今日はカミさんとふたりで清澄庭園付近を散策。
清澄庭園は子どもの頃に入った記憶はあるのだけれど、もうすっかり忘れてしまった。
この庭園の前身は以外に複雑で、元禄期は豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があった場所で、享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷。そして明治に入ると荒廃していたこの地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買ったのだという。
現在の庭園の形式は1891年で回遊式築山林泉庭園としての完成したものなんだそうです。
まぁ、本当に見事な庭で。
またジョサイア・コンドルが建築した洋館があったそうだが現存しない。
庭園に佇む涼亭とよばれる茶屋は1909年、英国からの賓客で軍人のキッチナーをもてなすために岩崎家が建てたものなのだそうです。
先般の東日本大震災の時に倒壊した石灯籠などはまだそのままの状態となっておりました。
庭園の泉水におりたったサギ。まだ子どものようでやや小柄でした。
東京も千葉も水路にサギやウが普通にいることにはいつも驚かされる。
赤い彼岸花は時期が過ぎてしまっていましたが、こちらは鐘馗水仙 (ショウキスイセン)、黄色彼岸花とも云うそうで、やはりヒガンバナ属の仲間ではあるようです。
赤い彼岸花よりは僕はこっちの方がなんとなく好きだな。
そして旧東京市営店舗向住宅。
関東大震災後に復興支援策の一環で建てられたという日本型タウンハウス。清澄通りに面して250メートルにわたって続く店舗兼住宅。残念ながら店舗として現役な家は少なくなってきてしまっていますが、なんとも趣のあるこの店構えはなかなかの光景でありました。
そしてこちらは清洲寮。
みてわかるとおり現役の集合住宅であるわけだけど、その由来はなんと昭和初期。
昭和初期の集合住宅なのだ。建ったのは1933年。全景が撮りたくて向側からだったのだけど、もっと踏み込んで玄関とかも見てくれば良かったよ。
この手入れの良さは見習うべきところ大ですね。