浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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羽田 JAL機体整備工場 見学

2011-09-24 17:44:00 | 出来事
本日は羽田の新整備場にありますJALの機体整備工場を見学してきました。
これは見学には予約が必要で、だいぶ前から計画申し込みをしていたものです。

すっかり幹事さんにまかせっきりだったので、もっとずっと小規模なものかなーと思っていましたが、集まってみると結構大勢の人が来ていて、交代で入れ替わりながら実施しているもので、子どもからかなり高齢の方までそれこそいろいろな人が来ておりました。 

送信者 ドロップ ボックス


今日はカミさん同行だったので、羽田空港まで車、新整備場駅まではモノレールに乗りました。そもそも新整備場駅自体はじめて降り立った。

送信者 ドロップ ボックス


航空教室で飛行機の大きさや速度や高度、そして飛ぶ仕組みなんかについて簡単な説明を伺い、いよいよ整備工場を見学です。

残念ながら写真は撮ってもいいけどネットで公開はNGだということで、残念ですがお見せすることはできません。

先ずは重整備を行うハンガーデッキM1、ここではB-777などが機体がほとんど見えないくらい完全に足場で囲まれて整備されているところを見学。

続いて日常点検を行うハンガーデッキM2へ。
こちらではヘルメットを被って地上へ降り、点検されている実機を真近で見ることができました。本日は777-200、767の他にMD-90、A300がハンガー内で整備されていました。

JALではMD-90とA300は売却する予定でいるということで売る前提で整備をしているということなのだそうです。

それにしても旅客機が4機も入るハンガーの大きさは半端ない。

我を忘れて童心にかえったかのように嬉々として写真を撮ってまいりました。

いやいやすごかった。

送信者 ドロップ ボックス



見学を終えて、空港第二ターミナルの展望台から今度はANAの飛行機を鑑賞。

随分久しく飛行機に乗ってないなー。


送信者 ドロップ ボックス


絵的にはANAの機体の方が映えますねー。今度はANAの整備工場も見学したいと思いました。


つーか、飛行機で行く旅行したいよ。

綾瀬川放水路で水門を堪能

2011-09-23 17:24:00 | 自転車
台風15号(台風201115号 (ROKE))ロウキーは上陸時の中心気圧の低さがトップ10に入ると想定される歴史的にみても強力な台風だったそうです。

被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。首都圏は交通機関がマヒし、東日本大震災時以来の大勢の帰宅難民を生みました。皆様お疲れ様でした。

京葉線は、yahoo!の運行情報メールでの事前の運行中止情報というはじめてみるような連絡があり他のどの路線よりも真っ先に止まり、荒川で架線に飛来物がひっかかり運転再開がさらに遅れる事態となりました。僕も帰るのは結構大変でした。

さて、9月二度目の三連休の初日は自転車で北を目指しました。

中川を遡上。台風の爪あとが生々しい。河川敷は浸水した跡があり、樹が何本も倒れておりました。


送信者 ドロップ ボックス



考えてみれば、こんなにすごい台風が来ているという実感がなく、夜になれば過ぎてしまうだろうというように簡単に考えていた自分に気がつく。運休が事前に入るくらいの警戒態勢に入った京葉線のニュースも「なんか大げさじゃね」とか「京葉線弱っ!」みたいな反応をしてしまっておりました。

