牛肉
カウボーイの焼くぶ厚いステーキに
生唾をこらえながら
粗末な一室で白黒テレビを抱えていた
ある日 どうにも我慢できず
「スエヒロ」に飛びこんだ
初めて目にするビフテキ
血の滴るミデアムレアーに醤油をかけると
大学一年生のひと月分の小遣いが飛び
四ッ谷や九段の方角から微かに
シュプレヒコールが聞こえていた*
あの牛肉はどこへ行ってしまった
噛むほどに味が染み出してきて
のみ込んでしまうのが惜しまれる存在感
「やわらかーい とろけそう」
口に入れたとたん感嘆の声があがる
「サシがこんなに入ってますから」
店主が自慢する
霜降りの特選黒毛和牛だという
いったい脂なのか肉なのか
これでは牛も自力で立ってはいられまい
咀嚼を忘れてしまったホモサピエンス
軟らかいことは即ち美味いことなのか
馬を降りたカウボーイたちが
日本向けの走らない牛を育てている
へなへなした軟弱な牛
* 六十年安保闘争