山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

木材の地産地消は何のため

2007-02-07 | なんとなく報告

今朝もスズメが群れています。夕方よりもずっと生き生き元気で、チュンチュン言っています。4~5日前に2羽が追いかけっこしていた。もうすぐバレンタインデーです。チョコレートがもらえるように営業しているのかもしれません。

先日あるMLに書いたことを転載します。

最近、中津川市加子母(旧加子母村)で4期村長を務めた粥川眞作さんという方とお話しする機会を得ました。
粥川さんは地元の新聞に数年間コラムを載せています。夏目漱石風のおかしさのある文章で、内容も林業や山のことが多く大変面白いので愛読していました。
この方は林業では大変力があり、加子母は岐阜県で有数の林業地です。現在中津川市林業委員会の会長でもあります。

粥川さんが言われるには、適材適所というものがある。それは、たとえばここの柱には○○地方の何の木、梁には○○地方の何の木がいい、というものである。今の自給自足的考え方は危険である。何より、物が流通しないと経済が衰退する。ということです。

地産地消が昨今もてはやされる根拠は、主として運送にかかるエネルギーが無駄だからという理由だろうと思います。加えて、自分の住む地域は自分で守る、自分たちで活性化する、という責任でしょうか。また、木材においては、その土地でとれた材はその土地の気候風土に合っているという考え方があるのでしょう。私はそのことに詳しくないので分かりません。食材であれば、南方の食材は南方で暮らす人々の体に概して適しているでしょうが、体を冷やす食べ物、体を温める食べ物があり、それを適したときに食べればよい。たとえば日本で、冬に何らかの病気で体を冷やすべき人は、南国に多くある体を冷やす食べ物をとりいれて食べるのがよいかもしれません。これは適材適所のような、適菜適体でしょうか。
国内で麦や大豆を作らず海外ばかりに頼るのは食糧の無い国にとっても日本にとっても問題です。国内の木を放置して外材を使うのも問題です。ただ、建築材についてはある部分では必ずしも地産地消にこだわる必要もなかろうと思います。


また、木材の産地については、もう一つ、考えてしまうことがあります。
木材のいわゆる産地というのはどこなのでしょうか。
魚の場合は、どこの海で獲れたかではなく、どこの港に着いたかだと聞きます。
木材も往々にして育った場所ではなく加工された場所が産地とされるのでは?
東濃ひのきもそうです。東濃ひのきの産地の、ある森林組合の人は、東濃ひのきとは加工技術のブランドだといいます。外のひのきが持ち込まれ、そこで加工されると東濃ひのきになる。

一方、「地元の木で建てました」という建物も、加工は遠く離れたところでしている場合があります。たとえば加子母にある「ふれあいのやかたかしも」という立派な木造施設は、もちろん加子母の材で作られていますが、その加工は岐阜県の西の端、西濃でされている。岐阜県の東の端の加子母の木材が西の端へ移動し、また帰ってきている。この西濃の優秀な加工技術を持った会社では、紀伊半島や四国の材も、そのようにしているのです。つまり、国産の木材の場合の地産地消の意義はエネルギーの節約ではなく、やはり地域の林業振興とそれによる地域の森林保全、加えて地域材への愛着ということなのでしょうか。


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