ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

きんぴらとちんぴら

2011-04-17 11:20:12 | 日記・エッセイ・コラム

直売所でウドを見つけたので
さっそく 豚肉入り中華風きんぴらをつくる。
 ( 勿論アレンジであってレシピなどはない )
.テンメンジャン・トウバンジャン・中華トリガラスープ・醤油の
合わせ味噌で炒めれば はい、一丁上がり!
これがまあ、実に美味!
・・・・・・・・・料理は想像力と愛情。

ところで、きんぴら と ちんぴら・・・・
似て非なるものだが、気になるのでちょっと調べてみると
全くの無縁ではなさそうである?
先ずは きんぴら について
ゴボウの精や歯ごたえ、唐辛子の強い辛さを
坂田金平(金太郎の息子)の武勇に因んでその名が付いた。
では ちんぴら とは、
一人前ぶった小物のやくざのことを指すが
苦みばしった強がりは きんぴらと何処か通じてはいないだろうか。

関連性が無いのに似たような響の言葉ってあるよね。
例えば 天才と天災・・・・・・・
一見、無関係と思えるが
天才は時にはとんでもないものを発明して
とんでもない災難を生みだすことがあり
天才と天災は紙一重。

不倫と風鈴・・・
これだって、
風まかせ・あなたまかせの姿はそのままそっくり。

     独活を抜く写楽のごとき顔になり


なにか変だ

2011-04-16 23:33:26 | 日記・エッセイ・コラム

地元市議会議員の選挙がはじまり
3人の候補者から出陣式の案内がとどいた。
3人とも友人。
でも、顔は出さない。

若いころはそれなりに情熱があって
新自由クラブなどに走ったこともあったが
今ではもう事務所開きにも当選祝いにも出かけない。
それぞれに頑張ってほしいと思うだけで
選挙に関わることは避けることにしている。

きょうもまた震度4の揺れがあって
姪が心配のでんわをくれた。

3月11日以降は常にラジオをつけておく。
そのたびに幾度となく緊急地震予報に神経を尖らせる。
余震とは言えども
これほど頻繁に揺れるのは異常だ。
なにかしらもっと大きな災害の前触れのような気がして
落ち着かない。

「溜まっていたエネルギーが誘発されている」
学者の言うとおりなら
やがて終息するだろうが・・・・・
この頃は学者の話も(想定外で)あてにならない。

     硝煙のアラブにも咲け黄水仙


ほんとうの夜

2011-04-14 00:40:59 | 日記・エッセイ・コラム

計画停電という無計画なものが中止になって
人の暮らしぶりにもようやく落ち着きがでてきた。

しかし、これも一時的なこと
いづれ不足するのは明らかである。
ならば節電をさらにおし進めてはどうだろうか。
せっかく国民がその気になったのだから
この機会に省エネ意識を高揚させ
節電の生活スタイルに作り変えていったらどうだろうか。

沖縄の米軍基地のように
もはや新しく原発を作ることは不可能だろう。
どの地域も受け入れてはくれない。
そうなれば当然、
現在の供給量だけでは慢性的電力不足に陥る。
そのたびに計画停電では日本の産業は崩壊してしまう。
代替エネルギーを見つけるか
無駄な電力消費を抑えるしかない。

近鉄奈良駅の改札口を出ると
眼の前は深い闇であった。
外灯がおぼろに点っているだけで
ぎらぎらしたネオンや看板がない。
ゆったりと時間が更けて
ほんとうの夜に出会ったような豊かな心地であった。

深い暗闇に抱かれてひとは信心深くなる。
謙虚で思索的にもなれる。
ぎらぎらした明かりの中では瞑想できない。
現代、優れた思想家や哲学者が現われないのは
夜が眩しすぎて霊感も想像力もひからびてしまうからだ。

夜はもっと暗くおぼろがいい・・・・・

     よぎりしは座敷わらしか春の闇


春風駘蕩

2011-04-10 12:36:59 | 日記・エッセイ・コラム

摘みたての瑞々しい菜の花とウドをもらう。

菜の花はもずく和えに
ウドはあっさり味のきんぴらに・・・・・
春だ、
五臓六腑に春の香が沁みわたり
ひととき放射能のうっとうしさを忘れさせてくれる。

ソプラノ歌手のコンサートを近々に控えた友人が
パンフレットとチケットを持ってきた。
歌手の桑田葉子氏は
昨年鎌倉で聴いたことがあり
かなりの力量があって
ホームコンサートのような狭い会場では
声が余ってしまい勿体ないような気もする。

私の詩も二編(雲・そらの果て)を
演奏してくれることになっているので
どうなるかちょっと楽しみである。

トラバサミに掛ったあの猫は
その後 近所の床屋に駆け込み
獣医の手で助けられたそうだ。

     ベクレルやシーベルトとや花菜和え


内弁慶

2011-04-08 11:08:20 | 日記・エッセイ・コラム

大震災からひと月になろうとしている。

余震のつづく中
未だに大勢の方たちが避難所で暮らしている。
昨夜も宮城県中心に6強の大地震があった。
劣悪な状況の下
言葉に表せないほどの深い悲しみと
プレッシャーに押しつぶされながらも
じっと耐えている姿に胸を打たれる。

「あんたは三日が限界だろうね」
妻に言われるとおり 私は家から離れられない。
旅行も二泊まではいいが
三日目になるともう無性に帰りたくなる。

子どもの頃からで
親類の家に勢いよく泊まりに行ったものの
日が暮れるとさびしくなる。
10kmの夜道を
自転車の後部に乗せられて帰ってきたこともある。

とりたてて家がどうということもなく
つまりは内弁慶なのである。

     ほうれん草もキャベツも旨し春の空