国内ツーリングカーの最高峰、SUPER GT。
独自規格色の強いGT500は良く判らんが、GT300クラスってのは見ていてとても面白い。
これを切っ掛けに、遅まきながら 自動車レースの観戦に行ってみたいと真面目に思ってた。
TVやネットでは幼少期から、それこそ F1 に タイレル P34(6輪車)やJPSロータスが走ってた頃からずっと放送を楽しんできたが、実際に見た事がまだ無いのです(涙。
さて、前回菅生ラウンドで、86のマザーシャーシが記念すべき優勝したというのは知ってたのですが…。
番組を見て、その前から 「ミッションの不調で勝手にシフトダウンがアップになったりする」という、レーシングカー以前に、車 として致命的な問題を抱えたまま走り、実際にレース中に症状が出ていたと知った。
その様子が番組で流されるも、土屋さんもドライバーも、その 「危険性」 に気を回す素振り無く、無事ゴールして歓喜に沸いていた。
私はレギュレーションとか細かい事は判りませんが、そもそも 「シフトが意図するように操れない場合」 が判ってる車って、予選、本選 に出走する事って問題無いのかな???
全然遅い速度域で走る市販車でも、ミッションの不具合で 「生死」 にかかわる事故って多数起きてます。
ネットの動画サイトだと、韓国車が走行中に減速できずに大事故を起こすドライブレコーダーの画像とか多数ヒットします。
どれも衝撃的なもの。
レーシングカーともなれば、時速300km近くの速度で 「他車」 と一緒に走ります。
そこで制御不能になり、巻きこんで死亡事故になる恐れって 素人にも容易に想像できる。
そんな 「爆弾」 抱えた それこそ「人間魚雷」になりかねない車と一緒に走ってたって事実も、他のチームやドライバーにとっては 「まぁそんな事もあるよね」 ってレベルの話しになるのかな?
何か釈然としない。
昔の鋼管フレームの時代だと、簡単なクラッシュで呆気なく死亡事故に繋がるケースが珍しく無かった。
多くの死亡事故の教訓が生かされ、今の自動車レースの 安全性って確立されてると聞く。
それでも、私利私欲が時に大事故の引き金になる事も。
あの A.セナ が他界する事になったレースも、ドライバー達が 「今のコンディションでレースを開くのは危険だ」と直訴したのを、主催者側が跳ね除け、結果 2人のレーサーが他界した。
要は、レースを行わないと 主催側の 「利益」 が得られないからだった。
映画、RASHでも描かれたが、ニキ・ラウダ と ジェームス・ハント が歴史に残るレースを行った 富士ラウンドも、滝のように降る雨の中、メディアが全世界に放送する記念すべき大会のため、強行して大混乱となった。
いつの世も、レース と 商売 の世界は緊密で、そのアオリを食ってきたのはドライバーだった。
今回の菅生ラウンドの 「VivaC 86 MC」 が ミッション にコントロールできなくなる場合があるという 「危険」 を承知のまま出走したという事が、何か怖い。
もしかして、結局今の SUPER GT もお金儲けが大前提の 「興行イベント」 なのだろうか。
もちろん、一台の 車を走らすのに物凄い 「お金」 「人」 「労力」 が動くのは素人でも判る。
その昔、シビック でマイナーレースに参加していた従弟が、凄いお金が掛かると嘆いていたし(彼は家が資産家だったからできたそうで)。
「勝たなければ チーム運用も成り立たない」 と開き直り、危険走行(にならないかな)を続けたというなら、あまり公道で違法改造車で迷惑かけまくる 暴走族 と大差無いのではと思えてきた。
主催者側も、そうした行為を問題視してないとするとかなり怖い…。
車もレースも好きで、「自動車レースってのは、ちゃんとしたルールに則り行われる スポーツだよ」 って言ってきた身だが、正直そう言い続けていいのか判らなくなっている。
様々な事象が起こるレースシーンを、全てカッチリとした規定に当てはめるのは無理がある。
だからこそ、主催者も、チーム関係者も、常識的倫理観を損なうことなく、日本のモータースポーツを育て、継続してほしいと願わずにいられない。
「勝てば何してもイイ」 だけは、是非とも止めて欲しいと考えさせられた。