北山の風フォトアルバム【後半】
無邪気な千代松
これも好き。仇打ちを決心した千代松の笑顔。
「わかってください。君主と生死を共にできず、必死に私を育ててくれた謝名の想いもむげにはできません」
そうは言っても互いに揺れ動く。このシーンが後半の見どころ。
「丘春…丘春か?」
新演出!千代松よしキターーー!!(゜∀゜)
でもここの心情表現めっちゃ難しいと思う。さて、千代松、何を想う?
写真が多くなりすぎたので
もうちょっと続く。
北山の風フォトアルバム【後半】
無邪気な千代松
これも好き。仇打ちを決心した千代松の笑顔。
「わかってください。君主と生死を共にできず、必死に私を育ててくれた謝名の想いもむげにはできません」
そうは言っても互いに揺れ動く。このシーンが後半の見どころ。
「丘春…丘春か?」
新演出!千代松よしキターーー!!(゜∀゜)
でもここの心情表現めっちゃ難しいと思う。さて、千代松、何を想う?
写真が多くなりすぎたので
もうちょっと続く。
いい正月でーびるー。
旧正月です。
ということは昨日は旧の大晦日。
「とぅしぬゆーる」と言います。
さて、そのとぅしぬゆーる(旧)に行われた
北山の風今帰仁グスク公演に行ってきましたよ。
…さ、寒かった… ((´Д`;))
防寒もかなりして(ヒートテックも靴下も2枚重ね)、
覚悟もしていきましたが、
直前に雨に降られすっかり冷えてしまいました
一時、公演がどうなるのか危ぶまれましたが
なんとか持ち直して無事に開催されましたよ。
みなさん寒い中、薄着の衣装で良く頑張ってました!
今回から一般お客さんの写真撮影は禁止になったのですが
北山てぃーだの会から事前にお電話いただいて
写真担当を仰せつかることになりました。
(…よって本日二の腕筋肉痛中です…)
…でも、レンズも撮影ポジションもこれまでと変わらないので
これまでとあまり変わり映えしない写真です(ノД`)
前ポジションでもっとアップで撮ろうかと思ってましたが
距離が近づけば近づくほどファインダー越しだと視野が狭くなるうえ
ぶれの影響も大きくなるので
冒険は止めてオーソドックスにすることにしました…。
今回頼まれ写真だし。
昼間公演だったら明るいからもっと撮りやすいんだけどネ
ではー、フォトレビュー…っていうかフォトアルバム
一挙公開です。
カメラに集中するといつもみたいな舞台観察は無理なノダ。
経験上、気持ち的に一歩引かないとぶれまくる。
悪っぽい尚巴志様けっこう好き。
「うしーの兄貴、あのお方は誰ね~?」
「この本部を愚弄するか!」
国頭サバクイ、めっちゃ楽しそう♪
今回のお気に入りショット。でもポスターやチラシに使えないだろう写真(笑) 子煩悩攀安知♪
新演出。いいね!
前半の華、攀安知でしたー。
後半に続く
ちなみ今帰仁グスクの桜はまったくもってナッシングでした。
申し訳ない程度にちょろっとある程度。
でも北山の猫と遊べたので良しとする。
340枚の写真編集、がんばりました。
(ダメなの削除してもコレだけ残った…)
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いったいいつぶり?のテンペス関連記事です
この間、那覇に行った時に
千寿糕(せんじゅこう)買いに新垣菓子店に行ったら
こんなリーフレットができていた。
「テンペスト」を正面に出したリーフレット。
表紙も長野さん。
最初の頃は一切テンペストは出してなかったのに…
ビジネス上の折り合いがついたのカシラ(笑)
このリーフレットはひらいてA4サイズなのでとっても小さいのですが、
店舗によってはこの絵のポスターも飾られてて
大きなサイズで見れますよ
(欲しいな~)
中はテンペストの作中に登場するお菓子が
本文引用も含めて紹介されています。
引用箇所、あら、ワタシのテンペスト行脚記事と同じだわ
(ちいるんこうだけ違う)
*テンペスト行脚記事*
花ぼうる・薫餅・ちんすこう・ちいるんこう → ★
大鶏餃・千寿糕 → ★
詰め合わせセットもあるみたい。
首里城にも置いてるのかな~?
