12日(月)は強い日差しが照り付けて、厳しい暑さが続きました。
本日私は公務が無く、朝恒例の撮影は鷺の平集落まで行き、ドローンで山清路バイパスの新橋梁の架設状況を撮影しました。
主要地方道大町麻績インター千曲線は生坂村山清路地籍において、平成18年に大規模な岩盤崩落が発生して以降通行ができなくなり、県道は旧山清路橋の2トンの重量制限のある橋梁に迂回させている状況が続いています。
このため平成22年度から延長442m、幅員5.5(7.0)m(内橋梁延長136m、幅員5.5 (9.0)m)のバイパス工事に着手し、平成29年度には橋梁上部工(鋼単純下路式ニールセンローゼ橋)を発注して、来年初夏の完成予定で工事を進めていただいています。
この事業の完成により、安全・安心な交通の確保や観光振興、地域活性の向上に大きく寄与することが期待されています。
山清路の地形は麻績累層と呼ばれる地層が犀川に浸食されて形成され、北の金戸山(かなとこやま)、南の雲根山に挟まれ、川の両岸は最高で60メートルの断崖となっています。
春はヤマツツジ・ヤマブキ・フジといった花が断崖に咲き、夏は山々が緑に包まれ、秋は紅葉、冬は雪景色と四季を通して美しいことから、古くから名勝として知られてきました。
犀川通船と呼ばれる水運(河川舟運)が行われていた時代、山清路は難所であったが、いざ小舟に乗って川下りをすれば、まるで仙人の住まう世界を周遊しているようだとも評されたとのことです。
かつては河床には奇岩・猿とび岩を始め、水神釜や竜神の岩穴といった景色を見ることができましたが、1957年(昭和32年)に東京電力の発電用ダムである平ダムが完成し、ダムは山清路の下流1キロメートルの地点に位置しており、ダムから上流6キロメートルの区間が水没し、長く曲がりくねった人造湖が誕生しました。この変貌について、『角川日本地名大辞典』には「峡谷の景観は失われ、山の湖として新しい観光地に生まれ変わった」と記されているとのことです。
本日私は公務が無く、朝恒例の撮影は鷺の平集落まで行き、ドローンで山清路バイパスの新橋梁の架設状況を撮影しました。
主要地方道大町麻績インター千曲線は生坂村山清路地籍において、平成18年に大規模な岩盤崩落が発生して以降通行ができなくなり、県道は旧山清路橋の2トンの重量制限のある橋梁に迂回させている状況が続いています。
このため平成22年度から延長442m、幅員5.5(7.0)m(内橋梁延長136m、幅員5.5 (9.0)m)のバイパス工事に着手し、平成29年度には橋梁上部工(鋼単純下路式ニールセンローゼ橋)を発注して、来年初夏の完成予定で工事を進めていただいています。
この事業の完成により、安全・安心な交通の確保や観光振興、地域活性の向上に大きく寄与することが期待されています。
山清路の地形は麻績累層と呼ばれる地層が犀川に浸食されて形成され、北の金戸山(かなとこやま)、南の雲根山に挟まれ、川の両岸は最高で60メートルの断崖となっています。
春はヤマツツジ・ヤマブキ・フジといった花が断崖に咲き、夏は山々が緑に包まれ、秋は紅葉、冬は雪景色と四季を通して美しいことから、古くから名勝として知られてきました。
犀川通船と呼ばれる水運(河川舟運)が行われていた時代、山清路は難所であったが、いざ小舟に乗って川下りをすれば、まるで仙人の住まう世界を周遊しているようだとも評されたとのことです。
かつては河床には奇岩・猿とび岩を始め、水神釜や竜神の岩穴といった景色を見ることができましたが、1957年(昭和32年)に東京電力の発電用ダムである平ダムが完成し、ダムは山清路の下流1キロメートルの地点に位置しており、ダムから上流6キロメートルの区間が水没し、長く曲がりくねった人造湖が誕生しました。この変貌について、『角川日本地名大辞典』には「峡谷の景観は失われ、山の湖として新しい観光地に生まれ変わった」と記されているとのことです。