山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

梅雨末期のような雨

2020-06-14 | めぐる季節と自然

朝7時4分に電話が来た。今日の市内一斉清掃中止の連絡。組長さんはおそらく7時ちょうどに電話を回したのだろう。7軒ほどを回ってくるのに4分である。

年に2回の一斉清掃のうち1回が中止になったらあとが大変だ。困る。というのは真っ赤な嘘で、うれしくてしょうがない。朝からバンザイのLINEを友達に送って祝ってもらった。布団の中で中止を一心に願うと叶う、と教えてあげるとやってみると言う。友達のところでは来週が一斉清掃だそうだ。

25年ほど住んでいて、中止になったのは春秋合わせた中で2回目である。梅雨時にもかかわらず、ほぼ絶対休みにならない。9月はもろに台風シーズンだが、これもなかなか中止にならない。少々の雨なら意地でも行うのである。今日は朝は小雨だったが8時半ごろからザーザー降りになったから、組長の判断は正しかったと思う。

大体、一斉清掃の1週間前の土日になると、みんな草を刈る。家の周りの道、田んぼの中の道など。なぜか一斉清掃当日ではなく、前もって草を刈ってきれいにして、すがすがしい気持ちで一斉清掃日を迎えるのである。この日のためにちょっとだけ刈る場所が残してある。だから、今日中止だとしても、そんなに大きな問題はないのである。もちろん私にはそんな殊勝な心掛けはない。

それでも今年は多分コロナのせいで仕事が結構暇なので、庭木を切ったりしている。おかげで私の体はほぼ5日ぐらいのうちに蚊、ブヨ、アブ、毒蛾、アリに攻撃されてかわいそうなことになっており、現在はアリにやられたところが絶賛悪化中だ。それでも、ムカデ、蜂、ダニ、サシガメ、ヒルの被害は受けていないので、最悪ではない。まだありがたいと思わねばならない。もちろんマムシにかまれたりもしていない。

さっき(夜遅く)警報が出た。有線で何か言っているが、毎度のことながら何を言っているか分からない。ただ、有線が何かしゃべると市からの防災メールを確認するので内容が分かる。メールがない人は大変だ。そして明日は梅を採らねばならない。先週数日出かけていた間に半分ぐらい落ちてしまったようだ。残っているのは大きく丸々と太っている。採るのはめっちゃめんどくさい。もう限界なので雨でも採らねばならない。ところが明日は朝からしっかり晴れるらしいのだ。それもまた憂鬱だ。一番いやなのはカンカン照りである。

 

写真はよその家のバラ。


雑木林の新緑始まる

2020-05-01 | めぐる季節と自然

周りの雑木林がスモーキーな薄緑色になっていることに気づいた一昨日。コナラとアベマキの新緑だ。本当に薄い緑色のや、少し黄緑の濃いものや、少しずつ違う色を帯び、その中に散り残るピンクの桜。コナラの芽は間近で見ると真っ白な毛におおわれていて、ビロードのように光っている。それがスモーキーな新緑の色を作り出す。

新緑の色はもちろん地域によって違う。山の植生が違うためだ。もう少し北に行くとコナラよりもミズナラが多くなり、白っぽい色が減る。また、関東の方はアベマキではなくクヌギがあり、クヌギの新緑は濁った緑色でアベマキとはずいぶん違う。南に行けば常緑樹が増えてコナラやアベマキのようなスモーキーな明るい色は減る。

この地域の新緑は日本一なんじゃないかと思う。特に、山桜が多いのではなやかだ。うちの横にはカスミザクラとヤマザクラがあるようで、10日ぐらいずれて咲く。その遅く咲く方(カスミザクラ)が散るときには本当に雪が降っているようだ。我が家の庭に降りしきる。その吹雪が一日中窓から見える。

このGW期間中、世間にはお出かけしたくてたまらない人がたくさんいる、ということが、今のコロナ騒動のテレビ報道で分かった。そういう人の多くはコンクリートで固められた都会のマンション住まいとかの人だろうと思う。この時期、単に休日だからという理由ではなく、この世界を満たしている「気」のようなもの、気候と言ってもいいけど、それが人をそわそわさせているような気がする。その気は体調をも左右していて、お出かけしたくなる虫が体内でうずくようになっているように感じる。

