cm
黄表紙
早稲田大学所蔵
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)
草蔵(草蔵紙)を見ると、
絵や言葉や塗り絵などの落書きが書かれている事が結構多い。
化物和本草 1 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政10 版元 山口屋忠右衛門
化物和本草 3巻
山東京伝作 1761-1816
葛飾北斎画 1760-1849
版元 山口屋忠右衛門
寛政10 (1798)
18cm
黄表紙
早稲田大学所蔵
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)
草蔵(草蔵紙)を見ると、
絵や言葉や塗り絵などの落書きが書かれている事が結構多い。
八犬伝英雄双六 2 一 おとね 二 与四郎 三 もとふぢ 四かぢ九郎 五 おぬひ 六 りき二 柳下亭種員 撰 : 一勇斎国芳 画
柳下亭種員 撰 : 一勇斎国芳 画
八犬伝英雄双六
柳下亭種員 撰 : 一勇斎国芳 画
芝神明前三島町(江戸) : 喜鶴堂, [出版年不明]
48×70cm(折りたたみ25×18cm)
早稲田大学所蔵
早稲田大学図(デジタルライブラリー公開)
くろ ごす うゆ いえ んで んけ ちは
六 双 雄 英 伝 犬 八
画 中央下 (スタート)
柳下亭種員選
里見よしだね
杉倉かじもと
堀内さだゆき
一 おとね 四 かぢ九郎
二 与四郎 五 おぬひ
三 もとふぢ 六 りき二
一勇斎國芳画里見殿の姫君達
一
おとね
於戸根
一ひとよ
三めうしん
はまぢ
おとねハ 姥(おは)雪与四郎の妻(つま)武蔵 届川原(とだがハら)
に二人の子供(こども)を失(うし)ひし
後(のち)、上野國(かみつけくに)、荒芽(あらめ)
山の麓(ふもと)に住(すみ)し
が、資友(すけとも)
犬士(けんし)を
討(うた)んと
するとき、これを
防(ふせ)ぎて危(あやふ)かりしも■
■神(かみ)の守(まも)りに
必死(ひつし)のがれ、後(のち)里見家(さとみけ)に住(すむ)
二
与四郎
二ひとよ
四しやく八
六おぬひ
姥(おは)雪与四郎ハ又の名を安平(ゆうへい)とよぶ
もとハ、練馬(ねりま)
信盛(のぶもり)の家臣(かしん)
犬山道策(どうさく)が
僕主(ぼくしゆ)
家(か)亡(ほろ)ひて後(のち)
武蔵國(むさしのくに)神宮川に
住(すみ)漁師を業(わぎ)となす、
道節忠興(どうせつただとも)のために、荒芽山(あらめやま)に討手(うつて)を
防(ふせ)ぎ、のち、里見家の扶助をうけ、安住(あんぢう)せり
僕主?
主僕
主人と召使い。主従。
三
もとふぢ
素藤
一かぢ九郎
二めうちん
五玉つた
疋田権頭(ひきたごんのかみ)、素藤(もとふぢ)ハ悪賊(あくぞく)
業因(ありよう)が倅(せがれ)なり、父は
都(みやこ)に刑罰(けいばつ)を
かうふり、わが身(み)
ハからうじて山塞(さんざい)
をのがれ、とほく東(あづま)にさま
よひ来(きた)り、姦計(かんけい)をもつて
一度(ひとたび)勢(いきほ)火を得たりしも
犬江仁(いぬゑまざし)が智勇(智勇)にくだかれ、
終(つい)に命を亡(ほろぼ)すに及(およ)べり
刑罰(けいばつ)をかうふり
刑罰を被り
四 かぢ九郎
かぢくろう
梶九郎
二ふなむし
四めうちん
六もとふぢ
暴風かじくろう(あつしまかぢくらう)ハ
市川の里の
悪漢(わるもの)犬江
屋の母(はゝ)
妙真(めうしん)に
恋慕(れんぼ)して
これを
奪(うばハ)んため
待(まち)伏(ぶせ)なし、猶(なを)妙真(めうしん)が*
*したがハざるを△
△怒(いか)り
孫(まご)真平(しんへい)を
打(うち)殺(ころ)さんと
せしに、伏姫(ふせひめ)
神(がみ)の罪(ばつ)を
かけ、忽(たちまち)@
@引裂(ひきさき)
すてられぬ
忽
(たちま-ち)たちまち。にわかに。突然。
(ゆるが-せ)ゆるがせ。ゆるがせにする。いいかげんにする。おろそかにする。
五
おぬひ
於縫
一ふなむし
二角太郎
六引く手
ぬひハ下総国行徳の旅店(はたごや)
古那屋文五兵衛(こなやぶんごべゑ)の女(むすめ)
にて、小文吾(こぶんご)が妹なり、
市川の船問屋(ふなとひや)
犬江屋房八(いぬえやふさはち)が
妻となりて、真平(しんへい)
を産(うむ)夫婦、節義(せつき)
に身を殺して、血汐(ちしほ)ハ我子に
異生(いせい)の兄弟、犬塚志(しの)のが必死(ひつし)の
病(やまひ)を
すくへり
六 りき二
りきじ
力二
一ふさ八
三ひくて
五めうちん
十條(じうてう)力二郎ハ犬山の忠僕(ちうぼく)
姥(おは)雪与四郎の
長子(ちやうし)
狭気(けうき)◯
◯人にすぐれ、犬士(けんし)等(ら)を
助けんと、戸田川(とだかハら)に追人(おつて)の勢(ぜい)を支(さゝ)へ▽
▽頭人(とうにん)丁田町之進を
討(うち)取(とり)、きょうだい(けうだい)こゝに
討(うち)死(じに)なす
りき二の抱える高札に書かれている言葉
奉
若王子
納
