ラジオ小説「月下に語る」の記事がずーーーっと続いていたので、
すごく久しぶりな史跡めぐり記事です!
おととい、北山グスク巡りに行ってきました!
しかも、グスク&琉球史の専門家さんお2人に案内してもらったという、
超贅沢なグスク巡り
専門家さんですから、
ただのグスク巡りじゃないですよ。
…さすがのワタシも一人じゃ絶対無理!!!!
(色んな意味で(笑))
っていう超マニアックな場所に連れて行ってもらいました!
まず行ったのが、恩納村の山田グスク。
(…えっ、山田は中山だって?おっしゃる通り(笑))
実は山田グスク界隈は過去に行ったこともあったのですが(★ ★)、
そんな誰もがいける表の山田グスクじゃない。
鎌を手に、草を刈り、枝を切り落とし、道なき道を行く、
山田グスクの内部に潜入です!!
(でも前行くお二人が伐採して道を作ってくださったのでワタシは楽させてもらいました)
こちらが山田グスクのとりあえずの入り口。
入り口らしいでしょう?
でもコレは帰りに撮ったものなので、
草が刈られて道らしくみえるのです。
最初は絶対入り口だと気付かない、草ぼーぼーエリアでした(笑)
草を掻き分け内部に潜入すると、
どーんと現れたのはトップ写真、ガジュマルの下に高炉が置かれた御嶽。
立派なガジュマルでした。
で、その裏が主郭、正殿跡地エリア。
山田グスクといえば、そう、
護佐丸ですね!!
護佐丸といえば、読谷の座喜味グスクや中城の中城グスクが印象が強いですが、
もともとは山田グスク生まれ。
今帰仁城主(監守)となる20代後半までの護佐丸が暮らしたであろうエリアなのですネ!
※護佐丸27歳くらいの時、尚巴志軍の北山討伐に参加。
その武功を認められ北山城主攀安知亡き後の北山(今帰仁)監守に任命されます。
正殿跡地エリアはそんなに広くない印象。
でも、攀安知の住んだ今帰仁グスクの正殿もそんなに大きくないから
こんなものかもね。
グスクらしい痕跡といえば、石垣でしょうか。
わずかではありますが、
ちゃんと残っていましたよ!
主郭を囲っている石垣跡。
分かりにくい?
ではこちらをどうぞ。
山田グスクの石垣は、
実は護佐丸が後に座喜味グスクを築城する際に、
山田グスクの石垣を崩して、その石を運ばせた、
という話があります。
その故か、石垣の下の、根石のような部分だけが見えます。
中城グスクのような、首里城のような、
細長い全体図を持つ山田グスク。
主郭の奥のエリアに進むとまたぽっくりと平場が登場。
ちょっと安慶名グスクの二の郭裏のエリアみたいな雰囲気。
↑本当はあたり一面ツワブキでした
城壁がきれいに残ってる。
…が、この城壁が護佐丸の時代のものかどうかは微妙だそうです。
主郭隣の城壁にしては石が小さすぎるのだとか。
なるほど、確かに。
さらに奥に進み、のぼったり降りたりしながら行くと、
…おっ!城壁が崩れたあとだ!
しかも、石が白いのを見ると最近っぽいよ!?
もしかして、アノ2月の地震の時だったりして?
この石は、城壁表面の石ではなく、
城壁の中に埋め込む、
ナントカっていう石だそうです(名前忘れた…)。
ああ、確かに勝連グスクの城壁復元工事なんか見てると、
城壁の内部にこういう石をぎっしり詰めてますね。
そんなこんなの山田グスク内部潜入でした!!
この後、護佐丸父祖の墓参りもして2時間みっちり山田グスク。
それでも散策したのは半分だけでした。
(つづく)
*おまけ写真*
たけのこゲット!(笑)
歴史ブログ 琉球・沖縄史
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