しかし、田舎に住んでいる人は、GW中は忙しくて忙しくてお出かけなどする暇はないのだ。畑を耕して夏野菜を植えこんだり、4月下旬から水を入れた田んぼに田植えをしたり、種を蒔いたり、草を刈ったりと、やることがてんこもりなのである。夏野菜を植えるのも簡単ではない。植える前に「手」を立てないといけないのだ。トマトを支える支柱と、雨がかからないようにするビニールの屋根が要る。

そういうわけで、テレビで見る「遊びたくてたまらない人」は、別世界の人である。

行政機関は「出かけるな」としきりに呼びかけるが、私の場合、出かけない方がむしろ人と接触してしまう。出かけるというと田舎道、山道を歩くことなのだが、家で庭仕事などしていると、誰かがやってくる。田舎の町だからなのか、みんなほとんどコロナなど気にせず、普通に話をしている。2m離れるなんて誰も考えていなさそうだ。考えた方がいいと思う。けれども、容赦なく回覧板などもピンポンを押して玄関開けて渡してくれる。回覧板を開くと、コロナ感染に関する注意をあれやこれやたくさん書いた紙が挟まっているのだが、そういうものを家々を巡回させること自体が矛盾している。いろいろなばい菌やらウイルスやらを集めながら回覧板がやってくるのである。それでもその中に布マスクの型紙などという気の利いたものが入っていて、それだけはありがたかったりする。

もうこれからは「年寄りだからスマホはできない」とか言っていてはいけない世の中になったと思う。インターネット環境は上下水道や電気同様、生活する上での基本インフラとして整備して誰でも操作できるように行政も支援しないといけないと思う。

 

写真/ヒメオドリコソウとカキドオシ(薄紫の花)。どちらもシソ科。2020年4月下旬、中津川市で。今はカキドオシの最盛期。いい花だ。


また春に そしてウイルスの脅威

2020-04-01 | めぐる季節と自然

この冬は一つの仕事にかかりきりだった。「それが終わってふと顔を上げたら春が来ていることに驚く」んだろうなと思っていた。

まさに、私の中には冬の記憶がない。外は花盛りだ。昨日、うちの近所の家々では、水仙が本当に満開だった。

水仙は品種によって少し咲く時期がずれるものの、よく見る品種のものが、一斉に咲きそろっていた。

桜は早いものは満開、シデコブシは3~5分咲き。

そしてまた、今年は暖かかったせいか、ツバキの花つきも良いようだ。

 

アサツキがもう10センチぐらいになっている。まっすぐにツンツンツンツンと伸びるさまは、本当にかわいい。今の時期、まだしなだれずに、針のように真っ直ぐなまま、伸びている。

 

ずっと文章を書かずにいて、なんだか歌を忘れたカナリアのようになってしまった。

歌の場合は、忘れたと思っていても練習すると戻る、どころか場合によっては前より良くなることが分かったので

文章についてもそうであると信じたい。

実際、この冬の仕事は文章を書く仕事であったものの、書いていたという実感が全くない。すでにある文章を加工していくものだったので、頭よりは手を動かしていた感じである。

もちろん頭もつかっているのだが、自分オリジナルの文章を書く時とは脳の使う場所が全く違うようである。よって、必要な能力もかなり違うだろう。もちろん共通する部分はある。

 

世間がウイルスのせいで大変なことになっている。正直言ってこれからどうなるのか分からないが、想定外のもっとひどいことにならないことを願うだけだ。

つまり、今のコロナウイルスだけで済まずに、それが変異してエボラみたいにもっと感染力が強くもっと致死率の高いものになるとか、違うウイルスも併せて蔓延するとか(中国であやしい噂がある、それはヒトヒト感染はしないやつらしいけど)、あるいは大地震や大噴火などの別の災害があるとか、経済危機でスーパーインフレになったりモノがなくなったりとか。

違う感染症が蔓延することについては、今のコロナで医療崩壊など起これば、違うものが流行ってきたとき防御したり対応したりもできないのだから、それの流行も防げなくなるわけで。

