がじゅまるの樹の下で。

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丘春と護佐丸と阿麻和利と賢雄の関係図。

2013年12月15日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

この間数年ぶりに屋良グスク(→ )に寄ってみたら
屋良大川按司の墓前にこんな新しい看板が立っていた。

下にある系図が個人的に面白かったのピックアップ↓

 


↑クリックで拡大します(※赤○は和々記入)

 

おっ、言い伝えとか野史を扱った本でよく読んでたものだ。
それを図にまとめたんだー。

阿麻和利をこんなにガッツリ屋良按司の系統に入れて
しかも林堂家まで明記してる…。

別にその説に反対するわけではないですが
(むしろ伝承や口碑や野史大歓迎!がこのブログスタイルですし)
言い伝えの枠を超えてないはずだけど
こんなにハッキリ書ききってしまっていいのかなぁ…と思ってたら、

このパネル、どうやら教育委員会が公式に立てた物ではなさそう…?

史跡の案内板で公式に教育委員会が立てたものなら
ぜったいそう明記されているもの。
(そして歴史学的見解のみが記入されているはず。言い伝えならその旨を書いて断定はしないはず…)

 

もしかしたら子孫とか、そういう関係者が建てたものなのかナ?

この図もそういうスタンスで見るといいかも。

 

 

で、現代版組踊に出てくるゆかりの人物に○をつけてみたよ。

そ~なんだよな~。

うん、信憑性(歴史学的な?)はひとまず置くとしても
分かりやすいわ、この図。


でも横の列を単純に1つの世代として見るなら、
阿麻和利・護佐丸が同世代で
賢雄が2世代下ってことになりますね。

むむむ…。

やっぱ阿麻和利の出生の謎は
小説「百十踏揚」の設定を取りたい(希望)ワタシです。

ええ、フィクション要素が強かろうとも!
信憑性は0に近くても0じゃないし!
そっちのほうが面白いし!(笑)

 


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