長子(ちやうし ちょうし)
1 最初の子。
狭気(けうき きょうき)
弱い者を助けようとする気性。おとこぎ。「侠気に富んだ人」
頭人(とうにん)
頭人(とうにん)とは、鎌倉幕府・室町幕府における職名。
鎌倉時代中期に設置された引付方においては、3つもしくは5つの「方」と呼ばれる部局が設けられ、それぞれの「方」の長を頭人と呼んだ。
頭人はそれぞれの方に属する引付衆や奉行人を指揮して訴訟を進行した。
頭人(とうにん)〘名〙
八犬伝英雄双六 1 すごろく説明と上り 柳下亭種員 撰 : 一勇斎国芳 画 芝神明前三島町(江戸)
八犬伝英雄双六
柳下亭種員 撰 : 一勇斎国芳 画
芝神明前三島町(江戸) : 喜鶴堂, [出版年不明]
48×70cm(折りたたみ25×18cm)
早稲田大学所蔵
早稲田大学図(デジタルライブラリー公開)
くろ ごす うゆ いえ んで んけ ちは
六 双 雄 英 伝 犬 八
画 中央下 (スタート)
柳下亭種員選
里見よしだね
杉倉かじもと
堀内さだゆき
一 おとね 四 かぢ九郎
二 与四郎 五 おぬひ
三 もとふぢ 六 りき二
一勇斎國芳画里見殿の姫君達
画 中央上 (上り)
里見殿の姫君達
八犬士と緑を結
び給ふところ
たけのひめ
きのとひめ
いろとひめ
しづをひめ
ひるぎひめ
はまぢひめ
をなみひめ
しをりひめ
上り
柳下亭種員(たねかず)1807-1858 江戸時代後期の戯作(げさく)者。
文化4年生まれ。江戸の人。紀海音(きの-かいおん)の名で講釈師となった。のち柳亭種彦(たねひこ)の門にはいり合巻をかいた。安政5年8月21日死去。52歳。通称は坂本屋新七。別号に麓園。作品に『白縫譚(しらぬいものがたり)』『児雷也豪傑譚』
『児雷也豪傑譚』は尾上菊之助で見た事がある。
芝神明前三島町
この時代、この辺りには有名な絵双紙屋があった。
暑い、すこぶる暑い。
暑いので、空調する。
今度は何と、肌寒い。
本末転倒とは、これしかり。
寒い、寒いのでダンス。
ハードロックに身を委ね、
時にはラップで右左右
寒くて暑くて、汗が出る。
出不精デブ症、何としょう。
外出怖いと、家籠り
寺を思うて庭眺め、
饅頭と茶で、こゝろ慰む。
八月上旬 乱鳥合掌
King Crimson - 21st Century Schizoid Man 何の意図も無く(笑)今夜はこの曲の気分v
今昔狐夜噺 読了 17 (いまハむかし きつねのよばなし) 十五丁裏 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺十四丁裏
跋
一九画作(ぐわさく)と。いかめしく記(しる)しぬるを。予が
□(欠け)か目(め)の秤(はかり)にかけて。彼(かれ)が出世(せ)と作(さく)とを
ためし見るに。あわや秤(はかり)の倅(さほ)の中程(なかほど)
よりおれたきハ。いづ神をかろしとも
わかたず。画(ゑ)ハおしつよく。作(さく)ハおしの
おもきなへと。例(れつ)のにくまれ口を
雪亭(せつてい)主人か帰(かへ)り
がけの駄賃(だちん)にいふ
『今昔狐夜噺』読了^^v
歌舞伎が見たいワイ!歌舞伎が見たいワイ!と書き続けた『今昔狐夜噺』の記録。
次何読もうかと、草中歩む。 乱鳥合掌
今昔狐夜噺 16 (いまハむかし きつねのよばなし) 十四丁裏 十五丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺十三丁裏
らくさいハ
かのせん
ざいものを
ふねにつ
ませほん
ぜうのあた
いちにだして
とりはらい
そのかねにて
ぢめんの
うちにひとつ
のこらす
たて、せういち
ゐのくわんい
をもらひ
いなりの
中ろと
すへのよ
までながく
まもりがみ
とあふぐ
べしと
しそんまで
も いゝおくり
ておこたら
ず、まつり
けるゆへ、かみも
今昔狐夜噺十四丁表
人のうやまふ
によつて、□(欠け)を
ましければ、
そのしそんも
かみのめぐみ
に、あいあたじ、
さいなんを
のぞきふく
とくそく
せうの
はるを
むかへて
行すゑ
ながく
ことぶき
けるとなり
「このさうしにハ
さつぱり
あいきやうが
□(欠け)うつた
□(欠け)へこゝで
おのぞみ
し□(欠け)いお目に
かけます、
今昔狐夜噺十三丁裏 下
「いつも はつ
むまハ にぎ
やかな事
じや
今昔狐夜噺十四丁表 下
「かへりにハ
くさぞう
をたんと
かつてやりま
せふ
一 九 画 作
今昔狐夜噺十三丁裏
楽斎は
かの潜在物を
船に積ませ、
本庄のあたいちに
出して
取り払い、
その金にて
地面の
内に一つ
残らず
立て、せいいち
一(い)の官位
を貰い、
稲荷の
中ろと
末の世
まで永く
守り神
と仰ぐ
べしと
子孫まで
も 言い送りて、
怠らず、
奉りける故、
神も
今昔狐夜噺十四丁表
人の敬う
によつて、□(欠け)を
増しければ、
その子孫も
神の恵
に、相あたじ、
災難を
覗きふく
とくそく
しょうの
春を
迎えて
行き
末長く
寿けると成り
「この草子には
さつぱり
愛嬌が
□(欠け)うつた
□(欠け)へ此処で