そう思うと、私の住んでいる田舎町の行政初め団体や市民の危機感のなさに危機感を感じるばかりである。昨日も知人が「今日はサークルでバドミントンしてきたの、ダブルスで。子どももいたわ」などと言っており、「口呼吸でゼイゼイスースー息したらかんよ」と言っておいたがさほど気にしていないようである。中津川市は4月4日から苗木城に行く観光客向けバスの運行を始めるそうである。観光で潤うのかもしれないが(どれほど潤うのか不明だ)、今そんなこと言ってる場合ではないと思うのですよ。

ウイルスといってすぐ思い出すのはマイマイガである。10年ぐらいの周期で大発生する蛾(毛虫)で、5、6年前に飛騨地方で大発生した。そのとき私は飛騨に植物の調査に行っていて、その猛威を体感した。とにかく、笹原の笹の1本1本に(体感として)大きな毛虫がついており、もちろん木にも大量にいて車の上に落ちてきて、マイマイガの海みたいなもんである。向こうの山を見ると丸裸になっているのである。一旦丸裸になった山は、7月だというのに新芽が出て来て新緑になりかけていたりした。そのとき、飛騨のホオの葉がなくなって朴葉寿司が作れなくなり、美濃地方の朴葉が引っ張りだこだったようである。

それほどの猛威をふるうマイマイガも、翌年にはほとんどいなくなってしまう。あるウイルスに感染してほとんど死んでしまうらしいのである。その猛威の最中にも、変色して死にかけているマイマイガがいくらかいた。そのようにして、シーズン終わりにはマイマイガの猛威が終息していくのである。

それを知ったとき、生物の長い歴史の中でこの1000年か2000年ほど(?)で爆発的に大発生した人間が、ある種のウイルスによって5%とか1%とかに減らされてしまう日が来るかもしれないと思ったりして、エボラ出血熱が出てきたときには、「来たか」と思ったのであった。

こんなこと人ごとのようにのんきに書いている場合ではないな。


日が長くなっている

2019-12-11 | めぐる季節と自然

日が長くなったと思ったら、いつの間にか12月も1週間以上過ぎていた。

去年も同じようなことを書いている。

日没の時刻は1年で今が一番早いのだけど、体感としては11月23日頃が一番早く感じる。

これからだんだん夜が短くなるわけだが、冬の寒さは始まったばかりである。

冬はつらい。夏もつらいが、冬もつらい。けれど暖房がふんだんに使える時代に生まれたことをありがたく思う。

 

先日、静岡県の南伊豆町に行ったら、もうタケノコが出ていると聞いて驚愕した。なんと言うことだ。

南伊豆ではいまだに千日紅の花が咲き、緑にあふれている。温暖な地の方が豊かに決まっているのに

なぜ人間は気候の厳しいところに住み続けるのだろう。不思議だ。

 

ここ数日でまた2回ほど、近所でクマが目撃されたという防災メールが入った。今日のは、道路を横断していたという情報だった。

隣の家の人は「ニホンカモシカだ」と一蹴した。真っ黒なニホンカモシカがそのあたりに住んでいるらしい。そのことは畑仲間の間でも確認されているらしい。

自分の目でそのニホンカモシカを見るまでは、何とも言い難い。


クマが家のまわりをうろうろしているかもしれない件

2019-10-30 | めぐる季節と自然

うちはJR駅から1kmもないところにあり、そのJR線は飯田線みたいな今にも切れそうな細い線ではなく、その駅も今は小さく素朴でときどき無人になるがやがてリニア岐阜県駅という巨大駅になろうとしているものであり、次々に新しい建売住宅ができて、地域の人口は増加しており、小中学校はマンモス校であり、近くには40年ぐらい前の新興住宅地が2カ所もあるようなところである。なぜかコンビニと大手スーパーはないが、人はいっぱい住んでいて、そこに雑木林と田んぼと畑が混じり合っているようなところである。

