熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。送料込み5000円。
残部僅少、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

ただ今高知に着きました

2009-08-20 17:17:38 | 文章
8月20日(木)、晴れ。

昨日は、徳島に着いて、王位戦会場での検分を無事終えて、一泊。
夜は、一行の6人で将棋三昧でした。

今日は、9時からの対局開始を皆で見学してから、眉山・旧ドイツ俘虜収容所記念館を見学してから、急遽、うだつのあがる脇町へ。
ここには、小野五平名人の家と記念館があります。
そこを8年ぶりくらいで、訪ねました。

記念館の2軒隣が、小野五平名人が住んでいた家で、お孫さんの平田喜一郎さんが住んでおられました。
住んでおられました。という過去形で表現したのは、最近まで居られたのですが、
3ヶ月ほど前に、亡くなられたそうです。

前回来た時は、旅行中で会えなかったので、今日はひょっとすればお話が聞けるかなあと、期待したのですが、本当に残念でした。
それでも平田さんの奥様にはお会いして、少しお話できました。


平田家の少し東に、古い吉田家邸宅があります。
藍染で財を成した商家ですが、5年ほど前の王位戦では、ここが対局場に使われました。

ここも見学して、高知に向かいました。
今、ホテルに着いたところです。
ホテルのパソコンで、ブログを更新しました。

では、また。

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秋の気配

2009-08-19 05:21:01 | 文章
8月19日(水)、只今朝焼け。

昨晩は、涼しく秋のような気配です。

昨日、総選挙がスタート。
自分の一票で、これからの日本の命運が決まります。
「口だけ政治」、選挙のときだけの「巧言麗色」に、騙されてはいけないと思っています。

今日は11時頃、尾崎さんが迎えに来てくれます。
一行は、小生を入れて6人とか。

帰りは金曜日の夜中。それまで留守にします。
ブログの更新は出来ませんので、悪しからず。
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2009-08-18 19:19:28 | 文章
8月18日(火)、晴れ。

朝晩は涼しいのですが、今日も日中は35度近くになりました。

今日は「古水無瀬」の研磨。使用するペーパーは600番。一つ一つこれまでの工程を確かめながら、さらに研磨を重ねます。
ツゲは研磨するほどに、素材の良さが引き出せます。

30年前の頃は、磨いてある駒はほとんど見かけませんでした。
磨いてなくても、皆が駒はそんなもんだと思っている人が大半でした。
駒づくりの職人も、とに角、量を沢山作ることが、収入を維持する手段でありましたから、手間のかかる磨き何ぞに費やす時間もないし、心が及ぶ人はほとんど居なかったようでした。

それでは折角のツゲという最高の素材をフルに活用していない訳で、しっかり磨いた駒こそ良い駒だと「駒づくりを楽しむ会」で、言い続けました。

その結果、作る皆さんはもちろん、買い求め使う方もだんだんと眼が肥えて、変わってきたのはここ20年ぐらい。定着してきたのは10年くらい前からででしょうか。

今では磨きがほとんどしていない駒は、少なくなりました。
そんな駒は売れなくなったんだと思います。

3年ほど前のことですが、詰将棋でも指し将棋でも大御所のN九段とタイトル戦の控え室でお話していたら、駒のことに話が及んで、「新しい駒で、詰将棋を考えていたら、指が痛くなってネ・・、困ったもんだ」とおっしゃって居ました。

誰が作った駒かは聞きませんでしたが、以前はほとんど面取りしていない駒が、普通に売られていたのです。

と言うことで、今日は面取りと磨きを、2組分の「玉将」からやり始めました。
途中、買い物やら手紙書きやらが入って、進んだのが「銀将」までの約30枚。

明日からは徳島なので、この続きは週末までお預けになりますが、昨日から酷使している右手人差し指の指先の腫れは、その間に治まってくれるでしょう。

なお、素地を充分に磨かず、蝋をベタベタ塗っているのは、その場限りの手抜きで誤魔化しです。買う人は、その辺のところをよく見分けることが大切です。
では、また。

おっとっとと忘れていました。
カヤの板で作った百人一首。
今日の写真は、今朝の庭での一コマ。
黄色というか、オレンジ色と黒の斑模様の蝶です。
昔、郡山では周りで沢山、ひらひらと舞い翔んでいました。
加茂の工房では、ちょっと少なく2頭でした。