お望み
し□(欠け)いお目に
掛けます、
今昔狐夜噺十三丁裏 下
「いつも 初午は
賑やかな
事
じや
今昔狐夜噺十四丁表 下
「帰りには
草双(紙)
をたんと
買ってやりま
しょう
一 九 画 作
「いつも はつ
むまハ にぎ
やかな事
じや
初午
二月になって最初の午(うま)の日。その日に行われる稲荷(いなり)神社の祭り。
2月最初の午(うま)の日(2020年は2月9日)。
本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていました。
711年(和銅4年・奈良時代)のこの日に、稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれています。
この日をしのび、伏見稲荷大社をはじめ、愛知の豊川稲荷や佐賀の祐徳稲荷神社など、全国の稲荷神社で盛大にお祭り(初午大祭)が行われます。
また、立春を迎える2月の最初の午の日は、一年のうちで最も運気の高まる日とされています。
※「午(うま)」は方位の南を示し、時間は正午を表わします。この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで陽光の力が最も強まる時といわれています。
稲荷大神のお使いとされているのがきつねです。初午の日には、その好物といわれている油揚げやお団子などをお供えします。
餅まきが行われる地域もあります。
くさぞう
草双紙
江戸時代、大衆めあてに書かれた絵入り小説本の総称。
文章は平仮名を多く用いる。
赤本・青本・黒本・黄表紙・合巻(ごうかん)物など。
とうとう、『今昔狐夜噺』の本文が終わってしまった。
コロナが収束してほしい!
劇場で、
歌舞伎が見たいワイ!
今昔狐夜噺 15 (いまハむかし きつねのよばなし) 十三丁裏 十四丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺十二丁裏
らくさいハくびじつけんをめい
わくながら、しまいてみな
ごたいぎ/\、おつげでめづら
しい事を見ましたと、いち
れいいべけれバ、「はつ」といふて
そのさにいならびたる
よろいむしゃ、あとかた
もなくきへ失せけれバ、
よハ ほの/″\と
あけにける、
さて、へいけ
がたのくび
なりと
いち/\
じつけんに
そなへたる
くびどのを
みなはき
だめへとり
すてさせ
けるをおもひ
いだし、いかなる
ものをくびと
なづけて
われにみせ
しやがてん
ゆかずとかの
今昔狐夜噺十三丁表
はきだめへ
ゆきてみれバ
とり、すいくわ
とうぐわん
ふたべひやう
たんが、ぼちや
おびたゞしく
うちすて
ありたり、
さてハくびと
みへしハ
これなるべし、
どふりてかぼ
ちやがとう
なすだと
大わらい
をぞ
し
たり
ける
今昔狐夜噺十二丁裏 下
「とももりこれもり
などといふけうだいのくびと
見へし□(欠け)どふりこ、そうりが
ふたつ
じや
今昔狐夜噺十二丁裏 下
「こうした
ところハ
べちゃアねへ
おくやまの
まめぞうと
いふみぶり
だ
今昔狐夜噺十三丁表
「さきぼふ
のからす
どの、ちた
やすんで
とばつ
せへ
な
今昔狐夜噺十三丁表
からす
「かあ/\
あのとりが
つゝいてみたい
今昔狐夜噺十二丁裏
楽斎は首実検を迷惑
ながら、終いて皆
ご大義ご大義、お告げで珍しい
事を見ましたと、一例
いべければ、「はっ!」と言うて
そのさに居並びたる
鎧武者、跡形
も無く消え失せければ、
世は ほのぼのと
明けにける、
さて、平家方
の首
なりと
いちいち
実験に
備えたる
首殿を
皆掃きだめへ
取り捨てさせ
けるを思い
出だし、如何なる
物を首と
名付けて
我に見せしや
合点ゆかずとかの
今昔狐夜噺十三丁表
掃き溜めへ
行きてみれば、
取り、西瓜、
冬瓜、
ふたべ瓢箪、
がぼちゃ
夥(おびただ)しく
打ち捨て
有りたり、
扨は首と
見えしは
これ成る可し、
どうりて、
南瓜が唐茄子だと
大笑い
をぞ
し
たり
ける
今昔狐夜噺十二丁裏 下
「知盛、維盛
等と言う兄弟の首と
見へし□(欠け)どうりこ、そうりが
ふたつ
じや
今昔狐夜噺十二丁裏 下
「こうした
ところは
べちゃア ねへ
奥山の
豆蔵と
言う身振り
だ
今昔狐夜噺十三丁表
「先坊
の烏
殿、ちた
やすんで
とばつ
せへ
な
今昔狐夜噺十三丁表
烏
「かあかあ
あの鳥が
つついてみたい
さて、へいけ
がたのくび
なりと
いち/\
じつけんに
そなへたる
くびどのを
みなはき
上の文を読み、『仮名手本忠臣蔵』では無いが、『御摂勧進帳』(『芋洗勧進帳』)を思い浮かべた。
若干滑稽でそれでいて格好の良い弁慶が、次々と敵をなぎ倒し、首を引っこ抜く。
弁慶が大井戸に登り、首を井戸で芋洗の様にザブザブ首を洗い、ポンポンと道端に放り投げる。
道に転がった首を、二人の奴が
「お掃除お掃除・・・」
と言いながら首を履いていくコミカルな場面が思い出された^^
歌舞伎、見た〜〜い。劇場に行きた〜〜い。
歌舞伎が見たいワイ!