送信者 ドロップ ボックス


そんなに警戒しなくとも自分のところは大丈夫だろうと。つまりブラックスワンだった訳だ。

それにしても今年は水難の続く年であります。

中川を遡上して八潮市に入ると垳川を西進して綾瀬川に抜ける。

本日のおおよその計画は綾瀬川から綾瀬川方水路をぐるっと回ってこようというものだ。

綾瀬川をすこし進むと三つの川の合流点に出会う。左は毛長川、真ん中は伝右川、そして右が綾瀬川だ。

毛長川

送信者 水門と橋3


毛長川に西に進めば沿っていけば川口へ出る。こちらもかなり魅力的なコースだ。いつかまた来て。この先を走るぞ。

そして伝右川

送信者 水門と橋3


こちらはかなり遠くまで綾瀬川に平行する形で流れているようだ。こっちも当然いつか走る。

しかし、今日は計画通り綾瀬川を進む。

伝右川排水機場

近所をお散歩していたおじいさんに中を抜けられるといううれしい情報を頂戴して敷地内を抜ける。

送信者 水門と橋3


さらに綾瀬川をしばらく遡上すると今度は古綾瀬川との合流点に出る。


ここには、古綾瀬川排水機場が。

送信者 水門と橋3


水門のメカニカルな雰囲気がとても素晴らしい。
ところで古綾瀬川というくらいなので実際に昔は本流がこちらの方だったわけで、これもひたすら遡上していきたくなるなぁ。

送信者 水門と橋3


また左手には伝右川との連絡を取っている神明排水機場もある。


送信者 水門と橋3


それにしてもここらの水門はなんで二段になっているのだろうか。


なんてことをつらつら考えつつも、ついにどーん。

送信者 水門と橋3


綾瀬川放水路の入り口を押さえる草加南水門と北水門。

送信者 水門と橋3


こんなのが二つ並んでいるなんてステキな光景なんだろう。考えた人はえらい。

ここで綾瀬川に別れを告げ、綾瀬川放水路を下ります。

綾瀬川放水路は、この付近の洪水を解消するために整備された放水路で東京外環自動車道を挟んで流れる近代的な構造となっているものだ。

そこには水門と伏越が沢山あるのさ。

古綾瀬川上流水門

送信者 水門と橋3


上流というからには下流もあった。

古綾瀬川伏越

送信者 水門と橋3


絵的にはいまひとつなので載せませんが、葛西用水路伏越、八条伏越がありました。

伏越とは、逆サイフォンの原理で交差する川を跨いで水を送る仕組みで、つまり要は放水路を設けるにあたり、従来の水路を横切ることになってしまうので、この伏越を作って川を地中で立体交差させているという訳だ。

古綾瀬川も、かってに新しい川を作られ「古」をつけられたり、放水路のせいで地下にもぐらされたりと忙しい川なのだ。

東京外環自動車道に沿ってそのまま中川を渡り三郷西から二郷半領用水を下ることに。

外環の下道は信号も多いし、歩道の道筋がまっすぐではないためにやや走りにくい。三郷市の中川沿いの道も自転車にはあまりやさしくないからだ。

試しにと思ってきた二郷半領用水だけど、交差点では車に注意が必要だけれども道もいいし、信号も少ないのでかなり順調だ。

そして帰り道は追い風なので速い速い。大場川に突き当たり、中川に戻って家路につくことにしました。

たっぷり川と水門を堪能いたしました。ありがとうまた行くぞ。



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江戸城の壕をめぐる

2011-09-17 16:58:00 | 自転車
三日連休は大歓迎なんだけど、二週続いてくれるお陰で仕事は結構慌しい。どうには連休前の追い込みをこなしてほっと一息。一体なんでこんなに仕事に追われているのかと考えると三連休のせいだったりする部分もあるのでは。

気圧配置の関係で先週から引き続き南西の風が続いている。こんな日に北に向かうと帰り道に酷い目に合うかもしれないので、今日はひたすら西へ向かう。

そして目指すは神田川。まだ自転車で走ったことがなかったのでした。

当然の向かい風なのだけど、約50分で到着。かなり順調。神田川と隅田川の合流点を柳橋から見下ろす。

送信者 ドロップ ボックス




JR総武線橋梁 松住町架道橋

送信者 水門と橋その2


今日僕はほんとはこれを観れただけで満足だよ。

下路式ブレーストリーブ・タイドアーチ。
竣工 - 1932年7月(昭和7年)