見ていると、草むらに止まり、そのあとは草むらの中を地面に降りて、お尻を前の方へくねらせて、どうやら卵を産んでいるようでした。

幼虫は、真っ黒だったと思います。確かスミレの葉っぱが好物でした。
野に咲くスミレは、小生も好きな花ですので、あちこちに植わっています。

蝶の名前は、昔は覚えていたのですが、確か「キマダラチョウ」でしたか?
間違っているかもしれません。
正確な名前を教えてください。
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研ぎ出しています

2009-08-17 20:14:43 | 文章
8月17日(月)、晴れ。

朝は23度と涼しかったのですが、気温はぐんぐん35度となる中、一日中NHKラジオで高校野球を聞きながら「研ぎ出し」作業を続けました。

写真は今日の終りの状態です。
今日は、320番で一通り余分な漆を落として、400番でもう一度研ぎ出してから、面取りをしました。
全部で2組あります。
これだけするのに、7時間ぐらいかかりました。
明日以降は、さらに細かいペーパーで、もう少し研磨と面取りを繰り返します。

このうち1組は、9月初めに完成させる予定です。残り1組は、急がないのでぼちぼちやります。



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浄法寺の漆

2009-08-16 22:17:18 | 文章
「漆かぶれの特効薬」。
それは「シナノキ」の皮を煮出して煎じた液体でした。
2人の方から、コメントで教えてもらいました。

一人は、浄法寺の方です。
漆の精製を仕事にして居るそうで、浄法寺漆。
どんな漆か興味があります。一度使ってみようと思っています。


写真は、玄関脇に咲き始めたユリ。
3年ほど前に、赤い山つつじの株を買って植えていたら、思わぬユリが一本伸びてきて花が咲きました。
以来、1本が2本になり、2本が4本になり、今では7本になりました。





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浄法寺

2009-08-16 07:32:44 | 文章
8月16日(日)、曇り。

昨日一昨日と晴れていたが、今日は空一面の村雲。
遠くで鳴く騒がしいセミの声は相変わらずです。

先ほど、BSテレビでは「浄法寺の漆掻き」をやっていました。
漆掻きは、漆の木の幹に傷を付けてそこから滲み出る漆液を集める仕事やそれをする人のこと。
浄法寺は、岩手県の北にあります。青森に近いところ。
そこで漆の木を栽培し、樹液を採取して、それを仕事にしている様子をドキュメンタリー風に放映していました。
漆掻きについては、物の本で読んで知っては居ますが、改めて興味深く見ました。
独特の先が二股になっている刃物で、幹を傷つけて、ほんのちょっぴり出てくる漆液を掻きとる。これをあちこちの山に植えた漆の木で繰り返すわけですが、同じ木は4日休ませてから、繰り返すそうです。

そのほかの道具は、木の皮を剥ぐ鉈。採った樹液を入れる漆桶など。これを腰にぶら下げて山に入ります。
帽子、手袋、地下足袋、腕カバーと顔以外は肌は露出しない服装です。
直に漆の液に触れると、ひどい漆被れになるからです。
(小生の経験では、精製した蝋色漆や透き漆ではほとんど被れなくても、生の漆「生漆」ではひどく被れます)

1日に採れる漆液の量はほんの少し。それでも春先から秋口にかけて採れる量をまとめると、100キロぐらいとか。
日本産漆は中国漆に較べて5倍くらい高いので、まずまず食っていけるのでしょう。

