熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。送料込み5000円。
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先ほど戻りました

2010-07-17 21:06:08 | 文章
「駒サロン」から、先ほど戻りました。

本日の参加者は1名増えて11名。小生を入れると12名でした。
話題は予測どおり、例のテレビ。
しかし、3名ほどはテレビを見ていなかったり、騒ぎをご存じでなかった人もいたので、あらましの内容とこれまでの経過を説明するところから始め、次いで、皆さんから質問を受けることにしました。

最初に「駒」について、次のような質問がでました。
[Q1]
象牙の駒が白黒で、「道休の供養」というのは、どうも合点がいかない。仮に、そうだとすれば、その2~3年後に「家康や秀頼」などへの象牙駒も「供養」なのか。それはおかしい。

[ANS]
「将棋馬日記」に、慶長3年「象牙駒 道休」とあるのは、受注記録ではなく、駒を「道休」方へ収めた納入記録です。
道休はそれまでに「ツゲの駒」を数組、手にしているリピーターの一人。
道休から水無瀬家へは、こんな会話があったはず。
    「水無瀬殿。今度はツゲでなく象牙で作ってもらえまいか・・」。
これに対して水無瀬兼成は、
    「承り申した。しかし象牙駒は作ったことがなく材料を持ち合わせておらぬ。今回は材料集めから始めるので時間は掛かりますが、よろしいか」。
ということで、先ずは材料集めから始めた。

当時、象牙は容易く入手できるものでもなく、材料集めに相当の月日がかかった。
駒が出来上がった時には「道休」は1年前に亡くなっていたが、駒は約束通り道休の縁者に収められた。このように考えるのが自然。
なお、2~3年後に秀頼や家康に象牙の駒が収められたが、象牙はこの時の残りが使われたと見るが、まさかこれも「供養の品」でもあるまい。
同じような象牙駒を供養品として、死んでもいない秀頼や家康に渡すなどとは論外。討ち首切腹ものである。

「盤」に関しては、「紋が付け替えられているかどうか」が最大の焦点。
[Q2]
 テレビの鑑定人は「紋が付け変えてある」と言ってるが、それはどうですか。

[ANS]
 テレビでは、「輿入れ元の紋が、徳川の紋に付け変えられた」と言っていたが、途中で「徳川の紋が、徳川の紋に付け替えた」と、言うことが変わっているようだ。
いずれにしても、漆の専門家、輪島の3人と越前の2人は、
「書き変えた痕跡は見あたらない」。
「紋が付け替えられておれば必ず痕跡が残る」。
「痕跡なく付け替えることは100%不可能」。
「金の板が剥がれたあとに見える赤茶は接着漆。黒は中塗り下地」。
「漆のプロなら誰でもわかること」。
ということでした。

この後、色々な質問がありましたが、長くなりますので省略します。
では、おやすみなさい。
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駒の写真集

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