近世、薩摩の支配下に置かれ、
薩摩への行き来が盛んになった琉球。
船で北上し、
本土上陸の玄関口になったのが
指宿市の山川。
前に記事にした石敢當(石散當)でも分かるように、
琉球人の足跡が残っている町でもあります。
現在の山川港。
さつまいも上陸の碑。
(ザビエルもね)
琉球人鎮魂墓碑。
花ブロックも結構見かけた。
山川石の造形。
(河野覚兵衛墓石群)
西南戦争鎮魂碑。
仮屋跡石垣。
武家屋敷石垣群。
道の駅で食べた指宿温泉ソーダと
芋の餡が入ったかつおやき。
(山川はかつおが特産)
津口番所跡。
2009年に薩摩侵攻400年を記念して作られた
琉球人鎮魂墓碑の説明。
明治になり、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で
めちゃくちゃにされた墓石などを集めた
旧正龍寺跡墓石群。
首なし仏や破壊された鬼瓦が痛々しい。
その数ある墓石の中には
1786年の大城仁屋の墓石も。
(写真左下。琉球國の字が確認できます)
右下は現在の正龍寺と仁王像。