アマミキヨ関連で、今日は浜比嘉島のもう一つの史跡、
「シルミチュー」のご紹介。
こちらは「お墓」ではなく、「霊場」として知られています。
勝連“町”時代のままの案内板↓
ここでのシルミチュー(シネリク)、アマミチュー(アマミキヨ)は一男一女の人。
天から降臨した中山世鑑のアマミキヨ伝説とは
ちょっとニュアンスが違う。
ではちょっと中山世譜の冒頭をご紹介。
未生のはじめを対極と名付ける。
その時は混沌としていて、陰陽清濁の区別がなかった。
やがて、おのずから両義に分かれ、
清いものは昇って陽となり、濁ったものは降りて陰となった。
これから天地の位置が定まり、人物が生じた。
はじめ、一男一女が大荒の際に生まれた。
男性はたくましくて女をなつかせ、
女性はすなおで男にしたがった。
月日がたち、おのずと夫婦の道がひらかれ、
人倫が始まった。
参/「蔡鐸本 中山世譜」(原田禹雄訳注)
この一男一女が、シルミチューとアマミチュー。
神と言うよりは人間っぽいね。
そもそも「アマミチューの“墓”」というのも
人間っぽいしね。
人から神に昇華したパターンかしら。
そしてこの二人から三男二女が生まれ…
というのは中山世鑑と一緒。
まぁ、神話の世界は諸説あるもので、
『沖縄琉球王国ぶらぶらぁ散歩』によると
アマミキヨは独りではなく集団で海を渡ってきたというのが定説
とも。
ってことは、
アマミキヨとは個人名ではなく団体名だった(!)
という解釈もアリ…!?
東洲斎写楽のように。
↑石段を登った先には洞窟。
柵がされていましたが御願などの時は入れるようです。
洞窟の入り口には大正6年の石碑。
デザインからして大正っぽい。
近代の史跡としても観れる。
すぐそばは海なんだけど、
緑深い空気に包まれた独特な空間の
シルミチューでした。