首里城、もうしばらく行ってない…
沖縄に来た時には是非GETしてみてください
ワタシが子どものころからある学習マンガ。
『首里城ものがたり』
(監修/又吉眞三 漫画/新里堅新/1992)
この間本屋さんで処分セールしてたので
上下巻まとめて購入しました。
首里城ができてから戦争で焼け落ち、復元に至るまでの
まさに「首里城のあゆみ」です。
この本では首里城の始まり(&浦添からの遷都)は察度王になっています。
(尚巴志説ももちろんあるけどはっきりしてないんだよね)
ちょこちょこ記述に間違いがあるのですが…
(尚泰久が尚巴志の弟とか…)
でもそれぞれの人物がビジュアル化されて会話をするというのは
やはり見ていて楽しいですね
(沖縄関係の歴史漫画は新里さんの右に出るものはいないでしょう~)
では、ちょっとだけお披露目
けんゆーーーーー(笑)
ちなみに左下の「おのれよくも」は屋慶名アカーです。
ってゆーか、そこ出す?
みたいな?(笑)
右ページにある女装してる賢雄のビジュアル化もなかなか見ものですよ(笑)
本部平原ー。
ってゆーか「北山の風」公演前日にここ出す?
みたいな?(笑)
結構ワタシのイメージと近い面構え(笑)
(頬が出ててやや細見のサル顔、目も細め)
先島の偉人たち。
イソバさんが妙にかわいい(笑)
武器が鞭だ(笑)
ちなみにワタシのイソバさん図のイメージは
体育の女教師(兼肝っ玉母さん)、でした
(by琉球戦国列伝)
現代版組踊「北山の風」今帰仁グスク公演は明日18:00~
本公演から入場料1000円で撮影も禁止だそうですので御注意を★
去年の北山の風桜まつり公演の様子はこちらから→ ★
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今帰仁グスクの桜、もう終わってるかな~?
帰宅してから寝るまでの数時間、
色々やりたいはずなのに
今週はどうもイマイチやる気が起こらない…。
とりあえず、ブログはちょっとがんばってUPするようにしてるけど…。
(でも写真編集したり長い文章書く気力はさすがに…
今週の記事は以前に編集してたり下書きしてたヤツです)
昨日見た夢が、また夢診断検索してしまうようなリアル夢だった。
しかも、今回はなかなかショックな展開…。
お陰で今日一日切な気分だったよ…(´_`;)ふぅ…。
でも夢診断によるとそれが現実に起こるというわけではないらしいので
プラスに考えることにします。
…って占いとかジンクスとかそういう類いのは信じないタチなんですけどねー(笑)
でも夢は自分自身から出たことだから妙に気になるよね(笑)
どうせ見るならHAPPYな夢がいいなー。
北中城村でやってるヒマワリまつり?行きたい。
でも週末はずーっと曇り空予報…(ノД`)
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さて、久々の程順則(名護親方)記事。
知っている人にとってはなんてことない内容だけど、
思い込みからか、一般的には意外と知られていない
こんな事実その1。
名護親方と言えば程順則、
程順則と言えば名護親方、
というくらい、がっつりイコールのイメージがありますが、
程順則は人生の大半は
「名護親方」じゃなくて
「古波蔵(こはぐら)親雲上(ぺーちん)」だった。
厳密に言うと
古波蔵親雲上→古波蔵親方→名護親方。
程順則は父親が急逝したため、
14歳の時に真和志(まわし)間切の古波蔵地頭職を継ぎます。
26歳の時に黄冠を賜って「親雲上」の位に、
53歳で紫冠を賜って「親方」の位にになります。
程順則が名護間切の総地頭職に任命され
「名護親方」になるのは
彼が死ぬ5年前、66歳の時なので、
きっと「名護親方」よりは
「古波蔵親雲上(古波蔵親方)」っていうほうが、
本人は馴染んでいたはず。
なので、程順則を語る時に必ずセットであげられる、
六諭衍義や指南広義の持ちかえり、
明倫堂の建設、5回にも及ぶ中国への渡航などは
全部彼が「古波蔵」時代の実績
ということになります。
(ってゆーか、名護親方になってからは特に実績記録ないっぽい?)
参/「名護親方程順則資料集Ⅰ」(名護市教育委員会 名護市史編さん室/1991)
*おまけ*
琉球の階位は
里之子(さとぬし)、親雲上(ぺーちん)、親方(うぇーかた)などがあり
聞き覚えがあると思いますが、
久米村は特有の階位を持っていました。
(若秀才とか秀才とか。他にも通事、中議大夫、正議大夫など)
程順則は25歳の時に黄冠を頂戴したというのでそれを親雲上位とすると、
52歳の時に紫金大夫になった時を親方位と同等とし、
この記事を書きました。
琉球の階位と久米村の階位の相対一覧表はウィキペディアにありますよ。
(つづく)
今年の八重岳桜まつりの写真をまとめた
デジブック「ひとあし、お咲きに。」ですが、
(ブログ記事→★)
今朝から急激にアクセス数が増えて
今日だけで1100アクセス以上も(!)
