第6回龍馬伝。
松陰先生は熱かった…(笑)
誰かに似てる…。ダレダロウ?
そしてやっぱりしっくりこない桂小五郎像…
↑は長州の松陰歴史館にあった松陰先生の蝋人形。
7年位前に萩に行ったときの写真。
CD-R探ってみたらありました!
松下村塾。
松陰先生は日本を代表する偉大な教育者の一人。
たぶん、日本の歴史上ベスト3に入ってたような。
萩城跡前。
他にもいろいろ桂さん家とか、高杉さんのお墓とか
いろいろめぐったものです。
萩めぐり、また行きたいな♪
そうそう、萩のハードレールはみかん色ってところに驚きました。
龍馬伝で米国と日本とのやりとり、
日米和親条約やらなんやらやってるとの見てると、
その前後にペリーが琉球に訪れていること、
米国と琉球とのやりとりや琉米修好条約なんかことに思いが巡ってドキドキするワタシ。
はい。そりゃーもー、「テンペスト(下)」の影響ですよー(笑)
(ね、フミさん♪)
日米のよりもかなり琉球側に優遇した条件で締結できたらしいですね。
ペリー提督が文箱を受け取った瞬間、
琉米修好条約が締結した。
1858年7月11日のことである。
しかし、同席していた高級将校たちは
この文言が琉球に圧倒的に有利であることに憤りを覚えた。
米国に有利だと思われた交渉は、
王府から派遣された宦官によって、抽象的な条約に変えられてしまった。
――よかった。これで琉球の主権は守られた。
寧温、上手くやったね。
「テンペスト(下) 234-」より (池上永一著/角川書店)
あれー。
龍馬伝の話がテンペスト行脚みたいになったね
同時代の話なので、この機会に是非「テンペスト」を(笑)
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