浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

今日のポタリング

2013-09-14 16:14:00 | 自転車
世間は三連休ですが、本日我が家は僕以外全員お仕事。子どもたちが大きくなってくるとほんとに自分の時間が否応なしに増えてくるのね。

カミさんの送迎と朝食の後片付けを終えて自転車に乗るよ。

今日は東の風。なのに完全に勘違いして西を目指してたわ。

今川橋の下の日陰に小船が停まって釣りをしていました。

送信者 ドロップ ボックス2


妙見島がみえる旧江戸川ではカワウが羽を休めていました。

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新川を西へ西へ。風が逆だわと思っていたのだけど、この時もまだ予報が外れたと思っていた。どうも先週からぼさっと間違うようなことが多い。

心ここにないのは、またもや新しい仕事が降ってくることが分かってきたからかもしれぬ。

それもザルから漏れる水を指で塞ぐと云えばいいのか、座礁した船をサルベージするといえばいいのか。泥沼に浸かって立て直しを図る類の仕事だ。それもかなり大きな船をだ。

またかといえばまたかという話なのだが。

竪川の跡を辿ってさらに西へ。

天気予報で「東南の風」というのを何度も確認していたのに西に向かっていく馬鹿な男がここに一人だ。

小名木川と隅田川の合流点にある「そら庵」

ここはとっても好きな場視。今日僕はここに来たかった。ここから眺める清洲橋や萬年橋がとっても好き。ここからの眺めは心が落ち着く気がするのだ。

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昨日は同級の友達から「じいさんになったよ」という連絡があった。
孫が生まれたのだ。いやーめでたい事だ。
眼に入れても痛くないんだろうな。きっと。いや絶対。 
メロメロになる自分が見えるよ。

いやはや僕らもそんな世代なんですね。

霊巌寺

寛永元年(1624年)に霊巌島に開かれたお寺だそうだ。つまり中央区の新川だ。
どうやら島の北側がお寺だったらしい。

明暦3年1月18日(1657年3月2日)明暦の大火(振袖火事・丸山火事)によってお寺は焼失。この時境内に避難してきた人々一万人が犠牲になったという。

この火事によってお寺は現在地に移転してきたものだ。


送信者 文化財部



ここには松平定信のお墓がある。江東区が出している「こうとう文化財まっぷ」を眺めていて是非とも寄ってみたくなったのでした。

松平 定信は、陸奥白河藩第3代藩主。この付近が白河と名付けられているのはここからきている。

江戸の地が東北とつながっていることを発見するのはなんだかうれしいものがあります。

送信者 文化財部


お参りを済ませて自転車で東へ向かうと道路沿いには案山子が沢山。

深川資料館通り商店街の主催。第16回かかしコンクールだそうです。
延々と続く商店街には創作の苦労の跡がありありとした案山子たちが立ち並んでおりました。

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ゴールデン・ボンバーのダルビッシュやふなっしーみたいなやつもありました。

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後半は特にだらだら走行で約35キロ。あまり運動になったとは云えない感じです。戻って体重を測ったら先週よりも増加しておりました。

うわ。ショック。

しかし冷静に考えると、ここ最近、子どもたちが突然晩御飯をキャンセルするイベントが続いており、おやじにその分おかずが回ってきているのではないかということに思い当たった。

俺が太ってきたのは運動不足ではなくて食べる量が増えているからじゃんか。





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