5年ぐらい前から2度ほど、うちの西1.5kmぐらいのところで「クマらしきものが目撃されました」と、市の防災メールが来ていたのだが、どうせ犬かなんかを見間違ったのだろうハハハハハ。と思っていた。私は親指ぐらいの長さの細いものが落ちていると蝶の幼虫に見えてしまうし、私の母は長いヒモが落ちているとヘビに見えてしまう。クマだと思って見れば犬もサルもニホンカモシカも黒い服着た人もクマに見えるに違いないのである。その目撃された場所は、木曽川の崖っぷちにほど近く、あたりはうっそうとした自然林になっている。クマがいそうな雰囲気がある。だから犬もクマに見えてしまうのだろう。

今年に入って、同じような場所で数回「クマらしきもの」の目撃があり、10月22日にうちの西500mほどの「集会所付近で子グマらしき目撃情報」があり、その時点ではまだ「どうせ犬だろう」と思っていた。が、10月28日の夜に東方5kmほどの「自動車学校付近で西へ走る熊」というクマ断定の通知があり、昨日10月29日の夕方には東方1kmの「バス停付近でクマ」とクマ断定の目撃情報があったのである。

よく考えると野生熊より野生犬の方が少ないので、見間違うとするときっとニホンカモシカだと思うのだけど、クマでないとは言い切れない。目撃されている地点とうちは山でつながっていて、中間地点にうちがあり、クマが何頭いるか知らないけど、うちの東から西へ、西から東へとうろうろしている可能性がなくもない。少し上に栗畑がたくさんあるし、我が家の柿もいい具合に熟してきたので、食べにくるかもしれないのである。

郵便屋さんとか水道メーター調べる人とか、大丈夫だろうか。

幸いうちの方のクマは北陸のクマみたいにチンピラ化してないようなので、わざわざ人のいるところに来て襲っていくようなことはないのだが、今年は市内や隣の市で何人かの人が被害に遭っている。この頃は気軽に散歩に行くこともできない。

木曽の方に行くともうみんな、夜は出歩かないとか、昼でも歩かないとか言っている。子どもの頃、熊が出る地域というのを「自然豊かな山里」として憧れをもって見ていたが、そんなのんきなことは言っていられないし、自然が大して豊かでなくてもクマが襲ってくる地域もあるわけで、本当に困ったことである。人間とクマの共存のために、クマは山で過ごしていてほしい。

 

 

*写真/長野県上松町の朴葉を栽培しているところ(2019年)歩いていたら、むらの人に「クマがいるから気をつけろ」と言われた。しょっちゅうクマを見かけるとのこと。最近の野生動物は人間をバカにしているように思えてならない。バカだから仕方ないけど。


防草シートの下にある世界

2019-05-29 | めぐる季節と自然

   *ブログタイトルと写真は関係ありません。

 

今年はもう畑をやるのをやめることにした。なんだかんだで結構大変で、草を生やしてしまうからだ。

「畑をやる」というとずいぶんエラそうだが、今までもろくにちゃんとやっていない。ほそぼそとキュウリやトマトを2本ずつ、わずかのネギやハーブ、それに花を植えていただけだ。

すぐに全部やめるのが本来だが、畑に今もある花々、アイリス、アヤメ、アガパンサス、グラジオラス、ヒゲナデシコ、オミナエシ、唯一の野菜のオカワカメ、それらを移動できずにいる。

畑の空地には前から防草シートをかけていたが、空地が増えてシートが足りなくなったし、破れ目もできたりしたので、シートを強化する作業にかかった。

シートには草が突き刺さって伸びていたりする。それをメリメリとめくったら、黄土色で細長いコウガイビルがヘアピンカーブみたいになって眠っていた。

こんなところに住んでいるのだ、と分かる。コウガイビルは湿ったところが大好きで、梅雨時にときどき石の上なんかに現れる。靴ひもをテラテラ光らせたような感じのやつで、頭は一番簡易のワインオープナーみたいな形をしている。姿が嫌いだと言って、隣の奥さんはすぐに塩をかけるらしい。シートを取ったので驚いて逃げようとしているところに、細かいアリが群がってきた。またシートをかけておいたが、その後どうなったのか、知らない。

