2月20日(木)、概ね晴れ。
日中はあたたか、まずまずの気温。木くずの出る外仕事もはかどりました。
夕刻、電話の中で「駒の銘」について、やり取りがありましたので、今日は「銘」についての、小生なりの見方、考え方について触れておきます。
「駒の銘」は、作者として「これは私が作ったものだ」との製造責任を表したものであり、それと同時に、商業主義に裏付けされた商品価値を高めるためのブランドとしての意味も持ち合わせています。
しかし、江戸時代以前の頃、水無瀬兼成さんが作った「水無瀬駒」には、銘が入ってはいないのです。
これをどのように見るかですが、これは商業主義のかけらもなかった時代には「銘」を入れる発想が無ったが、「銘」は江戸時代半ばころからの商業主義の芽生えとともに、腕に多少自信がある者は、商品に自身の名前を入れることでほかとの区別を図り、商品価値を高め、自身の名前を売ろうとしたわけで、このような動きが発端で「銘が入った駒は上等品」だということになった。
さて、その「銘」ですが、現在では、作者の誰もが自身の銘を駒に刻んで上等品を装うようになっていますが、それはそれで自由だし、ヨシとしたい。
駒の良し悪しは、「銘」のあるなしや、その名前ではない。しかし、勘違いしている人が多いのではないかと思う。つまり、駒そのものを見ずして、先に「銘」をみる人が多いようで、これはおかしなことであります。
ところで、小生の「銘」は、多くは「良尊(花押)」としています。
依頼者の要望によって「熊澤良尊(花押)」と、フルネームで銘を入れたりすることもあります。しかし、作者としてはどちらにも違いがあるわけではないのですが、最近はフルネームでの要望が多いので、それに従うことにしています。
その一方で、「良尊刻」とするケースもあります。これは彫り駒や彫埋め駒で、盛り上げ駒とは明瞭に区別するため、名前の下に「刻」としています。