山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

裏山に生かされる暮らしの再生

2006-04-22 | 山里
昨日、ある山里の人たちから活性化の相談がありました。
その事業についてはさておき……

雑木林の手入れと人工林の手入れ、どちらが急務か、必要かについて、語ることはナンセンスです。目的が違いますから。
雑木林は手入れするために手入れするものではないのです。
利用することが大切です。
雑木林という言葉自体、地域的なもので、多くの地域では借り物ではないでしょううか。
必要なのは、裏山とかかわる暮らしのあり方を再生することです。
それは人が自然に生かされてきたことを再確認する作業でもあります。

里山という言葉には、コミュニティーで有する山、というニュアンスも含まれているように感じます。
裏山は、一戸一戸の家が日常的に利用している山です。そこから水を得ていることもあるでしょう。

裏山から得るものは、山菜、木の実、食用の獣、道具材、家具材、薬、たきぎ、染料など、衣食住すべてにわたっています。少しずつでいいので、切れてしまった関係をつなぎ直していくこと。農、林別々ではなく、すべてバランスよく取り入れ、仕事しながらやっていく中には、季節のめぐり、1年の循環の中で網のように結び付けられた自然と人の関係があります。

そこから切れてしまった人間は、不自然です。
自然に生きることのなかに安らぎがあるのだと思います。

それは手入れではありません。森林を手入れするとか整備するという考え自体が最近のものではないでしょうか。
裏山に生かされて暮らすこと、それは同時に裏山を愛でることでもあるでしょう。


今、非常に個人的で情緒的な表現しかできず残念ですが、とにかく、そんな話で盛り上がりました。