その隣のシートをはがすと、ムカデが急いで逃げて行った。

さらに。

別のシートをはがしたら、小さなマムシがいた。マムシは同じ毒へびでもハブとは違ってとびかかってきたりはしない。これもやっぱりびっくりして、おどおど、こそこそと、どこかへ逃げて行った。かわいいものである。

黒い防草シートの下にも世界があるんだなあと感心した次第である。

 

ところで前の前の記事に書いた、アベマキの木についていた何かの幼虫が、やっとほとんどどこかへいなくなってくれた。終齢だと言われてから10日ぐらい経っているが、その間まだまだ大きくなっていて気持ち悪いことこの上なかった。鳥が来て食べてくれることなど全然なかった。どこかへいなくなったとはいうものの、本当にいなくなったわけではなく、どこかへ移動してサナギになっているのである。成虫になったら二度と戻ってこないでほしい。虫に罪はないので、そういうことを言う私は非常に自分勝手であることは分かっている。が、不快なものは不快である。

 

写真 白い花はナズナ、黄色い花はイヌナズナ、薄紫のはヒメオドリコソウ。

ナズナとイヌナズナはよくこのように混じりあって生えている。イヌナズナは都会では見ない花だ。山里のちょっといいところにある。混じって生えているのは本当に好ましい。2019年5月上旬、木曽地方にて。

 


ホトトギス、柳絮

2019-05-21 | めぐる季節と自然
ホトトギスが到来した。
去年は特別早く5月8日に記録があるが、それ以外のここ数年は
大体5月15~20日ころ到来に気付いている。
いつも同じのが来るのだろうか。

ホトトギスには雨が似合う。
今朝も強い雨だった。


庭に勝手に生えてきているアベマキに、大量の何かの幼虫がついていた。
すごく気持ち悪い。茶色くて親指ぐらいの長さだ。
知り合いの蝶の研究家に聞くと、そのように大量にかたまってつくものは
蝶ではなく蛾だそうだ。
殺虫剤をかけてやりたかったが、小鳥の餌がなくなったら困るだろうと思い
躊躇した。
5㎝ほどもあるのなら終齢だろうというので
まもなくいなくなるだろうと思って、見ないことにしたが
1本の方は、いなくならずに、広がっている。
もう1本の方はいなくなっていた。
(しっかり見ている……)

早く小鳥が気づいて、大勢でやってきて、食べつくしてもらいたい。
今日来たホトトギスなど大型だから格好の餌になると思うのだけど。
けれどホトトギスが庭先に来たことなど、今までに一度だってない(と思う)。

ホトトギスは高いところを飛んでいるが、意外に低いところに住んでいるらしいので
本当に、来てほしい。


写真。
雪のように舞う、白いものは、柳絮(りゅうじょ)。
柳の花の綿毛だ。
漢詩にうたわれている。
上から降って来るのではなく、下から上に舞い上がっていく。
5月の風がさわやかない吹いていた。
ゴールデンウィーク中の木曽川べり。
左下の木が、川原に生えるヤナギ。


 (写真/2019年5月上旬 中津川市・南木曽町境の木曽川 道の駅賤母の前)

雑木林の春の様相

2019-02-18 | めぐる季節と自然
窓から見える空が真っ青で
日差しも明るいので
すっかり春のように感じる。3月末ぐらいの気になるが
まだ2月中旬なのである。

冬があっという間に立ち去った。これきり暖かくなりっぱなしではないだろうけど、
土手の枯草の中にタチツボスミレなど咲いているのではないかと探してしまう。

今住んでいるところも、周辺に次々に住宅地ができてきた。
この地方都市では奇跡的に、人口が増加していると思う。
田んぼがどんどんつぶされ
ため池も次々埋め立てられていく。
気分としてはもはや田舎ではない。

けれど、周囲の雑木林のアベマキやコナラやヤマザクラの
葉を落とした幹や枝が
青空に突き刺さっている姿は
たとえようもなくカッコいいし
枯草がカサコソ擦れ合う音も
朝のホオジロのさえずりも
やっぱり都会とは全然違う山の気配であって
これがいつまで続くだろうかと考える。