ところで、現在、浄法寺以外で漆の木を栽培して樹液を採っているところとしては、石川県の山中あたり、岡山県の備中あたりなど数えるほどです。

漆掻きは大変な重労働だと思います。
盛りは暑いさなかの夏。若い人はよほどの人でないと続かない。後継者不足は眼に見えているようです。

安い漆は、流通段階で混ぜ物で量を増やして売られています。
漆掻き人→仲買人→精製業者→漆屋→消費者と流れていると思いますが、中国産の場合は、途中に何人もの業者が居ると思った方が良いのでしょう。
元々、日本産と較べて成分の関係で質が劣るのですが、途中の業者それぞれが増量のため混ぜ物をしているとすれば、どうでしょうか。

ところで近年は、漆の値段が高騰しているようです。
混ぜ物がない日本産蝋色漆。
以前は、100グラム1万円ほどでしたが、最近は倍の2万円ほどになっています。
2年ほど前から、日光の東照宮で大掛かりな修復事業が開始されて、日本国中の質の良い日本産の漆が買い占められて、それも一因かと思っています。

漆のことでは、一度岡山に行って勉強して来ようと思っています。

今週は、徳島の王位戦第5局に行きます。
幸い、四日市の尾崎さんが、車で連れて行ってくれるので、それに甘えます。
19日は徳島で泊まり、20日は高知へ足を延ばして一泊。翌日は徳島に戻り、終局まで結果を見届けて帰ります。

今日は、少し買い物で半日つぶれる予定です。
残った半日は、工房で何かをします。

昨日は、小一時間ほど庭の草むしりをして、腰に少々痛みが出ています。
一昨日の右手薬指の先の痛みは治まりました。
続きの研ぎ出しでもやりますかね。

おっと、もう1つ面白いことを書いておきます。
テレビでは「漆のくすり」と書いたペットボトルに入った液体がありました。
これは漆かぶれの特効薬だそうで、「ハンノキ」だったか「カバノキ」だったか思い出せませんが、「何かの木の皮を煮出した液」だそうです。
誰か覚えている人が居られましたら、教えてください。




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終戦の日

2009-08-15 20:15:16 | 文章
8月15日(土。終戦の日)、晴れ。

終戦は、1945年8月15日。あれから64年が経過します。
前にも少し書いたことですが、終戦の数ヶ月前の名古屋の大空襲の時の場面を少しだけですが、恐ろしい絵柄としていくつか記憶しています。
とはいえ、終戦のことは、2歳半でしたのでまったく記憶はありません。

終戦後、3歳か4歳の頃に京都に移りまして、1年ぐらいですが、高野川の傍に住んでいた時期があります。
この頃だと思うのですが、今思えば軍事トラックかジープに乗った米兵の記憶があります。
米兵が車の後ろに座って、チューインガムか、チョコレートを、子供たちに撒いていた情景の記憶があります。
多分、こちらもそれを拾ったのだと思います。

それから1年後の5歳ぐらいの頃、住まいは下賀茂神社近くに移り、その頃はチューインガムは、確か5円でタバコ屋で売っていて、それを買った記憶もあります。

鴨川では、10歳と少し上の兄貴が、時々筒っぽの仕掛けで鰻を捕って、目打ちと切り出しナイフで裁いて食べた記憶があります。今思えば、このときの鰻は、大変なご馳走だったに違いありません。

夏、下賀茂神社の思い出は、ヤンマと玉虫です。
境内に、泉川という小川があって、小さな橋の欄干で鬼ヤンマを手で捕まえたのですが、指先をガブッと噛まれてしまいました。
びっくりして、引っ張ると、鬼ヤンマの首が千切れて、頭だけが指に喰らい付いたままでした。
玉虫は、鬱蒼としている高い木の上のほうに、時々止まっているのを見つけて、兄と網で捕らまえたり、逃がしたり。
高すぎて届かなかったことが多かったと思います。

