実の親、
という表現は好きではないのだが、
遺伝学的な親、
というのも面倒なので、
実の親と書くことにするけど、
「実の親ではない」という設定は、
しばしばドラマで使われるが、
使い方を誤ると、かなり残念な事態となる。
最近も、ある医療ドラマでこの設定を用いていたけど、
単なる「実の親ではない」だけでは弱いと思ったのか、
かなり複雑な「実の親ではない」にしており、
悲劇なんだか喜劇なんだかわからない事態に陥っていた。
医療ドラマの「実の親ではない」設定で僕が好きなのは、
数年前に観たこんな話だ。
・幼い息子に先天性の肝臓疾患があり、
生体肝移植をしなければ助けることはできない。
・ドナーとしてふさわしいのは父か母。
しかし母は肝炎の病歴があり、ドナーにはなれない。
そして父は母の再婚相手、実の親ではない。
・つまりドナーは元・夫しかいないのだが、
元・夫もすでに再婚していて、子どもがいる。
・肝臓を提供すれば、生涯、生活に支障が出る。
元・夫の現在の妻はドナーとなることを反対する。
これはオリジナルのアイデアなのかなあ。
それとも何か元ネタがあるのか。
いずれにしろ、よく出来た設定だと思いました。
という表現は好きではないのだが、
遺伝学的な親、
というのも面倒なので、
実の親と書くことにするけど、
「実の親ではない」という設定は、
しばしばドラマで使われるが、
使い方を誤ると、かなり残念な事態となる。
最近も、ある医療ドラマでこの設定を用いていたけど、
単なる「実の親ではない」だけでは弱いと思ったのか、
かなり複雑な「実の親ではない」にしており、
悲劇なんだか喜劇なんだかわからない事態に陥っていた。
医療ドラマの「実の親ではない」設定で僕が好きなのは、
数年前に観たこんな話だ。
・幼い息子に先天性の肝臓疾患があり、
生体肝移植をしなければ助けることはできない。
・ドナーとしてふさわしいのは父か母。
しかし母は肝炎の病歴があり、ドナーにはなれない。
そして父は母の再婚相手、実の親ではない。
・つまりドナーは元・夫しかいないのだが、
元・夫もすでに再婚していて、子どもがいる。
・肝臓を提供すれば、生涯、生活に支障が出る。
元・夫の現在の妻はドナーとなることを反対する。
これはオリジナルのアイデアなのかなあ。
それとも何か元ネタがあるのか。
いずれにしろ、よく出来た設定だと思いました。