僕の携わっているプロジェクトもいよいよ終盤。みたことのないような仕事の進み方にびっくりしながら毎日を過ごしてます。
まるで信頼のおけない国にある怪しげな遊園地のジェットコースターに乗っている気分だ。
「ほんとにこれって乗ってて大丈夫なのか」とか云う感じ?
週末をつぶして仕事をしてもまだ間に合わない状態が続いてきたわけだけど、今週は少し晴れ間が見えた。
振り返ると9月に入ったあたりから週末は自宅で仕事をする日々だった。
もうきっぱり、「この週末は仕事しない!」と宣言して堂々と帰宅した。
そして土曜日。カミさんの送迎やらなにやらをそそくさとすませて、自転車で出撃。
今日は北東の風ということで湾岸線を東進し、海老川再訪。
とそのまえに先ずはこちら
意富比神社
船橋大神宮にお参り。プロジェクトの成就、そしてテイクオフを祈願です。
やることはやった。と思う。なので後は文字通り神頼みであります。
この意富比神社、社伝では、景行天皇40年(西暦110年)と大変に古い歴史を持つ神社です。このあたりの街並みも新浦安なんかとは全然違う落ち着いた雰囲気がありますねぇ。これも昔から人が暮らしてきたが故なのかもしれません。
また、日本武尊の東征の折に当地で東国平定の成就を祈願したのに始まると伝える。当時、当地の住民は日照りに苦しんでおり、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝える。そうな。
お参りした途端に曇天になってきたのには少し慌てましたよ。
またここには船橋大神宮灯明台がありました。
これは1880年(明治13年)の設置された「政府公認の民設灯台」だったそうです。取り囲んでいる樹木がうっそうとしていて全体像が見えないのは残念であります。
千葉県指定の有形民俗文化財になっていました。
七五三のお参りの家族が大勢きていました。
再び海老川を遡上。ここは今年二度目です。
海老川から長津川へ
前回は海老川を上がったので、今回はこちら長津川を上ってみようというわけだ。
小さな橋が沢山かかっていました。
長津川調整池
なかなか大きな公園ですてきな場所でありました。
更に僕は長津川を上る。勾配が結構急でした。前貝塚町付近で川の痕跡を見失ってしまいました。
このあたりは台地の最も高い場所になるみたいです。西に向かって下り道を道なりに適当にすすむ。何時も帰り道はいきあたりばったりだ。
そうこうしているうちに行田に辿り着いていました。
行田は前々から一度来て見たかった場所なんだよね。
船橋無線塔記念碑
これこれ。この場所に来たかった。
海軍無線電信所船橋送信所
僕がこの存在を知ったのは荒俣宏の「帝都物語」だったっけ。狂気ほとばしるまがまがしい存在として描かれていたけれども。
ほんとはこの周囲をめぐる円形の道路も是非堪能したいところだったのだけど、ちと今回は時間がなくなってしまった。
37キロと短めでしたが盛りだくさんのポタリングでありました。