今昔狐夜噺 14 (いまハむかし きつねのよばなし) 十二丁裏 十三丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺十二丁裏
さて、いくさもふかく
おさまりければ、かの
こん八ぎつねら、いふやう
たゞ□(欠け)つまで、わたくしの
おせわになりし事なりま
のものどもまで、大きに
よろこびどふぞ、うち
そろつて、おめにかゝり、
なにかのおれいも 申
たしさい、わいのこう
ず、よろいむしやに
ばけたるまゝにて
おめみへいたすも
いつけうならん
そのかわり、あなたを
たいせうとなし、
てきがた、くひじつ
けんのやふすをおめに
かけんとらくさいを
せうざになをし
めん/\にうちとり
そなへける、へいけのいち
もん、のこらずくびばかり
となりて、どれがどれやら
わからねども、かぶとのひもの、
だらりとしたるハ、ゑつちうのぜんじ、
今昔狐夜噺十三丁表
もりとし、ならび、きりくちに
すじのみゆるハ、さつまのかみ、
なかにもこうちうはなはだしく
にほいあるのハ、なんばの次郎
二八ばかりにみへたるハ
あつもりがくびに
ちがいなし、せのをの
たろふハきのふの
たるとき、こ
ゆるゆへ
じゆくし
くさい
くびなるべし
しゆめの
はんぐわん
ハくめの
せんにん、
とき、こ
ゆるゆへ、
さなから
おつこちたぼた
もちのごとく
あばたづら也
そのほかいくびハ
いの□□(欠け)むしやはなの
あなのつまつたのハ、がんくびさんかくなる
おほくびと、いち/\そつくびひつつかみ、くび
とりて、うへしるしつゝ、□□□(欠け)、らくさいが
まへゝおちいでひろふして、ひき、しりぞく、
今昔狐夜噺十二丁裏 中
「くびとおもへど
なければふじゆう
なものだ、しまつを
してつかへば、いつ
せう つかわれる
ものゝじやに、
さりとハむふんべつ/\
今昔狐夜噺十二丁裏 下
くび曰
「ほかにこゝろ
のこりハないが
われ/\が
ちぎやうの
ありたけ
そくいに
今昔狐夜噺十三丁表 下
して、このくびが
ついでみたいが
いかゞでござ
ろふ
今昔狐夜噺十三丁表 中
「くびハないもの
つらいものも
ひさしい
もんだ
今昔狐夜噺十三丁表 下
「それ
がしも
なにぞ
や、たゞ
てのどが
くび/\
いたし
ます
今昔狐夜噺十三丁表 下
「しからバ
おさきへ
申そふ
へいけハ
ほろびて
いゝくび
/\
今昔狐夜噺十二丁裏
扨、戦も深く
収まりければ、かの
こん八狐ら、言う様、
只 □(欠け)つまで、私の
お世話に成りし事なりま
の者共まで、大きに
喜び、「どうぞ、打ち揃って
お目に掛かり、
何かのお礼も 申した司祭、
わいのこうず、
鎧武者に
化けたるままにて
お目見え致すも
一興ならん
その変わり、貴方を
大将となし、
敵方、首実検
の様子をお目に
かけん」と楽斎を
正座に直し
面々に討ち取り
供えける、平家の一門
残らず首ばかり
と成りて、どれがどれやら
分らねども、兜の紐の、
だらりとしたるは、越中島越中の禅寺、
今昔狐夜噺十三丁表
守とし、並び、切り口に
筋の見ゆるは、薩摩守、
中にもこうちゅう 甚だしく
臭いあるのは、難波の次郎
二八ばかりに見へたるは
敦盛が首に
違いなし、瀬尾の
太郎は、昨日の
たる時、こゆる故
熟し
臭い
首成る可し
主目の
半官
は、久米の仙人、
時、越ゆる故
宛(さなが)ら
落っこちた
ぼた餅の如く
痘痕面(あばたづら)也
その他幾日は
いの□□(欠け)武者鼻の
穴の詰まったのは、雁首、三角なる
大首と、いちいち そっ首 ひっ掴み、首
獲りて、上印つつ、□□□(欠け)、楽斎が
前へ落出で、ひれ伏して、ひき、退く、
今昔狐夜噺十二丁裏 中
「首と思えへど
なければ不自由
な物だ、始末を
して使えば、一生
使われる
物のじゃに、
さりとは、無分別、無分別
今昔狐夜噺十二丁裏 下
くび曰く、
「他に心
残りは無いが
我々が
知行の
有り丈
即位に
今昔狐夜噺十三丁表 下
して、この首が
継いでみたいが
いかがでござ
ろふ
今昔狐夜噺十三丁表 中
「首は無い物
つらいも物
久しい
もんだ
今昔狐夜噺十三丁表 下
「某も
何ぞ
や、ただ
手、喉が
首首
致し
ます
今昔狐夜噺十三丁表 下
「しからば
お先へ
申そう、
平家は
滅びて
いい首
いい首
くひじつ
けんのやふすをおめに
かけん
歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』「寺子屋」
首実検の場は面白おかしいが、「寺子屋」の筋書きは、はかなく切ない。
涙無くしてはみられない芝居である。
私としては、片岡仁左衛門丈の「寺子屋」で、楽しみ、涙を流したい。
くひじつ
けんのやふすをおめに
かけん
今昔狐夜噺 14のさしえでは武者頭での首実検になっている。
いっけう
一興
こうちう(こうちゅう)
甲虫から、兜のことか
へいけハ
ほろびて
いゝくび
/\
平家は滅びて、いい首いい首(いい気味いい気味)と、著者は書いている。
それでは、いつもの一言^^
歌舞伎が見たいワイ!
