今日は自転車日和。ほんとは忙しいのだが、体が資本なのでまずは健康管理だなんて単なる言い訳。
国府台の里見公園を目指しました。江戸川の河口の河川敷は歩道を改修しているようで、なかなか川沿いにあがれませんでした。
市川関所跡
度々通りかかっていたけど、写真を撮るのははじめてだったなぁ。
羅漢の井
これ弘法大師が見つけた湧き水なんだそうです。ランニングしてきたおじいさんが気持ちよさそうに顔を洗っていたので、僕も見習って顔を洗いました。気持ちいいー。
里見公園は初めてなかに入りましたが、なんとも変則的な形をしていて、なかなか全体像がみえない。
高台の城の跡でもあり、そもそもが古墳だったと云う事なのだろうか。
国府台城跡
里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑
そして夜にすすり泣く、「夜泣き石」なんてものもある。夜泣き石は帰って見てみたらブレブレ。それはそれて怖いんですけど。
そして本日の目玉。
明戸古墳石棺
この国府台台地の上に更に盛り上がったこの場所は前方後円墳。そのてっぺんにおさまっていたのが、この石棺。
この石棺が発見されたのが、1479年。太田道灌によってだと云うから驚きじゃありませんか。
古墳時代後期6世紀後半の豪族のものらしいと云う。
棺には甲冑や太刀、太鼓そして土偶なども納められていたという。
太田道灌ら当時これを発見した人はどんな気持ちでこれを見ていたんだろうか。
お次はお隣、総寧寺の
小笠原政信夫妻供養塔
五輪塔と云うものなのだそうだが、関東では鎌倉の忍性墓に次ぐ大きさなのだそうです。
五輪塔とは、物質の根幹である、地・水・水・火・風・空を五大と呼び、それを輪に見立てて重ねた塔なのだそうです。
国府台天満宮神社
ワラで作った大蛇を町の四隅に供えて魔除けをする辻斬りと云う風習が伝わっているそうです。
下総国分尼寺
郭沫若記念館
郭 沫若(かく まつじゃく)は魯迅のような中国の知識人だったそうです。日本に住み日本にも大きな影響をあたえた方なのだそうだ。僕は全く存じ上げないのだが、毛沢東の文化革命に反対したと云う。丁度読んでいる、「墓標なき草原」と重なるタイムリーな場所。
お願いすれば、ガイドの方が説明してくださるそうだ。今回は時間がなかったので遠慮しましたが、何時かちゃんと教えてもらいに行きます。
道も親切に教えていただきありがとうごさました。
須和田公園には「別須和田」詩碑がありました。
ちょっとだけ自転車に乗ろうなんて思っていたのについつい3時間もウロウロしちゃいました。すっかり腕が日焼けだ。
須和田遺跡
こちらは更にぐっと時間を遡り弥生時代中期から平安時代初期の頃の集落跡だ。紀元前からこの場所には人が住んでいたと云う事実に改めて敬服しました。