仲栄真グスク、内部散策記。
2回目の訪問で石垣のあった駐車城側ではなく、
左側の藪の中にダイブしてみました。
草刈してある時期ならいいのでしょうが、
どこから入ればよいのか見落とすくらい草ボーボー。
行く先々は蜘蛛の巣だらけ(いずれもデカイ蜘蛛つき)で
目の前を棒で払いつつ前進。
中にちょっと入ると平場があって。
一段高くなっていて、中央に拝所、
その奥にまた拝所がありました。↓
あとからいただいた約20年前の側略図によると、
この平場が「主之殿内」、奥が「火之神」のようです。
ちなみにこの平場の反対側は
住宅につながっていました。
平場の横の、大きな岩の裏側が気になって、
ガサガサ進んでみると…。
周りを石積で囲んである場所が。
どうやら崖葬のようです。
穴の奥をのぞき見ると、奥にも石積みが。
なんか志喜屋グスク思い出しました…。
さらにその奥に、こんなお墓があったんです。↓
これまで見てきた数ある崖下風葬のお墓の中では実に立派な構え。
周りは石垣で囲まれていて、由緒ある雰囲気を醸し出してる。
見たとたん頭をよぎったのが、仲栄真グスクにまつわる伝承。
尚泰久の四男(八幡加那志)の居城で
第二尚氏のクーデターの際、対抗する第一尚氏の勢力が集った場所、と。
なんかこのお墓と関係ありそう。
前述した側略図によると、ココは「南山のアジシー」
アジシーとは、門中の創立元祖以前の先祖の墓のことらしいです。
現在は「墓」というより「拝所」化されたものが多いのだとか。
門中……仲栄真グスクだから仲栄真門中?
……気になって調べてミタ。
尚泰久の四男・八幡加那志の後裔は「習氏」。
門中辞典で習氏から調べてみたら、現在の小嶺家や喜屋武家。
…ん~、仲栄真さんじゃない。
仲栄真グスク←→仲栄真姓←→八幡加那志
っていうつながりはイマイチ分からないままか~…。
それか、やっぱり仲栄真グスク=仲栄真姓って限らないのかな~?
と、フト尚泰久の次男、多武喜の記述に目を移したら、
後裔・仲栄真家。
ありっ!?
そんでもって、仲栄真門中の墓って、
、
…百十踏揚と多武喜の墓の隣のアレか!
ってか、だから隣なのか!
ってここで別の納得(笑)。
とりあえず仲栄真グスク。
あのお墓と四男とのつながりはイマイチ分からなかったけど、
尚泰久の息子たちとの関わりはあるグスクであることは
どうやらアリそうです。
誰か知ってる人がいたら教えてほしいですm(_ _)m
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尚泰久の息子たち。
長男→安次富金橋
次男→美津葉多武喜
三男→尚徳(※7代目国王)
四男→八幡加那志
五男→尚武江洲按司
尚徳は八幡王子(中山世鑑)、神名・八幡之按司(中山世譜)なのに
四男が「八幡加那志」ってかぶってるのもなんか意味深…?
なお、尚泰久の子孫の方は今もたくさんいらっしゃいます。