美しい。


江戸城向かって走っているであろう龍脈に沿って渦巻状に壕とお堀の間を進む。気持ちがとてもいいのはいい気が流れているからではないかと思うことにする。

神田川から四谷へ、そして赤坂、永田町を抜けて三宅坂を下る。

そして前から訪れてみたかった場所。

日本水準原点標庫

送信者 建築部



憲政記念館に隣接する公園のなかにあるこれは夜に来ても近づけなかったのさ。

標高は東京湾平均海面(Tokyo Peil:T.P.)で24.4140m(測量法施行令第2条第2項)。日本水準原点標庫( - ひょうこ)という建物の中にある。

ローマ風神殿建築に倣ったトスカーナ式オーダーというのがなんとも重厚な雰囲気でありました。

1891年、佐立七次郎によって建てられたこれは日本人建

日比谷壕をまわりこんで正門石橋へ。

送信者 水門と橋3


しまった二重橋の絵がないじゃないか。

大手町から九段を登り、再び竹橋へ。日本橋川に沿って帰路につく。

日本橋は洗われてきれいになっておりました。

送信者 水門と橋3


日本橋箱崎町で出会った、高尾稲荷神社。

おっとしまった全景を撮り忘れた。
お参りして神社の由来を読んでびっくり、高尾は女性の名前なのだ。

吉原の遊女で高尾太夫は容姿端麗、和歌俳諧、書、諸芸に通じたといわれる才能のある女性だったという。その高尾に惚れたのが、仙台藩主伊達綱宗候。

大金とつんで見請けしたが、高尾にはすでに意中の人があり、操を立てて候に従わなかった。伊達綱宗は怒り高尾を隅田川の三又(現在の中洲)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てたのだという。

なんだこの伊達綱宗の書かれ方の悪ぶりは。

伊達綱宗が遊郭に出入りして放蕩したことが伊達騒動の引き金になってた訳だよねぇ。しかしそれは陰謀であったはず。

高尾の遺体は数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当所そこに庵を構え居合わせた僧が引き揚げてそこに手厚く葬ったというのがこの神社のいわれなのだという。
社の祭壇には、実物の頭蓋骨が祭神として安置されているという。

そしてふと入り口の石塔をみるとそれはどうみても女性の顔にみえるじゃーありませんか。

しぇー。とりあえず仙台から代表してお詫びしておきました。あー、びっくりした。

送信者 ドロップ ボックス


家に帰って調べたらこの高尾太夫のお話は結構有名なものでした。高尾太夫は、吉野太夫・夕霧太夫と共に三名妓(寛永三名妓)と呼ばれる花魁のトップスターであり、高尾太夫はもしかすると11代も続いたのだという。

二代目が伊達綱宗に吊り切りされたという話は一般的には俗説なのだそうだ。あー、よかった。しかし、そうなるとあの祭壇に祭られているという頭蓋骨は一体どなたのものなのだというのでしょうねー。

約60キロ。橋の写真をとるのにうろうろ。とっても良いポタリングでした。


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有明界隈をぶらぶらと

2011-09-10 12:58:00 | 自転車
今日はカミさんがお仕事。娘は中学校の体育祭。三年生なので中学最後の体育祭だ。親としても子供の運動会を観にいくなんてこれがたぶん最後の機会なのだろう。

娘の出番までの間に自転車に乗ってくることにした。

風向きの関係で有明方面を目指して、いけるところまでいって戻ってこよう。

舞浜から葛西臨海公園へ抜け、荒川河口橋を渡る。新しい自転車になってこの橋を渡るのは初めて。都内で自転車で渡れる橋としては最高高度になるらしいこの橋を渡るのは結構しんどいのだ。

それが自転車がかなり軽くなって、ペダリングを改造してきたこともあって、びっくりするくらいあっけなく上りきった。

おお、すげー。この歳になって自分の成長を感じることができるとはなんともうれしいことではありませんか。こんなことで喜んでいる部分は全く成長していないともいえるのだけども。

順調に有明エリアに到着。ふと海をみるとなにやら橋脚のような構造物が。帰って写真をみたらうまく写ってなかったけど、これはどうみても橋脚。ここに橋を渡そうとしているとしたらどこに渡るつもりなんでしょうね。