「イイね!」ならぬ「グッド!」も100以上いただきまして…
ナニゴトッ!? Σ(゜д゜;)
って感じです。
デジブックのホームで紹介されたわけでもないのにな…。why?
コメントもたくさんいただきました!
ありがとうございます
『ひとあし、お咲きに。』
本土はまだまだ寒い日が続くようですが、
濃いピンク色で春期分を味わってください
今年新しくなった、那覇市役所新庁舎。
新しい建物なのにノスタルジーにレタッチしてみた(笑)
昨日、初めてスマホにアプリを入れました。
(↑え。)
写真関係のやつと、
あと方位磁石のやつ。
ツイッターやフェイスブックなどとの
連携が前提でプログラムされているのが多いので
どれもやってないワタシにとっては
レタッチした写真をブログで使えるようにするには
更にひと手間かかる
ちょっと、ツイッターやろうかなぁ…という気になったじゃないか。
gooブログ用のアプリ、早く出ないかなぁ。
あ、ちなみに↑↓写真はアプリ利用のものではありません。
下弦の月。
(正確に言うとその1日前)
下弦の月は深夜から明け方にかけて観れるんだね。
↑は深夜1:00過ぎくらいに撮影。
下弦の月と言えば…「月下に語る」なんだけど。
実はある企画が上がってたんだけど
先方から直接連絡がないまま早数ヶ月…。
間に入ってくれてるFMよみたん局長によると(年末談)
先方は一応やる方向でいるらしいのですが…。
どうなってんだろう。
当初の予定では今月くらいにお披露目だったはずなんだけどな
仲栄真グスク。
運動場とは反対側の方。
カー(湧水・井戸)がありました。
周囲の石積みが風情あってイイ感じ
隣には、これまた昔ながらのフール。
中にお花が生えているあたり、なんだか和む
小道の奥が拝所などがあるメイン広場。
こちらも台風で木がバタバタでした…。
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あー今日は昨日にも増して暑かった…。
気温は同じく25度だったけど、雨もパラついた分蒸し暑かったのかな。
毎年楽しみにしている
首里高染織科の卒展「そめおり展」に行ってきました。
(昨日まででした)
うーーーん……
全体的な印象として、
去年に比べると今年はなんか密度がない?
もちろんステキなもの、面白いものもありましたが。
あれ?地や隈取りの色はこれでいいの?これがいいの?
というのもちらほら…。
今回は古典柄をベースにしたものに
見ごたえある作品が多かった印象。
(あ、織は分からないので染の話)
壁画デザインももっと魚を重ねたり
水流ラインを入れたりして
背景に奥行きがでるともっと良かったはず。
大きさももっとメリハリつけてさ。
人工衛星とか土星とか面白い素材もあったのに
イマイチ全体が融合しきれていないのが惜しかった。
左部分、中央、右部分とそれぞれが独立してる感があるので
背景に全体を繋ぐような大きなライン(水流とか風とか)を入れたり
同モチーフを一カ所のみではなくバラして配置すると
(もちろん大きさは変えて遠近感出して)
もっと全体に一体感が出ますデス。
あっ…、講評しちゃった…。
辛口コメントだったけど正直な感想。
でもまた来年も絶対観に行きます
今日は立春。
気温25度。
すごく暖かい1日でした。
ああ、この空気感、年度初めのあの感じだわ…。
うう、微妙な気分…。
↑春特有のあの感じがセンチメンタルになるのでちょい苦手な人。
でもこんなに気温でお天気だと
シゴト放ってどこかに出かけたくなるね。
菜の花畑とかさ。
海とか。
久高島とか。
そんな誘惑を押し切って、
今日も1日がんばりました。
がんばりましたよ。
そして、
あんじもげすも くまにて むまから おれるべし
(崇元寺前の下馬碑)
のフレーズが1日中頭から離れなかった和々でした。
訳すると「身分の高い人も低い人もここで馬から降りるべし」
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先月行ったグスク再訪南山巡り。
南城市の志喜屋グスクです。
2009年に行って以来の再訪。
崖下古墓が独特な雰囲気を醸し出してて
ワタシにとっては印象深かったグスクの1つです。
今度はちゃんと、上の方まで登ってきました。
裏側。
上部の方に石積み。
案内板も新しくなってました。
16~18世紀を中心としたグスクなんだ。
あれっ、割と新しいな。
以前までの案内板ではグスク発祥に迫る、
古い時代のグスクってあったから
11~12世紀とかのイメージだったんだけどなー。
(崖下古墓も古い感じだし…)
16世紀っつったら第二尚氏じゃん。
案内板にもあった、エーガーガー↓
整備されててキレイでした。
今回雑草と倒木に阻まれていけなかったけど
以前(2009年)行った時に撮ってた志喜屋グスクの石垣。
なぜかブログに載せてなかったので掲載。
二段構えになってて立派です。
ところで志喜屋グスクがワタシにとって印象深かったのは
その裏にある空間がまるで別世界だったから。
ジブリチック!