あふてハ
今昔狐夜噺 13 (いまハむかし きつねのよばなし) 十一丁裏 十二丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺十一丁裏
かくてけん
たい、たがいに
いり
□□(欠け)
きつね
火にひば
なをちら
して
たゝかい
しが、ついに
へいけがた、うちまけ、
いまハこれまでなりと
あんとくてんわうを
はじめにゐのつぼね
さんみのつぼね、あまた
のいちもん、われも/\と
うみのなかへとび
こみ、/\、むなし
くなりたもふと
みへたるハみな
たり すいくわに
大いしにいたし
てにあたる
もの、なんでも
かでも、かハの
なかへどぶり
/\とうち
こみける、
今昔狐夜噺十二丁表
ちうしんくら
ならバ十一段目の
ようちといふところ
にてそうざちう
のこらずいでゝ
くげになるきつねもあり
おもい/\の
あんじを
つけて、いろ/\に
おちをとる
そのほかハ
みなてどり
かわなかへ
うちこむ
ゆくにて
いたつて
いそがしき
ところなり
今昔狐夜噺十二丁表
「よろい
むしやが水に
あふてハたり、な
すびのな
がれる
やふに
どん
ぶり
こ
と
むかし
ばなし□□(欠け)くを
かきいれける事もねへす
今昔狐夜噺十一丁裏
かくて献体、
互いに
入り
□□(欠け)
狐火
に火花
を散らして
大海
しが、ついに
平家方、打ち負け、
今は是迄也と
安徳天皇を
初めに位の局
三位(さんみ)の局、頭
の一文、我も我もと
海の中へ飛び込み、飛び込み、
虚しく
成給うと
見えたるは皆たり
遂行に
大石に致し、
手に当たる
物、何でも
かでも、川の
なかへ どぶりどぶり
と打ち
込みける、
今昔狐夜噺十二丁表
忠臣蔵
ならば、十一段目の
様、ちと(ちょっと)言うところ
にて、そうざちゅう
残らず出でて
公家に成る狐も有り
思い思いの
暗示を
付けて、色々に
おちを取る、
その他は
皆手取り
川中へ
打ち込む
行くにて
至って
忙しき
所也
今昔狐夜噺十二丁表
「鎧
武者が水に
合うて渡り、茄子の
流れる
様に
どんぶりこ
と
昔話□□(欠け)くを
書き入れる事も無へす
あんとくてんわう(安徳天皇)(1178~1185)
第八一代天皇(在位1180~1185)。
高倉天皇の皇子。名は言仁ときひと。
母は平清盛の娘建礼門院徳子。二歳で即位。
平宗盛に擁せられて、西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。
ちうしんくら
ならバ十一段目
忠臣蔵ならば、十一段目 吉良邸(きらてい)
高家表門討入/ 高家奥庭泉水/高家炭部屋本懐/両国橋引揚
数々の苦難悲劇を乗り越え、とうとう敵討ち当日がやって来る。
高家の門前に集合した塩冶浪人たちは、一人一人姓名を名乗り、由良之助の合図で屋敷の中になだれ込んだ。
目指すは、高師直ただ一人である。激しい争闘ののち、夜明けも近づいたころ、浪士たちは炭を保管する小さな小屋に隠れていた師直を見つけ出す。由良之助は判官形見の短刀で、敵師直の首を取った。
無事目的を達成した浪士たちはエイエイオーと勝鬨をあげ、両国橋をわたって主人塩冶判官の眠る泉岳寺へと向かうのだった。(歌舞伎美人 松竹株式会社引用)
本文では、高家奥庭泉水の場。
『仮名手本忠臣蔵』を片岡仁左衛門を頭に、通しで見たい!
かきいれける事もねへす(掻き入れることも 無ぇす!)
ねへす この「無えす」強いては「・・・す」全般はTVを見ていると、関東圏のタレントなどが多様している感が強い。
「・・・す」江戸時代から使われていたわり合いにぞんざいな言葉だと知った。
それにつけても、
歌舞伎が見たいワイ!