送信者 ドロップ ボックス



はじっこまで行けるかなと思っていましたが、残念ながら時間切れ。東雲運河方面へと右折して帰路につく。


送信者 ドロップ ボックス


木遣り橋からの眺め。時間があればこの橋を渡るところなのだけど、今日は時間がないので断念。

おっとちっちゃい排水場を発見。うれしいひろいもの。

送信者 水門と橋その2



ちゃんと東雲水門の下流域に排水するように設置されているというわけですね。

なんて寄り道をしつつ、ぴったり予想通りの時間に中学校に戻ってまいりました。その正確さには自分でも驚いた。

無事娘の出番を見届けることができました。



送信者 ドロップ ボックス


だんだん回すペダリングのこつもつかめてきた。ますます充実した自転車での徘徊が続きそうです。


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浦安界隈を一周

2011-09-09 18:41:00 | 自転車
父母の長年の友人にして隣人でもあり、僕が乳児の頃からなにかにつけて面倒をみてくれた方が亡くなった。

仙台で僕が生まれた頃ひとつ屋根の下で隣人として暮らし、東京に戻られてからも、毎年のようにお互いに行き来してお付き合いを続けていた。

子供のなかった彼女はそれこそ僕たち兄弟のことを自分の子供のようにかわいがってくれていた。

今度は僕らが首都圏で暮らすようになり、僕ら夫婦を甥や姪のように受け入れてくださり、僕達の子どもたちを孫をみるような目でみてくれていた方だ。

ご主人が亡くなり、今度はご本人が鬼籍に入られてしまった。

先日お見舞いにいったときには、はっきり意識が明瞭で冗談を言って笑い合えるくらいだったので、まだまだ大丈夫だろうと思っていたのに。

聞けば最期のその時期にそんなにはっきり会話をしたりしていた人は誰もいなかったそうで。

聞けば僕らが遊びにおじゃましていた話は、近親者たちに広く伝わっており、これは本人がとても楽しみにしておりあちこちに何度も言っていたからであったと。

なんと。

もっとがんばって予定をあわせて遊びに行ってあげればよかったよ。子どもたちにももっと沢山会わせてあげればよかったと。

そんな訳で、当然のことながらご本人のご冥福の祈念に加え、重ね重ねこれまで受けてきたことの御礼と、何も満足なことをしてあげられなかった僕らの非礼をお詫びしつつご葬儀に参列してまいりました。

そしてまた少しこの世の中がさびしくなったことを知りました。

こんなときは何も考えずに自転車に跨ってみる。風が強いのと午後の遅い時間から漕ぎ出したこともあって、遠出はせず近隣を。

新浦安の西岸沿いを北上して、市川に抜け、旧江戸川まで進む。そして今度は旧江戸川に沿って海を目指す。


東京ゲートブリッジが遠くに霞む。

送信者 ドロップ ボックス



ディズニーランド・シーをぐるっとまわりこむ。風が強くてへこむ。べダルを踏むのではなく、回転させる。それも早く回せるようにペダリングを改造中なんだけど、時間が長続きしない。気を緩めると、回転数が落ちて、回すよりも踏む感じになってしまいがちだ。

これなかなか難しいなぁ。

それこそ無心でペダルに集中しないとうまく回せない感じ。しかしうまく回せるとそれはそれは速い。自分でも驚くほど。

いやはや自転車は深いよ。



送信者 ドロップ ボックス





高洲海浜公園の岸壁には魚が打ち上げられていました。風が強く高波のときは魚もうっかり海から飛び出してしまうことがあるんだね。

送信者 ドロップ ボックス



ぐるっと回ってだいたい26キロ。まもなく日も暮れる。


夕方の自転車としてはほどよい時間と距離でありました。

そして次回はもっと巧くペダルが回せるようになりますように。

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とろこで15年以上使っていたベランダの物干し竿が折れました。伸縮するやつなんだけど、そこんとこでボキッと折れたようです。物干し竿が折れるというのは僕にとってはやや驚きでした。仕方ないのでデーツーにカミさんと買いに行ったのですが僕は4mだろというのにカミさんは3mだと長さで意見が分かれ、絶対3mだと言い張るカミさんに折れ、買ってきたらやっぱり4mだったという話で。まぁ行く前にちゃんと調べろということですわな。明日交換してもらいに行きます。ふたりで。