がじゅまるの樹の下で。

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弁ヶ岳、阿麻和利VS王府軍の地?

2011年06月06日 | ・琉球史散策/第一尚氏

しゅーりーの東ーのー

べんーがだけ~

…というのは、母校の校歌。

でもこのフレーズしか覚えてない(笑)

というわけで、首里の東にある弁ヶ岳(べんがだけ(弁ヶ獄))です!

やっと、データの山から発掘され日の目を見ることになりました(笑)
(2009年と今年1月に撮った写真です

 

弁ヶ獄は琉球王府にとっても重要な御嶽の1つ。

首里城の立地にも風水的に重要なモチーフになっている山です。

首里城の西のアザナにたつと、
弁ヶ岳の位置も確認でき、
首里城の風水的な立地条件が分かりやすく見られますよー。

王様が直接参拝にも来ていたそうで、
今でもウートートーする方々をよく見かけます。

高校在学中はしょっちゅう通っていながらも全く気付かなかったのですが、
拝む場所である香炉は1つではなく
たくさんあるんですね~。

(余談ですが、同じ高校出身でもあるテンペスト作者の池上さんは登下校中ここでしょっちゅうマブイを落としていたとかなんとか(笑))

琉球政府文化財保護委員会の石碑。

 

「琉球政府」っていうのは
復帰前の証拠。

日本政府じゃないの。

沖縄政府でもないのだ。

 

ではここで、弁ヶ岳にまつわる阿麻和利ネタを。

1458年

中城戦で護佐丸を討った阿麻和利。

引き続き首里を攻めようと思いあぐねているところに
妻である百十踏揚が守役・鬼大城と共に勝連グスクを脱出。

それに気付いた阿麻和利は急いで軍備を整え
首里城に火矢を射ります。

が、応戦した首里軍とここ弁ヶ岳付近で一戦交えます。

しだいに追い詰められ、
結果、勝連へと敗走した、

というエピソードもあるんですよ。

そして、その後、勝連グスクに王軍が攻め入ってくるんですね。

(“弁ヶ獄付近で”というのは歴史書に記述はないんだけど…
どこかで見たor聞いたんだよな~。なんだっけな…

なので、創作小説『月下に語る』で、
勝連戦を前に阿麻和利と百十踏揚が分かれるシーンも、
(小説だったら2/4、ラジオ小説だったら4話

ワタシのイメージではこの弁ヶ岳(山)のイメージ、距離感なのです(笑)

弁ヶ獄についての、案内板はこちらからどうぞ~。

(↑画像をクリックすると拡大します)

  

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コメント (2)
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