那覇市安里にある安里八幡宮。
次々と新しい建物がたてられ沖縄県屈指の“都会”になった
那覇新都心のすぐそこ。
密集した住宅街の中に
ちょこんとありました。
では、久々に百十踏揚行脚記事。
■安里八幡宮■
安里村に差しかかった時のことだ。
鳥が一羽、鳴いて飛んで行った。
尚徳王は素早く弓矢をつがえ、
≪若し我、奇界を平ぐるを得れば、一矢にて鳥を射落とさん。
若し平ぐることを得ざれば、又射ること得ざらん≫
(球陽)
と、天を仰いで祈り、
ハッシ!
と、弦音を響かせて矢を放った。
矢は見事、鳥に命中し、鳥は射ぬかれて落下した。
可哀想に、何の鳥だったか……。
しかし、勇み立つ尚徳王は、鳥の命など省みる心なんかない。
鳥どころか、これから喜界の人民を、
殺しに行くのだった。
飛ぶ鳥を射落として、尚徳王は、
「喜界はもはや平らげたも同然」
と大いに喜び、兵たちも歓呼を上げて、王を讃えた。
*
(凱旋後、尚徳王は鳥を射た安里村に宮を建て、八幡宮と名付けた。)
「百十踏揚 627-」(与並岳生著/新星出版)
あ、そうそう、もうお分かりかと思いますが、
尚徳と言えば刀よりも弓というイメージはここからです。
(@琉球戦国列伝)
ちなみに尚徳の神号は「八幡之按司」
八幡は軍神、武の神。
左三つ巴は八幡の紋。
(→尚家家紋、左三つ巴を考える【2】)
なので碑↓にある左三つ巴は、
尚徳王という尚家に関係のある神社だからではなく、
左三つ巴がもともと八幡宮の紋だから。
だーかーらー、
なんで尚家の家紋が左三つ巴なのか
なーぞーなーのーでーすー。
いまだに。
一体いつこの左三つ巴が琉球に入ってきて
いつから王家(尚家)の家紋になったのか。
家紋フリークのワタシとしては
どうしても気になるのです…。
ついでに言えば、
尚泰久の三男である尚徳の神号は八幡之按司ですが、
尚泰久の四男は八幡加那志。
仲栄真グスクに住んでいたというあの四男。
八幡が2人いる尚泰久の息子たち。
(でもおそらく異母兄弟)
なんだか深読みしちゃうのはワタシだけ?
とりあえず琉球における左三つ巴の謎は
尚徳とかここらへんの年代になにかある気がする…。
(今のところ最古の左三つ巴は1500年の百按司墓木棺)
尚家の家紋になったのは、もっと後だとして。
社の中心には鏡。
お賽銭箱の隣には
オリオンビールのダンボール箱(笑)
(もちろん空箱でしたが)