こんなん↓(レタッチして再掲載)
頭上からガジュマルの根が伸びている不思議で圧倒的な空間。
これはすごかった。
今回もこの場所に行ってみたのですが、
台風でやられたのか、木が倒れ、地面も草で覆われ
とても入れる状態ではありませんでした。
残念
先週は結構本読んだなー
『護佐丸一統繁栄記』
(伊波盛誠著/月間沖縄社/1988)
護佐丸の子孫はいまや10万人とも言われているそうですが、
その中のお一人が書かれた本。
一族にまつわる伝承なども含めて
他の本では見かけなかったような
結構マニアックな情報があって興味深く読みました。
(でも護佐丸本人についてというよりはその周辺人物について、かな)
やっぱり北山(今帰仁)看守時代に今帰仁ノロとデキてたとか。
(今帰仁村内にその子孫も多いのだとか)
毛氏門中巡拝地一覧とか。
護佐丸の兄弟や盛親を連れ出した乳母、
盛親を匿った国吉真元のことにも言及。
安里大親のエピソードは面白かったですね!
また改めてご紹介します。
この本のポイントは護佐丸以後の子孫たちの人物や業績も紹介していて
まさに「護佐丸一統繁栄記」です。
本の後半約半分は先人の作った歌や文学作品、
そして系図や年表などの資料なので
読みものとしてはすぐに読める本です。
図書館などで探してみてください。
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*おまけ*
念願の焼き鳥祭り(in那覇)!
久々の、ちゃんとした焼鳥屋さんの焼き鳥。
めっちゃうめがったッス!!
パレットに行く時は欠かせないこれも↓(笑)
『琉球史の女性たち』
岡田正雄著(新星出版/2004)
借りた時は気付かなかったけど、
著者の岡田さんはワタシのベストブック『百十踏揚』の著者、
与並岳生さんと同一人物です。
正史にはなかなか残らない女性たちにスポットをあてて
伝承などを中心に人物別に紹介してあります。
あとがきに書いてありましたが
「女性史」ではなく物語を中心にしたものということなので
エピソード豊富でとても読みやすい1冊です
ピックアップされている女性は
百十踏揚、吉屋チル、恩納ナビ、鬼虎の娘、
サンアイイソバ、マボナリ、マイツバ・クツバ、マムヤ、
そして「王宮の女たち」として
西威王の母、尚徳王の母、オギヤカ、華后、尚貞王の側室、蔡温の母
…と、先島の女性たちも網羅してます。
(というか、女性についての言い伝えや歌は先島に多いらしい)
個人的には恩納ナビが面白かったかな。
こちらは恩納村のマスコッにもなってるト「ナビーちゃん」
(かなり昔からあるよ)
若くてハツラツとして
かわいらしいイメージがあるナビーですが、
実は……というもの(笑)
尚敬王(あるいは尚穆王)が北山巡行で万座毛を訪れた時に
ナビーが国王を迎えて歌ったとされる歌。
(↑は万座毛の入口に書かれているものです)
この本によると、ナビーが国王を迎える立場にあった
つまり女たちのリーダー格であり
それなりの年齢にあったであろうこと、
そして臼太鼓で王を迎えたというので
ナビーは村の神女(のリーダー)であったのでは
と。
確かに普通の百姓の小娘が国王に謁見し
歌をささげることなど普通ならないだろうしね。
神女で、リーダー格で、それなりのお歳、普段は百姓女、
そしてダイナミックで開放的な歌、
ナビーは意外と肝っ玉母ちゃん的な感じだったのでしょうか!?
ちょっと今までイメージしてなかったナビー像だったので
(他にも「え!そうなの?」エピソード満載(苦笑))
そう考えるとまたちょっとナビーが身近になる
そんな本です
沖縄限定ですが、
要チェックの番組(再放送)のお知らせです♪
ウチナー紀聞
2/3(日) am11:00~11:30(RBC)
神々の祈り~久高島と琉球王国~
以下、公式サイトより引用