今昔狐夜噺 12 (いまハむかし きつねのよばなし) 十丁裏 十一丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺十丁裏
ぜんてへこの
いくさハゆう
□(欠け)ふ成る行く
さ、□□(欠け)よしつね
ゆみをとり
おとして
これをとり
あげんと
てきのふね
まちかく
きたりて
めのまへの
てきをハ うち
とらずりのふみ
をとり あけんとす
てきがたもよしつね
にハかまわずたつた
いつてうの三、四人
がよつてかゝつて
かのやみをばい
やつている、ゆみもひきかた
あつちへひつぱり、こつちへ
ひつぱりしていたところが
とふじひがくれてしまつた、
今昔狐夜噺十一丁表
三人のてやいが
くまでをもつて
かのゆみをかきよせる
とみえしハ、よなべ
しごとのから
さほ、うちなり
うつたびごとに
ほこりたちて
おのづから
なみのたつ
やふにみゆる、
「これもちよつ
くらちよちと
このてやいを
かうならべて
ゆみながし
とハ、どで
ごんす」
と、き
つねの
ほうでハ
しやれて
い□(欠け)
ろふ
今昔狐夜噺十丁裏 下
く
まで
ござ
れ
あま
ざけ
しハ
じよ
今昔狐夜噺十丁裏 下
えい
くひき
あげ
てあ
つぱ
れ
の
とん
とい
わ
れ
たい
今昔狐夜噺十一丁表 下
「おもてきたのに
おさんどのハ
ねむるよウ
今昔狐夜噺十一丁表 下
「キャ/\
とつさんハ
よい/\
になつた
そふ
だ
今昔狐夜噺十丁裏
全体この
戦は、ゆう
□(欠け)ふ成る行く
さ、□□(欠け)義経
弓を取り
落として
これを取り上げんと
敵の船
真近く
来たりて
目の前の
敵をば 討ち取らずりの文
を取り上げんとす、
敵方も義経
には構わず、たった
一丁の三、四人
が寄ってかかって
かの闇をばい
やっている、弓も引き方
あっちへひっぱり、こつちへ
ひっぱりしていた所が
当時、日が暮れてしまつた、
今昔狐夜噺十一丁表
三人のてやいが
熊手を持って
かの弓を掻き寄せる
と見えしは、夜なべ仕事のから竿
打ち鳴り
打つ度毎に
埃立ちて
自から
波の立つ
様に見ゆる、
「これもちよっくらちょっと(ちょち)と
このてやいを
こう並べて
弓流し
とは、どうで(どで)
ごんす」
と、狐の
方では
洒落て
い□(欠け)
ろふ
今昔狐夜噺十丁裏 下
熊手
ござ
れ
甘酒
しわじょ
今昔狐夜噺十丁裏 下
えい
食い気(くひき)
上げて、
あっぱれ
の
とんと
言われたい
今昔狐夜噺十一丁表 下
「思て来たのに
おさんどのは
眠るよう
今昔狐夜噺十一丁表 下
「キャキャ!
とっさんは
よいよい
に成った
そふ
だ
てやい (てやい、てあい) (方言)
そんな人、連中、やつ
よいよい
手足がしびれたり、口や舌がもつれたりする病気の俗称。
今回も本文に義経の名が出てきた事だし
たいそう、
歌舞伎が見たいワイ!
今昔狐夜噺 11 (いまハむかし きつねのよばなし) 九丁裏 十丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺九丁裏
いつ
ちはじ
□(欠け)にこゝに
み□□□(欠け)
へんにと
かきだし
たるハこゝて
このとりゐ
をだそふ
ばかりなり
よしつねの
はつそふとび(ママ)ハ
よくとりゐを
とびこしたる
きつねのやく
にて、なんのくも
なく ひよい/\と
とびこゆる
のとのかみ
のりつね(ママ)に
なりたる き
つね、おなじと
つゝいてとび
けるが、ふみ
はづして、まつ
今昔狐夜噺十丁表
さかさまに
おつこちたり、
のとのかみも
ついにはじゆ
すいせう事
あれハけつく
きつねの
おちたるも
もつけの
さいわいなり、
「よしつねに
なりたる
きつねハ
きのきいた
やつにて
うぬがしる、
ぷをおつた
てゝ たちの
うわさやと
見せるおもい
つき、これらか
めのつけ
ところなり
今昔狐夜噺九丁裏 中
「とんだり
はねたり
十万
もんが
きいて
あきれ
らあ
今昔狐夜噺九丁裏 下
「これさ
いつしよに
こばりせへ
つきやいを
しらぬ へ
おとこ
だ
今昔狐夜噺十丁表 中
「はつそう
つゞけて
とぶものハ
ほかにハ
おそらく
あるめへ
と
おもつた
に
うたいの
てやいハ
おいろ、より
いつそう
よけい
とぶと
いふ事だ
今昔狐夜噺九丁裏
いつ
ちはじ
□(欠け)に、此処に
み□□□(欠け)
へんに、と
書き出し
たるは、此処で
この鳥居
を出そう
ばかり也、
義経の
八方飛び(ママ 飛び六法)は
よく鳥居を
飛び越したる
狐の役に
にて、何の苦も
無く ひょいひょい!と
飛び来ゆる
能登守
宣常(ママ)に
成りたる 狐
同じと
突くいて飛び
けるが、踏み外して
真っ逆さまに 今昔狐夜噺十丁表
落っこちたり、
能登守も
ついには じゅ
すいしょう事
あれば、気づく
狐の
落ちたるも
もっけの幸い也、
「義経に
成りたる
狐は
気の利いた
奴にて
うぬ が知る、
尾をおった
父達の
噂やと
見せる思い
付き、これらが
目の付け
どころ也
今昔狐夜噺九丁裏 中
「飛んだり
跳ねたり
十万文が
聞いて
呆れ
らあ
今昔狐夜噺九丁裏 下
「これさ
一緒に
こばりせへ
つきあいを
知らぬ屁男
だ
今昔狐夜噺十丁表 中
「発想
続けて
飛ぶものは
他には
おそらく
有るめぇ
と
思った
に
謡の
手合いは
お色より
一層
よけい
飛ぶと
云う事だ
ぷをおつたて
ぷ(尾っぽ)
尾をおっ立てて
よしつねの
はつそふとび
八方飛び(ママ)
飛び六法の事
花道で義経に扮した狐が六法を振って帰って行くのは、狐六法と呼んでいる。
『義経千本桜』を通しで見たい。
よくとりゐを
とびこしたる
江戸時代は、こう云った演出だったと、感心する。
江戸時代の狂言は、薄暗い蝋燭と明かり窓の芝居小屋で上演されたという。
よくとりゐを
とびこしたる
江戸時代の狂言に触れることができ、『今昔狐夜噺』の
きつねの
おちたるも
もつけの
さいわいなり、
では無いが、江戸時代の演出を感じられ、これぞ乱鳥にとっては、もっけの幸いである。
兎に角、狐であろうと鳥であろうと、今回も叫ぶ信天翁。
歌舞伎が見たいワイ!