リニア駅ができてますます都会化したら、なくなってしまうものなのだろうか。
それとも残るだろうか。

すっかり街みたいになってイヤだなあと思う反面
やっぱりいい感じのする我がすみか辺りである。

(写真/2019年3月末)

粉雪と、糸寒天

2019-01-28 | めぐる季節と自然

白く垂れこめた空から音もなく細かい雪が
さらさらさらさら落ちてきて
みるみる間に景色が白くなりました。
この冬初めての雪らしい雪。

これまでも3回ほど、夜の間にうっすらと積もったのですが、「雪の日」という感じは初めてです。

いつのまにか大寒も過ぎていて
いつの間にか冬も終わっていくのかなと思っていました。

山奥の里の雪景色はどんなふうかなと思います。
雪景色を見るのは心休まるものです。
多すぎる雪の地方は、辛いものだろうと思います。


先日、岩村町で糸寒天を干す景色を見かけました。
糸寒天は岩村の隣の山岡町が一番の産地です。
岩村でもやっているのだと知りました。
冬の間利用しない田んぼをつかって、干しています。
「寒さ」というのは熱エネルギーとは言わないと思いますが
寒さ→乾燥 の力を利用したフリーズドライフードです。

今気づいたのですが、「寒天」っていうのは、寒いとき干すからなのでしょうか。
天は空という意味ではなく、天草(てんぐさ)の天だと思いますが。



(写真/2018年12月 恵那市岩村町)

台風接近中

2018-09-30 | めぐる季節と自然

今が一番ひどいとき、
といつもなら思うぐらいの風と雨。
台風はまだ100km以上も離れているはず。

今回はほぼ直撃しそう。多分2時間ぐらい後、一番近づいたときには
どんな雨風になるのか。
今回のはひどいから気をつけるようにと、さっき九州の人から電話があった。

ざわざわそわそわして落ち着かない。
避難所に行けばよかっただろうかと思っている。
うちは高潮も来るわけないし洪水もないし土砂崩れってこともまずないだろうけど
隣の林から、先日の台風で折れた木など飛んできそうだ。
もちろん雨戸はしているが、その雨戸さえ突き破るのではないか。
スティールの雨戸を木の雨戸に換えたのは間違いだったかもしれないと思ったりする。
なるべく家の真ん中辺にいようと思う。
こんな怖い気持ちになるのは初めてだ。

テレビでは、台風の大きさの割にまだ被害がそれほど報道されないが
ただ分かっていないだけで、
明日の朝になったら大変なことになっていそうな気がする。
自分はそのニュースを見る側でいられるのだろうか。
どうも、気弱だ。

最近、次から次へと自然災害があって、もう覚えきれない。
災害のニュースにも慣れてしまっている。

風がすごく強くなってきた。

貴重な晴れの日

2017-10-18 | めぐる季節と自然
朝からすっきり晴れています。
いくら雨が好きでも、毎日雨は困ります。
やっと洗濯物が干せます。

聞きたいことがあってある人に電話したら
電話の背後でカーカーカーと
カラスが気持ちよさそうに鳴いている。

ああ、あっちもいい天気そう。
たぶんゴルフ場のバイトの日だなと思って
今話していいですか?と聞くと
はい、いいです、と言うので
話し始めるとまたカラスがカーカー言う。

ほんとにいいですか?大丈夫ですか?と聞くと
はい、大丈夫です、と言われるので
話していたら
ちょっと今仕事中なんで。人待たせてるんで。
と言われた。

ほらねーやっぱり。
そういう場合は最初からダメですと言ってほしい。


仕事が大詰めで気分が苦しい。
大丈夫だろうかと心配です。
が、とりあえず半分以上は終わっているので
苦しいながらも少しずつ楽になっている気がします。

雨の音

2017-10-14 | めぐる季節と自然
雨が降っている音で目が覚めた、昨日の朝。
久しぶりに雨の音を聞いた気がする。
目が覚めたとき雨の音がしていると本当に心地いい。
ずっと聞いていたくなる。

今日も明日も雨のようだ。
明日の地域の運動会が中止になると早くも今朝連絡があった。
運動会など義理で出席するだけだ。
みんな役員から頼まれて仕方なく行っている。
体育協会の会計報告にも?な内容がある。