京都は、爆撃を受けなかったので、戦争の爪あとの記憶はありませんでした。
物心が付いてから、戦争の爪あとの記憶は、大阪です。
小学校に入る少し前に、大阪に移り住んだのですが、遊びのテリトリーの上六(上本町6丁目)あたりは、まだ爆撃を受けた瓦礫がそのままになっていて、そこで冒険遊びをしていました。

近くには、真田山と呼ばれるところがあって、そこは昔、真田幸村の陣地のあったところで、大阪城に通じる秘密の抜け穴がありました。
小学校2年か3年くらいだったでしょうか。この辺りでも良く冒険遊びをしました。
上六の爆撃のあとは、やがて家が建ちビルが建って遊べなくなりました。

戦争関連の記憶は、こんなところです。
それに、もう1つ思い出しました。
「焼夷弾」の音です。
「シュルシュルシュル・・・」という音を出して、ゆっくり落ちてくるのです。
ぱあーっと、明るい色を出して、怖かったのですね。
母の背中に負われて、64年前、2歳の記憶でした。


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夕景

2009-08-14 20:35:59 | 文章
8月13日(金)、快晴。

朝9時の気温は27度。
今日は、カラッとして涼しい風が吹いていました。

昨日、木曜日は蒸し暑い中を、戸外で「古水無瀬」の研ぎ出しを始めました。
以前彫っていた分と2組纏めて、一通り粗い220番のサンドペーパーで不要な漆を大方削り落としましたのですが、途中で、右手の中指の先に近いところが痛み出しました。
見ると、皮の中のほうが少し白っぽくなっていました。
この工程では、右手の親指と人差し指、それに中指の3本で駒を保持してペーパーの上で前後に動かしますが、一番力が掛かるのが中指です。
おまけに、丁度駒の先がここに当たります。
白いのは、水ぶくれになりかけているのです。

でも、もう少しということで、痛めたところを使わないようにしながら、一通り粗摺りを終えるところまでやりました。
1日経って、痛めたところはまだ「チクチク」していますが、白っぽいのは大分元の色に戻っています。
あと、1日か2日経つと、痛みも消えると思うので、この続きは明日か明後日。

従って、今日は駒づくりは一休み。
その代わり、一人来客がありました。
11月21日から大阪府島本町で、水無瀬駒の文化財指定記念の展示会があるのですが、そのときに使う関連資料や写真を島本町に貸し出すことにしていて、今日はそのうちドレを展示するかの下調べのため、担当者の方が来られました。

現物をいくつか見ていただいたのですが、ついでに江戸時代の「木札の百人一首」を見せたところ、いずれは百人一首の関係も企画する予定とかで、そのときは是非貸して欲しい、とのことでした。
木札は、1.5ミリくらいの薄いものです。
200年くらいは経っているものだと思いますが、「カヤ」で出来ています。
鼻を近づけると、例の甘いニッキのような匂いがホンノリとします。
明日、写真に撮ってご覧戴きます。

写真は、小生の部屋から見た西日が沈む間際の夕景。久しぶりの快晴でした。

正面やや左の山の間あたりが「当尾(とうのお)」と呼ばれるところで、「浄瑠璃寺・岩船寺」があります。

正面、遠くの山の向こうが奈良の春日山原始林です。


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墓掃除

2009-08-12 19:41:30 | 文章
8月12日(水)、晴れ。

今日は、枚方にあるお墓の掃除に行ってきました。
少し前になりますが、「お墓の前でなかないでください。私は居ません・・」という歌を良く聞きました。

本当かどうかは知りませんが、ご先祖さんは、お盆の間中、墓から抜け出して、居られなくなると言う事ですから、この歌は、お盆限定なのでしょうね。
それはともかく、明日からはお盆ということで、沢山、墓参りの方々が来ておられました。

偶然ですが、「関西駒の会支部幹事長の林田さん」の家のお墓が、4~50メートルほどのすぐ近くにあります。
見ると、今日は、女性ばかり4人の方がお墓参りに来ておられました。
奥様には一度だけお会いしたことはあるのですが、いきなり変な男が声をかけるのもどうかと思い、遠くから心だけのご挨拶(?)で済ませました。

