がじゅまるの樹の下で。

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尚巴志と名護グスク

2011年07月27日 | ・琉球史散策/グスク時代

久々に登場☆
名護城(なんぐすく)です~。

これまで名護グスクに行くときは車で上ってましたが、
先日初めて階段で名護グスクの↑神社までのぼってみました。

き、きつかったッス……
(甘く見てたわ

 

降りは膝が大笑い(も~大爆笑)!

皆様も一度は是非チャレンジを!(笑)

 

 

さてー、名護グスクといえば名護按司。

名護按司は以前もちょこっと書きましたが
尚巴志の北山戦にも関わっている按司です。

名護は言うまでもなく「北山」エリアに入るのですが、
北山王攀安知を見限って中山の尚巴志に下ります。

「中山世譜」によると、
名護按司だけでなく、羽地按司、国頭按司も尚巴志に下ったので
いかに尚巴志の勢いがあったのかが分かりますね。

 

 

では物語風な描写が面白い「中山世鑑」から
尚巴志の北山戦における名護按司の役割をもうひとつご紹介☆

 

その軍勢(尚巴志軍)は永楽20年(1422年)壬寅3月11日に首里を立って、
12日に名護に到着して軍を二手にわけた。

越来按司、読谷山按司が背後を攻める大将として、
名護按司を道案内に800余騎が山路から山北城に向かった。


「中山世鑑」
(※中山世鑑は年号に関しては色々と誤りがあったりします)

 

 

というわけで、尚巴志はもちろん、
護佐丸(たち)を道案内したのは名護按司ということですね!

名護按司、道案内グッジョブ!!

それにもしかしたら尚巴志軍も名護でいったん宿泊したはずね。

もしかしたら尚巴志は名護グスクで接待とか受けたはずね。

そう考えたらまた面白いかも?(笑)

 

というわけで、尚巴志の北山戦をモチーフにした
現代版組踊シリーズ「北山の風~今帰仁城風雲禄~」は7月30日、
琉球浪漫シアター「三山統一の王・尚巴志~北山攻防譚~」は8月5日です!

 

よし、まとまった!!(笑)

 

all photo by ケータイ

 

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コメント (2)
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