今日のお散歩。週末三連休は平日でやりきれない仕事を持ち帰って自宅で作業するしかないと腹をくくって、とっとと机を片付けて、仕事お持ち帰りキットを作って鞄にぶち込んで、気晴らしに歩く。
まずは橋から。
水道橋
お茶の水橋
聖橋
1929年。湯島聖堂とニコライ堂を結ぶことから聖橋と呼ばれたのだそうだ。ブラタモリ的聖地でもある。
しっかしこの聖橋の存在はすごく異質。意匠と云うかディテールが「ない」のだ。この手抜きみたいなデザインの、個人的な感覚としては人の心の入ってない感じが明治の時代を反映している感じだ。感服はするけど、本当の意味で、この「聖橋」は好きじゃない感じだ。
橋のたもとに気になるものを発見。太田姫神社の桜。この桜にかかっていた札には、神田川を開削した際に、結界、鬼門の守り神としてここに建てられたのが太田姫神社だと云う。お茶の水駅の建設に伴い移転したのだそうだ。
そして建物の部
アテネ・フランセ
1962年。モダン。
文化学院本館
1937年。これも何かディテールが足りない。のっぺり感があるけれど、こうした雰囲気はこの時代の流行だったのでしょうか。
山の上ホテル
1937年。ここは素敵だ。素晴らしい。ちょっと食事に、なんて行ってみたいもんだ。
ニコライ堂
1891年。
この大聖堂の存在感は尋常じゃない感じです。
夢に出そうな雰囲気でした。
大手町ビル
1958年
云われてみればこの長大さはびっくりな感じだ。フロアはどんな風でどのような使い方をしているのだろう。
新住友ビル
1959年
この角を落とした八角形のデザインは当時の流行りだったんでしょうね。大手町ビルとの類似が著しい。
東京銀行協会ビル
なんとも「側」だけでありますが、この「側」の部分は1914年。さすがに現代のオフィス環境をこの時代の建物に求めることは無理もあり、都市としての新陳代謝はどうしても必要なものなのでしょうね。そう考えるとなんでこんな「側」だけ残したのか。中途半端ですね~。
日本工業倶楽部
1920年
ここはこのビルを三菱UFJのビルが跨いで建つと云う、この写真じゃわからないけど、大変な事態になっている。ビルのデザインはなかなか素晴らしく遺したかった気持ちがよくわかります。
建物自体一見の価値ありですが、このビルの現在の在り様はまたかなりびっくりな景観となっていました。
東京駅丸ノ内本屋
1914年。大規模な改修工事中でした。
東京中央郵便局
1931年。「トキを焼き鳥にして食うのか」と鳩が言っていたが、結局壊す事になった模様。ご本人はどこまでもKYなタイミングで自民党を離党。改めて眺めるとこの手のビルを「トキ」扱いして遺していたら都市は新陳代謝できずに窒息していく事は明らかだと思う。僕もいつまでも残っていていつでも見られる建物なら眺めて回る事もない。
都市も建物も移ろいやすく儚いものであり、だからこそ僕はこれを見て回るのである。