浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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梅が咲いていました

2010-01-31 19:39:00 | 出来事
早いもので1月も今日でお終い。一か月早え~な~。全く。

買い物ついでにカミさんと立ち寄った弁天ふれあいの森公園では梅が咲いていました。ここは随分と良い公園になったなぁ。

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お持ち帰りした仕事もどうにか目鼻がついた。来週は少し巻き返しを図れるといいなぁ。


駅前で息子に遭遇

2010-01-30 17:06:00 | 出来事
カミさんと食事がてら買い物に駅前に出た。暮らし初めて新浦安も随分と長くなり、駅ビルの屋上でまだ小さかった子供と遊んだりしたよね。なんて話しをしていて、そういえば随分屋上になんて出てなかったな。なんて。今日は天気も良いし、暖かいので、ちょっと出てみようかなんて言って。屋上に出たら、正面のベンチに座っていたのは我が息子。

学校帰りに友達と遊んでいた。息子にしてみれば物心ついたころから育った勝手知ったる街。こりゃまた失礼しました。どうぞ、ごゆっくり。手を振って退散しました。

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おまけ。

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弾左衛門と浅草を行く

2010-01-29 23:19:00 | 出来事
仕事が急激に押してきて終わらん。どうしようもないので、週末に家でまとめて作業する事にした。週末に仕事ホントはしたくないんだけど、どうしようもない。

週末家で仕事をするのだと云う事で覚悟を決めた以上、だらだら会社に残っていても仕方ない。なのでとっとと、机の周りを片付けて、夜のお散歩に繰りだした。

目指すは浅草。弾左衛門の縁の地へ弾左衛門の本を本人の身代わりに連れて巡ってあげよう。弾左衛門はきっと、自分の事が本になって、その本を小脇に自分の住まう場所に誰かがやってくるなんて夢にも思っていなかっただろう。

宝蔵時

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待乳山聖天

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伝法院 五重塔

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でも、今夜僕は本を抱えて、弾左衛門がきっと渡ったであろう、今戸橋を渡り、拝んだに違いない本龍院の本尊が奉られているらしい待乳山聖天を訪れ、今戸神社にも御参りしてきた。

今戸橋

送信者 水門と橋その2


弾左衛門の住まいはこの今戸橋付近にあったらしい。小説ではなんどもこの橋の描写が出てくる。

当時は、割掘として、幾つも橋が架かっていたようだが、いつしか暗梁化され、現在はその地下の流れも止まっているもののようだ。
現在、この場所は山谷堀公園となっており、当時の橋、今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、地方新橋、地方橋、日本堤橋の欄干は今でも残っいる。

いつかまた来て、今度はこの山谷堀をずっと千住方面へ辿ってみたいと思う。

今戸神社

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本を通じて彼の魂に伝わったらな弾左衛門もきっとこの地を懐かしんでいたことだろう。本人も喜んでくれているのではないかと勝手に思い込むことにする。

神谷バー

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1921年築だそうだ。もうすごくおしゃれな感じです。


地下鉄浅草駅

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単にそれっぽく作ってるのだろうと思っていたのだが、実は実際にかなり古く1929年に出来たものなのだそうだ。それって凄くない?

駒形どぜう

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浅草聖ヨハネ教会

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こちらも1928年築。写真ではわかりませんが、正面のステンドグラスは素敵でした。明るい時に是非観たい。



浅草からずずっと南下して八丁堀を目指す予定であったのだが、人身事故で電車が遅れ、あちこちとお参りしたり寄り道をしていたらすっかり遅くなってしまったので、小伝馬町付近でギブアップ。

日比谷線経由で帰ってきました。

今日のお散歩

2010-01-26 23:22:00 | 出来事
今日は、東銀座に用事があって会社を早抜け。その足で旧築地川を遡上してみた。築地川といってもこれは人工の堀割で、地図を見るとその名残はいまだにハッキリと残っている。実際、この場所は築地川公園と云う名で公園化され、橋の欄干はそのまま残されているのでした。

送信者 水門と橋その2


これは備前橋の欄干。帰ってネットで調べりゃすぐ解ると思ってメモも取らずに進んだが、帰ってみたらまともな資料がヒットしない。

実際、現在の首都高は川だったと云う事が解るととたんに江戸の景色が蘇ってくる感じじゃないだろうか。

そして今日の建築物たち

改造社書店

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歌舞伎座

云わずと知れた歌舞伎座は1924年築。でもこれって鉄筋コンクリートなんですよね。見た目は完全に和風ですが。

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京橋築地小学校

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トイスラー記念館

暗くて撮れず。


聖路加病院聖ルカ礼拝堂


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カトリック築地教会

すごいですね。こんなに素敵だとは思ってませんでした。

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築年をみるとカトリック教会が1927年で道路向いの明石小学校が1926年。こちらの小学校もすごく味がある。

味があるけど、どこか嘘くさい。今となってはそれなりに歴史を重ねた建物と言えるが、やはりどこが虎の威を借った雰囲気があると僕は感じる。そして背伸びして、真似し西洋に近づこうと頑張っている健気さも、そして危うさもあると思う。

明石小学校

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そして、本日のメインイベントはここ、石川島灯台(人足寄場跡)

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ここは江戸末期から明治にかけて軽犯罪者を収容する施設だった訳だが、矯正、監獄といった概念で囚人を囲い、彼らに赤煉瓦など近代化の基礎となる資材の製造を行わせ、結果、西洋的な建築物を建てる事が出来たと云うことらしい。

ここへ人や原材料を運び込むために、船が行き来し、船の航行の為に大きな灯台があったと云う訳なのだ。

ここで作られた赤煉瓦によって、東京駅が作られたりしていると云う事らしい訳で、近代化と犯罪者を収監する監獄と矯正と近代化とグルグルと回る回るこの因果に僕は引き寄せられてしまうのでした。





会社帰りの東京建築ツアー

2010-01-24 23:22:00 | 出来事
突如、建築物に目覚めた。と云うか日頃目にしている建物のなかに、予想以上に背景を持っている、只者ではないものが紛れており、そして普段から僕はこうした建物が何か普通じゃない事は解っていながら見過ごしていた事がハッキリしたのだ。
やっぱ、雰囲気只者じゃないやつは何かあるのさね。

こうしてチェックした建物を時間がある時にチクチク回って見て歩こうと思います。会社帰りなので、どれもすべて夜景。それも携帯のカメラの夜景になってしまうのだけど、それはそれで味があったりするなと、そのままアップしてみる事にした。

蓄積されていけばそれはオヤジの足どりになっていたりするのも面白いだろう。

田町→八丁堀のルートに少し飽きた僕は、建築物見学ツアーのルートを考えると云う愉しみも新たに発見したのでした。


より大きな地図で 建築部 を表示

どこまで回れるか僕自身もお楽しみである。