米国の民主主義
6月30日新聞に、「米国の民主主義」と題する記事があった。本来、民主主義は独裁者の出現を防ぐために発明されたという。
英国から独立した米国民は独裁者が生まれにくい環境をつくろうとの信念のもとに、憲法を練り、施行させた。しかし、トランプが大統領になるとき、国会議員や裁判官、法務省の官人など権力分立を体現する人々によって民主主義は強固に守られるはずだと記者の多くは米国の民主主義に信頼を託していた、が独裁者を目ざすトランプに魅了された大勢の米国民を見ることになった。米朝の面談を終え「私たちはとても馬があった」という感想を述べたばかりの今では、と。
独裁者のカリスマ性を支持する有権者の意向を敏感に感知し順応しようという、民主主義の砦になるはずだった人々の動きがあるからだ。もう独裁者の出現を防ぐには、祈るしか道はないのかもしれないと結ぶ。
自分に不利なニュースを「フェイクニュース」と決めつけて、その発信新聞社を記者会見場から追い出す大統領だと、私の最初の印象だった。そのトランプ大統領。確かにその行動は、独裁者の振舞いと言えそうだ。
自国の過去の不利益条約を切り捨てて、経済力と武力を片手に、喜ぶ一部の自国民の支持を背景に他国を虐げる。世界の平和にとって、自国第一主義は、各国に不満を蓄積させている。次期選挙では、世界のリーダーとなるアメリカの大統領が選ばれることを、私も祈りたい。
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