山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

山里の聞き書きと予備知識

2010-11-10 | 山里
寒い日でした。
今頃きっと恵那山の頂に雪が降っているだろうと思います。
当然のように10月に入ってから毎日ばんばんストーブを焚いています。
遠い昔の人たちは、麻やカジの着物しかなくて、冬はそれを何枚も重ね
寒さのあまり泣き叫ぶ人もいるほど
寒い暮らしをしていたとか。
今の自分はシアワセだなぁと思います。
このぜいたくをいつまで続けられるんだろう。


山里の聞き書きという活動をしています。
それを多くの人に体験してもらおうと、普及する活動も最近させていただけるようになりました。
山里の人と、今の若い人・都会の人と、ギャップがあるから話が聴きやすい、ということをよく言うけれど、ギャップがなければ聞けないというわけではありません。
ギャップがありすぎ、全く知らない分野の話は、あまりうまく聞けないものです。
事前に予習をすると、話が聞きにくくなるのか、という質問を受けました。
以下はそれに対する私の答えです。

-- --
前もって資料を読み込むのはいいことだと思います。
「道端通りすがり聞き書き」ではありませんので
おのずと、ある程度の予備知識を持ったり準備をしていくことは
前提になります。
演出した新鮮さをつくらなくても
どこかに必ず新鮮な部分は出てきますから大丈夫です。

言葉が聞き取りにくいとき
知っている言葉だと、分かったりします。
聞き取れないと、突っ込みどころを逃すこともあります。

資料を読んだとしても、どこまで読み取れるかは人それぞれです
この資料を読んで、ふーん……と思うだけの人もあれば
○○の材料が多いな、なぜだろう、と思いをめぐらし
そこから暮らしのありかたを想像し、
聞き取りでそこを深めて新たな発見をする人もあります(ないかしら)。
そんなときの新たな発見には、初めて聞く話への驚きとは違う質の
「ああ、そうだったんだ~……」という
頭の中の霧が晴れるような感動があるものです。


それから、もっというと、
今から20年以上前の山里の食べものの資料なら
その当時のアンテナにひっかかったものが資料になっている。
当時の、そして編集者の価値観というフィルターがかかっているわけです。
それを参考にして
今の皆さんのアンテナにひっかかる新たな食べものを発掘するのも楽しいものです
そういう意味では、すでに出ている資料にいかに支配されずに
自分なりの聞き取りができるかという
資料とのたたかいであるともいえます。
(たたかいに負けそうな人にとっては確かに危険なモノにはなります)


-- --
書くことについては、内田樹さんがブログによく書かれていて
聞き書きへの示唆を常に含んでいて、注目しています。
昨日も興味深い記事でした。
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