小生の方の墓には、仏は誰も居りません。木の卒塔婆だけが立っております。
40年ほど前、結婚する少し前に取得しましたが、分家の新墓です。
ですから、「墓参り」ではなく「墓掃除」。親や先祖は、近くにある兄の方。ここには「墓参り」をしました。

変な話になってしまいました。

で、今日の仕事は、墓掃除と墓参りをはさんで、4時間ほど。
1つは「古水無瀬」の埋め。埋めるのは「錆び漆」。
昨日あたりから埋め始めました。

彫ったところを埋め終わるのに、大体5回ぐらい塗り込むわけです。
4回では埋めきっていないところが結構あるので、5回やればまずまず安心というわけです。

輪島あたりでは、錆びうるしは「砥ノ粉」でなく「地ノ粉」を使います。
「地ノ粉」は、このあたり能登半島で取れる珪藻土を焼いた粉です。
土地で取れるから「地ノ粉」と言うんでしょうね。
「砥ノ粉」は、砥石の粉です。
輪島では、「地ノ粉」を使うから堅牢だといいますが、「砥の子」も「地ノ粉」も、石の粉。どちらも似たり寄ったりだと思います。
強いのは「布着せ」といって、お椀の縁などの欠けやすいところを、麻布で巻いてリして、その上を漆で固めるからです。

能登の特産に「珪藻土製のコンロ」があります。
昔はどこの家庭でもありました。最近は見かけません。
炭や豆炭をくべて、魚を焼いたり、肉を焼いたりの丸いやつです。
関西流で言うと「かんてき」、関東流で言うと「ひちりん」です。
確か、シェアー100%だったと思います。

「ひちりん」は、江戸っ子が言うと「しちりん」となります。
「ひ」が「し」になるのですね。
また、変な話になりました。

では、また。




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根付

2009-08-11 19:55:23 | 文章
8月11日(火)、晴れ。

早朝、大きな地震がありました。

5時に眼が覚めて、ニュースを見ていると、突然アナウンサーの様子が少し変になりました。黙りこくって、何か緊張している様子。
ややあって「只今、大きな揺れがありました」。スタジオは東京なので、東京で大きな地震があったのだと思いました。
ドレぐらいの地震かと、情報が多いNHKにチャンネルを切り替えて見ていると、しばらくして、「静岡地方で大きな地震が発生」とテロップが流れました。

震源は静岡なんだ。東南海地震が起きたんだと瞬間的に思いました。

ややあって、「ゆっさゆっさゆさ・・」と寝ている床が、揺れだしました。
京都の南あたりでも相当な揺れだったので「結構大きい」。
そう思ってテレビを見続けていると、詳細な地震情報が出て、震源に近い静岡あたりは、震度6弱。マグニチュードは6.6(あとで6.5に修正)ということでした。

東南海地震にしては、かなり小さい。
放送局の内部の揺れを見ても、そう大きく無い様子。
幸い早朝だったので、新幹線もまだ動いておらず、交通量も少ない時間帯だったので、被害の程度は小さく、少しは安心しました。


皆さんのところはどうでしたか。
それにしても、震源地に近い地域では、びっくりした人が多いでしょう。
あわてて2階から飛び降りて、骨折した人がいたとか。
お気の毒です。
どんな状況かは分らないので、軽々しいコメントは差し控えますが、咄嗟の判断と、運不運が運命を変えるのですね。


いずれ、東南海地震、南海地震があるということです。
咄嗟の判断が大切ではありますが、最後は運を天に任せるしか仕方無いことではあります。

写真は、今日書いた根付の文字。
始めは朱で、あとからは気分を変えて黒で書きました。
文字を書く時間より、どんな文字を書くかを考える時間の方が余計に掛かりました。


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駒の写真集

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