ネットのニュースを見るまですっかり忘れてた。
父方の親戚がある新潟県十日町を強烈に襲った地震、活断層が見つかったのが発生の半年前という痛々しい災害でした。
面識は無いものの、結婚式場で準備をしていた遠縁の親戚(後日判明)にあたる方が、落下物により亡くなってます。
他の町や村もですが、比較的大きな十日町は道路が1本を残して全て通行不可能となり陸の孤島に。
地震の時に囲われてるため「比較的安全」とされてるトイレや風呂場。
本家は半壊、風呂場は湯船が真っ二つに割れていた。
鉄筋で作られた家の多くは一階部分が潰れてたのが印象的だった。
豪雪地帯のため、通常の家より頑丈に作られているハズなのに。
本家は戦争末期、都内から逃げ出した父とその家族が焼け出され、住む家をなんとかしないとと解体した農家を貰い受け、再度立て直したもの。
都会じゃまず見れない規格外れにゴッツイ柱は明治か、下手すれば江戸時代から家を支えてきた材木と思われる。
半壊は、土台から何センチズレるとっていう基準があるらしく、あと少しズレてたら「全壊」だった。
屋内こそ人が入れる状況では無かったが、外がしっかりと残るあたりは昔の木造もすてたもんじゃ無いのか。
そこに居た従弟は、勤務する長岡の役場へ真夜中に自分の足で山を越えて出勤、その後数ヵ月に渡り住民のサポートにあたった。
この新潟県中越地震の教訓が、私の「自動車」に対する発想を少なからず変えました。
親戚は、物資が途絶えて小雪が降り出す中、家に入れないため軽自動車の中で家族4人、寝場所と暖を取るため10日間耐えました。
電気も途絶えた町、基地局も停止して携帯も繋がらない中、ラジオを聴けたのは車が生きてたため。
雨風雪から辛うじて家族を守れたのも車があって、運良く燃料が多く入っていたからこそ。
勿論、発生後はガソリンも軽油も手に入らないから、タンクに残ってるのが全てです。
この事から、自身の車は僅かにFを下回り、数リットルしか入らなくても小まめに「満タン」を維持するようにしてます。
また、トランクの中に毛布(携帯毛布も含む)を常備してるのも、万が一(あっては困るが)の備えです。
知人のように家の車をキャンピングカーに買い替えるなんてのは無理だけど、自家用車が簡易シェルターになる事もあるって可能性、今後も継続していくつもり。
あ、ハイブリッドはともかく、電気自動車にどうしても踏ん切りがつかない理由はココにあるのかも。
給電元が切れたらEVは雨風凌げても、暖を取るのは厳しそうですもんね。