今昔狐夜噺 10 (いまハむかし きつねのよばなし) 八丁裏 九丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺八丁裏
くまがへのか郎になり、きつねハ
よきてきもあらバと、うろつき(欠け)
ながら、あつもりをみつけ
き□□□(欠け)もてきにしつぽ
をみせたもふもの かな
久したまへとあふ
ぎをもつてまねきけれバ
こゝろへたりとむくりんの
さゆふあつまり、くまがへに
わたり、あいついにうち
まけたりけるに、くまがへ
いたわしくおもひ
たすけんとひき
おこしけるとき
うしろかたの
やまてより
ひらやまのむしや
どころ、くまがへこそハ
ふたごゝろひとつ
あなのきつね也と
よばわりけるゆへ
ぜひなく くまがへ
あつもりをうちて
そのみは しゆつけ
せしとなり
このきつねよく
今昔狐夜噺九丁表
人をだまして
ぼうすにせし
むくい
にて
ついに
ぼうす
に
なり
ける
也
今昔狐夜噺九丁表
「二ぢう五さいのその
うちでも いつ ちせう
くわんとよばれたる
かぼちやのごまじるハ
ひらやまのむ
しやどころとう
なすつた、こう
まいつたといゝ
ぬけたくても
ぬけさせね
なんきんめ
がねにみつけ
たれバ、うぬら
がいのちの
あさつけ
なますで
おさらバ/\とハ
イヤ、ふてい
やつらだ
アヽ、くちが
すく
なつた
今昔狐夜噺九丁表 下
「あつもりになりたるき
つねハこのつぎにもゆくが
あるゆへ、はやがわりにて
ちゆつと
今昔狐夜噺九丁表 下
いしほとけ
とすりかわり
こゝらが
よつほど
あんばいもの也
今昔狐夜噺八丁裏
熊谷の家老になり、狐は
良き敵も有らと、うろつき
ながら、敦盛を見つけ
き(つね)□□□(欠け)も的に尻尾
を見せ給う物哉
久し給えと扇
を持って招きければ
「心得たり」と、むくりんの
さゆう集まり、熊谷に
渡り、相次いに打ち負け
たりけるに、熊谷
労しく思い、
助けんと引き
起こしける時
後ろ方の
山手より
平山のむしや
どころ、熊谷こそは
二心ひとつ
穴の狐也と
呼ばわりける故
是非無く 熊谷
敦盛を討ちて
その身は 出家
せしとなり
この狐よく
今昔狐夜噺九丁表
人をだまして
坊主にせし
報い
にて
ついに
坊主
に
成り
ける
也
今昔狐夜噺九丁表
「二十五歳のその
内でも 何時 馳走
食わんと呼ばれたる
南瓜の胡麻汁は
平山のむ
しやどころと
うなすった、こう
まいったと 言い
抜けたくても
けさせね
南京眼鏡に
見つけ
たれば、うぬ等
が命の
浅漬け膾で
おさらば、おさらばとは
いや!不貞
奴らだ
ああ! 口が
酢く
成った
今昔狐夜噺九丁表 下
「敦盛に成りたる狐は
この次にも行くが
有る故、早変わりにて
ちゅっと
今昔狐夜噺九丁表 下
石 仏
と摩り替わり
此処らが
よっほど
塩梅物也
くまがへ (熊谷直実)
歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』熊谷陣屋
「一枝を伐らば、一子を斬る」の台詞は、あまりにも有名^^
この芝居も、私的には 片岡仁左衛門丈で見たい。
あつもり (平敦盛) (ウィキペディア)
平 敦盛(たいら の あつもり)は、平安末期の武将。
平清盛の弟・経盛の末子。
位階は従五位以下。
官職にはついておらず、無冠大夫と称された。
笛の名手。
歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』「敦盛最後」
「汝がためにはよい敵ぞ。名乗らずとも、首とって、人に問へ。見知らうずるぞ」の台詞は、あまりにも有名^^
「あつもりになりたるき
つねハこのつぎにもゆくが
あるゆへ、はやがわりにて
芝居が見たい。早変わりの有る歌舞伎も見たい。
ちゆつと
いしほとけ
とすりかわり
こゝらが
よつほど
あんばいもの也
上に書かれている様に地蔵ではないのですが
『菅原伝授手習鑑 』菅丞相と木像菅丞相の場面を、今一度片岡仁左衛門丈で見たい!
歌舞伎が見たいワイ!