どんどん秋が深まっていく。
コバノミツバツツジの葉が赤味を帯びてきて、ノコンギクが咲き始めた。

畑にしばらく行かないと

2017-10-08 | めぐる季節と自然
九州北部豪雨からもう3カ月だなんて信じられない。ほんの2、3週間前のことのように思える。
以前はあんな洪水のようなことはまず起こらなかったような気がするけど、
このごろ頻繁にああいうニュースを目にして、あまり驚かなくなってしまった。

子供の頃、大雨が降ると家の裏の道が水深5㎝ぐらいになることがよくあった。年に1度ぐらいはそういうことが起こっていた。住んでいたところは「新田」と言われる平地だから、不思議ではない。
けれど、30年ぐらい前にはすっかりそのようなことがなくなった。子どもだから気づかなかったけれど、いつのまにか道路の排水工事をしっかりしたせいなのだと思う。だから洪水のようなことは昔と比べて起こりにくくなっているのだと思ってたけど、最近はそうではないのだ。


で、仕事の中にこもっていて、時間の流れ方がよく分からない。
自分が畑をやっていることを、すっかり忘れていた。
今日あたりナスとオクラの様子を見にいかなければならない。
畑はしばらく行かないと行くのが怖くなる。

冬が近づいている

2017-10-06 | めぐる季節と自然
ウールのセーターを着て、ダウンのキルティングのスカートを巻いて、ストーブをつけています。
空は白くふさがっていて、降り出しそうです。

朝起きて綿のシャツを着たものの、鏡を見ると、いかにも寒い感じ。
もうそんな季節ではないようです。あわてて着替えました。
週末暑くなるらしいけど。

カワラヒワがシビービーと地鳴きのような声でしゃべっています。

今日も頭痛。
仕事でいっぱいいっぱいで、いろいろ荒れています。

ちょっとおでんが食べたくなっています。

月についての勘違い

2017-10-05 | めぐる季節と自然
昨晩は中秋の名月(旧暦8月15日)だったけど、本当に満月になるのは今日の深夜だ。
なぜそんなずれが起こるのだろうと思って調べてみて、初めてこれまで自分が大きな勘違いをしていたことを知った。

旧暦の15日は必ず満月、旧暦の1日は必ず新月になるように旧暦(太陰暦)はできているはずなのだけど、月は29.3~29.8日ぐらいの周期で新月満月を繰り返す。30日ではない。月齢30.0ってのはない。だからちょっとずつずれる。
そもそも、月齢15.0が満月ではなく、14.65~14.9ぐらいが満月ということだ。
月齢0.0がくるのを1日の0時とすると、14.65~14.9が来るのは15日の遅くなってからだ。それ(本当の満月)が16日に食い込む可能性の方が高い。

まあそれはいい。分かったけど……

私、今までずっと、旧暦の1カ月は28日だと信じていたのだ。
違う。29日か30日なのだ。

大体なぜ28日だと思っていたのか。子どもの頃、母にそう教えられたような気がする。が、母はもういないし、罪を押し付けるわけにもいかない。とにかく、子供の頃からずっとそう思っていた。なのに、旧暦に○月29日と○月30日があっただなんて。

そもそも、新月から14日目が15日である。
だから15日からまた14日で新月になり翌月1日になると思っていた私は、そう変ではないのではないか。

で、以前からなぜ西洋では7日という単位の1週間なんてものを作ったのかと疑問だったのだけど、半月になるまで7日(7.5日だが)だからなのだそうだ。すごく納得する。けれど、0.5日の誤差が出ていくので、1週間というものの取扱いは太陽暦でも太陰暦でも同じように結構やりにくい。30日の間に2日も誤差が出てしまう。毎月15、30、31日は休日ということにして、毎月1日から1週間が始まるということにしてくれたら非常に気持ちがいいのだけど。

旧暦の暦は1年が354日で、太陽暦と比べて1年に11日ずつずれるから、来年の中秋の名月は9月23日になる(だろう)。

いずれにしても、今日は曇っている。今日の深夜に月齢15.0になるが、見られないのかもしれない。