写真は2年前、福井の現場で、この日集まっていただいたMさんが撮影した盤と駒の写真です。
撮影の日付は平成20年の5月下旬。それをMさんにお借りしてアップしました。
そもそもですが、品をじっくり拝見する時は、写真を撮影する時間はありません。
自分の眼でしっかりと見て判断し、その結果を持ち主や周りの人に伝えるようにしています。
もちろん、終わってから2~3枚は撮るのですが、今回は全体が分かる良い写真が見つからなくて、この写真を拝借したわけです。
問題の葵紋が「キリガネ」か「平文」だったかですが、2年前に所蔵者のお宅で拝見して、その2か月後にもう一度、某大学の一行と一緒に博物館で拝見して、その時の記憶。
この写真を改めて見て、「キリガネ」であることがわかります。
その一つは、この時すでに痛みが生じている所もありましたが、それでも全体として立派で美しい盤でありました。
惜しむらくは「キリガネ」の破損。剥離によって、黒い下地が部分的に表れています。
「キリガネ」は、金箔を10枚近く貼り重ねて板にして、それを切り抜いて漆で貼り付けたものです。普通の蒔絵のような鈍い輝きでなく「キラッと」と輝くわけです。
各面にある3つの葵の家紋の内1つを、わざわざ「キリガネ」にしているのは、凝りに凝った仕上げにしていると見なければなりません。すべて蒔絵で仕上げた方がズーッと簡単。
ところでこの紋が「キリガネ」あるいは「平文」で作られていることを小生のブログで公表したのは、6月9日。東京での収録が終わってからのことです。
放送局から届いたCDで見た限りでは、番組の鑑定では「キリガネ」の「キ」の一言も言っておりません。
問題の一つは、収録の時点で「キリガネ」とか「平紋」のことは、頭には無かったという可能性が推測されるのですが、まさかそのようなことは無かったと信じたい。
しかし、怪しげな人が「2ちゃんねる」や「各種ブログ」で、「キリガネ」に触れ、真っ向否定しだしたのは、そのあとでありました。先ず、このことを指摘しておきます。
ところで、本日記載の写真は、08年5月30日前後に所蔵者宅で撮影したものです。
今の所蔵者がこれを買うと決めた時期でもあります。
当日は、福井新聞の記者も現場に来て、6月1日付の朝刊で鑑定結果を報じております。
所蔵者の名誉のために申し上げますが、心ない人たちの一部は「所蔵者とこの時の鑑定者(これは小生のことです)がつるんで、紋を作り直し、高値で売ろうとした」とか、「なんでも鑑定団をだまそうとした」とか、ひどいことを言って、これは名誉棄損です。
6月1日の報道で、そのことを知った知事が「福井県立歴史博物館に預けて欲しい」との申し出があり、所蔵者は2週間後にそのようにされました。
「預かり証」は平成20年6月14日付け。そのコピーと、その時の状態を双方が確認するため「詳細+写真」のコピーは、今回の経緯をまとめるにあたって、資料としていただきました。
県立博物館に預けられた盤駒は、その後、駒と駒箱は、将棋の日に関西将棋会館、昨年は水無瀬神宮と島本町での展示会のため、日帰りで博物館を一時出ましたが、盤の方は、ずーっと県立博物館を動いていないということも確認しています。
口さがない一部の人は「この2年間のどこかで、紋をすり替えた・・」などと、悪意に満ちた風評を流していますが、県立の博物館にしっかりと保管してあったものを、どうして家紋をすりかえることができましょうか。
あり得ないことを、さも真実のように作って言いふらし、他人を欺くことは許されることではありません。人間性を疑われることに気がつかないのでしょうか。
この蒔絵の技術を含め、まだまだはっきりしなければならないことがいろいろあります。
この続きは、また日を改めて書きます。
ご質問があればお尋ねください。小生のわかる範囲でお答えします。
では、また。
撮影の日付は平成20年の5月下旬。それをMさんにお借りしてアップしました。
そもそもですが、品をじっくり拝見する時は、写真を撮影する時間はありません。
自分の眼でしっかりと見て判断し、その結果を持ち主や周りの人に伝えるようにしています。
もちろん、終わってから2~3枚は撮るのですが、今回は全体が分かる良い写真が見つからなくて、この写真を拝借したわけです。
問題の葵紋が「キリガネ」か「平文」だったかですが、2年前に所蔵者のお宅で拝見して、その2か月後にもう一度、某大学の一行と一緒に博物館で拝見して、その時の記憶。
この写真を改めて見て、「キリガネ」であることがわかります。
その一つは、この時すでに痛みが生じている所もありましたが、それでも全体として立派で美しい盤でありました。
惜しむらくは「キリガネ」の破損。剥離によって、黒い下地が部分的に表れています。
「キリガネ」は、金箔を10枚近く貼り重ねて板にして、それを切り抜いて漆で貼り付けたものです。普通の蒔絵のような鈍い輝きでなく「キラッと」と輝くわけです。
各面にある3つの葵の家紋の内1つを、わざわざ「キリガネ」にしているのは、凝りに凝った仕上げにしていると見なければなりません。すべて蒔絵で仕上げた方がズーッと簡単。
ところでこの紋が「キリガネ」あるいは「平文」で作られていることを小生のブログで公表したのは、6月9日。東京での収録が終わってからのことです。
放送局から届いたCDで見た限りでは、番組の鑑定では「キリガネ」の「キ」の一言も言っておりません。
問題の一つは、収録の時点で「キリガネ」とか「平紋」のことは、頭には無かったという可能性が推測されるのですが、まさかそのようなことは無かったと信じたい。
しかし、怪しげな人が「2ちゃんねる」や「各種ブログ」で、「キリガネ」に触れ、真っ向否定しだしたのは、そのあとでありました。先ず、このことを指摘しておきます。
ところで、本日記載の写真は、08年5月30日前後に所蔵者宅で撮影したものです。
今の所蔵者がこれを買うと決めた時期でもあります。
当日は、福井新聞の記者も現場に来て、6月1日付の朝刊で鑑定結果を報じております。
所蔵者の名誉のために申し上げますが、心ない人たちの一部は「所蔵者とこの時の鑑定者(これは小生のことです)がつるんで、紋を作り直し、高値で売ろうとした」とか、「なんでも鑑定団をだまそうとした」とか、ひどいことを言って、これは名誉棄損です。
6月1日の報道で、そのことを知った知事が「福井県立歴史博物館に預けて欲しい」との申し出があり、所蔵者は2週間後にそのようにされました。
「預かり証」は平成20年6月14日付け。そのコピーと、その時の状態を双方が確認するため「詳細+写真」のコピーは、今回の経緯をまとめるにあたって、資料としていただきました。
県立博物館に預けられた盤駒は、その後、駒と駒箱は、将棋の日に関西将棋会館、昨年は水無瀬神宮と島本町での展示会のため、日帰りで博物館を一時出ましたが、盤の方は、ずーっと県立博物館を動いていないということも確認しています。
口さがない一部の人は「この2年間のどこかで、紋をすり替えた・・」などと、悪意に満ちた風評を流していますが、県立の博物館にしっかりと保管してあったものを、どうして家紋をすりかえることができましょうか。
あり得ないことを、さも真実のように作って言いふらし、他人を欺くことは許されることではありません。人間性を疑われることに気がつかないのでしょうか。
この蒔絵の技術を含め、まだまだはっきりしなければならないことがいろいろあります。
この続きは、また日を改めて書きます。
ご質問があればお尋ねください。小生のわかる範囲でお答えします。
では、また。
駒の写真集
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