写真は、イラン
映画『Chronicle of a Blood Merchant いつか家族に』韓国
久々に、映画を見た。
ラストに近い子供と父の再会場面で、乱鳥 大泣き。涙が止まらなかった。
この映画は好きだな。
今回も記録のみにて失礼いたします。
1950~60年代の韓国の地方都市を舞台に、ある家族の複雑な運命とそこで浮かび上がる家族愛を、ハ・ジョンウ、ハ・ジウォンら人気スター陣の共演で描いた家族ドラマ。
中国の作家、ユイ・ホア(余華)による小説「血を売る男」を、かつての韓国に舞台を置き換えて映画化。ある夫婦の子どもの1人が、実は父親が異なり……というシリアスな物語ながら当事者たちの反応は予想外にコミカルで、いつしか家族の絆に感動を誘われるユニークな作品。さらに物語当時の韓国を知る人なら、ノスタルジーを誘われるはずだ。人気も実力もあるハ・ジョンウとハ・ジウォンの共演も見もの。監督は「チェイサー(2008)」「哀しき獣」など俳優として活躍し、本作が監督2本目となったハ・ジョンウ。
今昔狐夜噺 9 (いまハむかし きつねのよばなし) 七丁裏 八丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺七丁裏
だんじのかたより
このおやの四郎と
そのつていでたりハ
ゆつ□□(欠け)きつね
にて、これまで
かいてうばの
つくりもの
見るやふな
おもいつき
ばかりして
いてもおも
しろく
もない
とみへ
てめい
/\に
やゝわり
をなし、
それ/″\に
けんげんを
するつもり
にて きて
こそ、お
せう
じきの
くわん
けと
今昔狐夜噺八丁表
やらかし
たるなり、
あくも
びやうへ
かげきよも
むしろ、おど
しのよろひに、
ねりまだいこんの
なぎなたをよこたへ
みをのがやきたる
しやれかうべの
かぶとのしころ
をとらへ、「ゑいや」とハ
いわず、うしろへ
そつとひきける
みをの やも、みを
のがれんと、そつと
ひく、たがいに そつと
ひくちからに ふつつりと
きれたるも、どうり、いけの
もをかぶりいたるなり
くびのほね もうででの
ほ□□(欠け)つよくもなん
ともないと わらつて
さゆふへ、ひきしりぞ
今昔狐夜噺七丁裏 中央
こん八の武者が、左手には先が大根の薙刀を持ち、
右手で髑髏の武者を鷲掴みにしてたつ。
「とをからんものハ
おとにもきけ
ちかくハよつて
みをのやが
しころを
つかんで、ぐつ
とひき、「どふだ
はなぢハ」と
まつやしたる
今昔狐夜噺七丁裏 下
「なぎなたも
ふるく
なる
と
けが
はへる
そうだ
今昔狐夜噺八丁表 下
「なむさん、かたなを
へしおつて、とげを
たてたかげきよ、
けぬきがあらバ
かさりやへ
今昔狐夜噺七丁裏
男児の偏り
この親の四郎と
その伝手(つて)出でたる(り)は
ゆつ□□(欠け)狐
にて、是迄
開帳場の
作り物
見る様な
思い付き
ばかりして
いても面白く
も無い、
富へ
てめい
てめいに
ややわり
をなし、
それぞれに
権限を
するつもり
にて、来て
こそ、和尚
次期の
関係と
今昔狐夜噺八丁表
やらかし
たる也、
悪も
びょうへ
景清も
むしろ、脅し
の鎧に、
練馬大根の
薙刀を横たえ
身を逃や 来たる
髑髏の
兜のしころ
を捉え、「えいや!」とは
言わず、後ろへ
そっと引きける
みおの やも、身を
逃れんと、そっと
引く、互いに そっと
引く力に ふっつりと
切れたるも 道理、池の
藻を被り至る也、
首の骨詣での
ほ□□(欠け)強くも
何とも無いと 笑って
作用へ、退きぞ
今昔狐夜噺七丁裏 中央
こん八の武者が、左手には先が大根の薙刀を持ち、
右手で髑髏の武者を鷲掴みにしてたつ。
「遠からんものは
音にも聞け
近くは寄って
身をのやが
し頃を
掴んで、ぐっ!
と引き、「どふだ、
鼻血は」と
待つや、したる
今昔狐夜噺七丁裏 下
「薙刀も
古く
なる
と、
怪我
は減る
そうだ
今昔狐夜噺八丁表 下
「南無三、刀を
圧し折って、棘を
たてた景清、
毛抜きが有らば
飾り屋へ
かげきよ(景清) 宝生流謡曲
●あらすじ
平家没落の後、日向に流された悪七部衛景清を慕って、幼い頃別れた娘の人丸が訪ねてくる。景清は盲目となり老残の身、それを恥じて娘を立ち去らせるが、里人の計らいで対面することになる。 景清は武将としての栄光の日々を追懐し、娘の所望により屋島の錣引きの武勇譚を語る。 父娘の情愛に心惹かれつつも、それを断ち切り、わが跡を弔うようにと言い含めて、永遠の決別をする。
●宝生流謡本 (参考) 内九巻の二 四番目 (太鼓なし)
季節=不定 場所=日向国宮崎 稽古順=奥伝 素謡時間65分(松門節が有名)
素謡座席順 ツレ=従者
ツレ=人丸
シテ=景清
ワキ=里人
『景清』は歌舞伎十八番では馴染みがあるが、残念なことに能楽では見た事が無い。又、『出世景清』もまだ読んでない。
南座では市川海老蔵の『寿三升景清』を見た事があるが、歌舞伎の形式美に則った歌舞伎の醍醐味が感じられる、台詞が少なめの芝居であった。
練馬大根
大根役者
演技力のない役者、芸のまずい役者をあざけっていう語。大根。
おぉお〜、まさしく(江戸時代から)
大根役者か(^^)
けぬき 『毛抜』の歌舞伎十八番。
「なむさん、かたなを
へしおつて、とげを
たてたかげきよ、
けぬきがあらバ
かさりやへ
『毛抜』と云う芝居も何度見た事でしょう。
テレビも含めて十代から考えると少なくとも30回以上は見たと思うが、故市川團十郎の『毛抜』の台詞のアクセントが、今も耳に残って離れない。
江戸時代からこういったコメディ色の強いしゃれた舞台があったのかと思うと、日本の芝居も捨てたものじゃ無いなと感じる。
って云うか!!!
歌舞伎が見たいワイ!