浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
最近新設したページ
2024年度第4クォーターのレビューのページを追加しました。

弘法寺の伏姫桜

2010-03-28 19:42:00 | 出来事
先週に引き続き、お仕事お持ち帰りで週末仕事をしなければならないのだけど、これが出張して回った説明会の質疑に関する議事録の作成。なんつっても18回もやって各々の回の質疑だけで1時間を超えているので、原稿を起こして貰ったものを推敲しているとは云え、聞き取れなかったり、主旨が解りにくい部分は繰り返し聴くのでボイスレコーダーの音声を聞くだけでも2時間くらいかかってしまう。

今日も午前中から取りかかったのだけど、流石に飽きてきた。もう面倒だ。カミさんを誘って真間にある弘法寺の伏姫桜を見に行く事にした。

南総里見八犬伝ファンの夫婦としては、八犬伝のテーマソングを口ずさんで向かうべき場所でありながら、桜が咲いた時期に行こうと思うとなかなかタイミングが合うものではない。何年越しのターゲットであった訳でありました。

弘法寺

送信者 文化財部



期待以上に重々しい門で素晴らしい。つーか。どんだけ維持費がかかっているのか、檀家の方々の負担は尋常なものではなかったりしないのだろうか等とついつい余計な心配もよぎる。



伏姫桜

送信者 ドロップ ボックス


この桜は樹齢400年ほどになるものなのだそうだが、八犬伝に因んだ名になっているのは、当然ながら江戸時代以降な訳で、この桜が咲くあでやかな姿からそう呼ばれるようになったのだそうだ。確かに一種妖しい美しさを感じてしまうような桜でありました。

うーん。これて良かったなぁ。

真間万葉顕彰碑

これ、ちゃんと調べて行かなかった報いだ。これは万葉集の古歌を歌った最古の碑なのだそうだが、実はこの界隈に三つある。

これは、継橋のものだが、これ以外に、真間井、真間娘女墓があるのだそうだ。

送信者 文化財部


「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通わむ」(読み人知らず)

あとの二つは何時かまた別の日に。

真間の継橋

送信者 文化財部


そしてこれが継橋。もうすでにその下に川はない。


手児奈霊堂

この手児奈は伝説の女性であまりの美しさに複数の男性から求婚され、だれかを選べば選ばれなかった人を不幸にするとこの真間山の崖から海に身を投げて亡くなったと云うお話があるのだそうだ。

送信者 文化財部


そうここは台地の端っこ。この台地の前はその昔海だったと云う訳なのでありました。継橋もかつては湿地帯の洲と洲の間をつないだ小さな橋だったのであろう。

であろう。なんて偉そうな事を書いてますが、仕事ほったらかしてますらかね。帰って予定の半分だけになっちゃいましたが、カミさんに呆れられながら仕事をしました。

今日のポタリング

2010-03-27 14:45:00 | 自転車
昨日は宴会。飲んでいる最中にカミさんから、大学時代の友人が亡くなったと云う緊急連絡が入った。胃ガンだったそうだ。体調を崩した事は耳に入ってたんだけど、そんな事になっているなんて、夢想もしてなかったよ。近年記憶にない位のショックだ。すっかり調子が狂った僕は深酒してしまった。

考え出すといろいろ。いろいろあるんだけど、振り切るように今日は自転車に乗った。荒川を遡上して、東大島から竪川を行く。

送信者 ドロップ ボックス


首都高速小松川線の下を流れる竪川はこんなパースペクティブな空間でありました。全国の橋桁ファンの皆様こんにちわ。

今でこそ、高速道路がかかり、遊歩道となって人が行き来しているけれど、昔は川だった気配がまんま残っていたりする。

送信者 ドロップ ボックス


さらにはこんなことにもなっていた。

送信者 水門と橋その2


JRの貨物線の鉄橋らしいのだが、何がどこに架かってるのかよくわからない感じだ。

竪川と横十間川が交差する場所に出た。

送信者 ドロップ ボックス


このまま真っ直ぐ行けば、隅田川に抜ける訳だが、今日はここから折れて北を目指す。

亀戸銭座跡

送信者 文化財部


そんでもって、亀戸大神宮にお参り。本堂では結婚式を挙げておりました。おめでとうございます。

送信者 文化財部



横十間川は北十間川にぶつかるのである。

そしてそこからは、東京スカイツリーが見える。

送信者 ドロップ ボックス


すでに東京タワーの高さを超えたとか。僕の今携わっているプロジェクトも完成するのはこのタワーとほぼ同時期だ。プロジェクトが無事完了して、この地にもう一度立つことがあるなら、そこには完成したスカイツリーが見えるはずだ。

北十間川を東へ向かって帰路する。北十間川は旧中川にぶつかるのである。

送信者 水門と橋その2


浦安では境川がお祭り。船で結婚式を挙げているように見えましたが、違うのかな。今日はおめでたい場面に出くわす日だ。

送信者 ドロップ ボックス



川は流れ、人は生き続けるということですね。合掌。辛かったよな。がんばったよな。必ずお線香つけに行くからまってろよ。





今日の水門

2010-03-20 14:18:00 | 自転車
久々の快晴。体調も漸く復活したので、今日は自転車。
午後は南西の風がかなり強くなるらしいと云うので、南西を目指す事にした。
南西方向と云うと行きかねていたあの水門たちが待っている(いや待ってはいないけど・・・)

途中、勝鬨でかちどき橋の資料館に立ち寄り。


ここねぇ。しびれましたよ~。

送信者 文化財部




発電機だと云う事で、自家発電で橋を開閉していたんですね。

送信者 文化財部


資料館にある模型をみてわかりましたが、昔はこの橋の上を都電が走っていたのか。

送信者 文化財部



なにこの死に神博士とかが操作してそうな操作盤のレトロな素敵さ加減は!!


送信者 文化財部


ついつい走ってきた目的を忘れる程面白い。橋脚内の見学ツアーも開催されているとの事で、これは行ってみる価値があると思いました。

さて資料館で一息ついて。南を目指すのだ。


古川水門

送信者 水門と橋その2



天王洲水門

送信者 水門と橋その2



目黒川水門

自宅から約23km。思ったより元気。

送信者 水門と橋その2


帰りは築地川の跡をたどって采女橋、祝橋、亀井橋、三吉橋を走る。

予報通り、南西の風が強くなってきたので、この辺で東に折れて追い風に乗って自宅へ。

新浦安に辿り着いた時点でなんと自転車がパンク!!

カミさんにレスキューに来て貰って、車に自転車を積んで最後は載せて貰って帰ってきました。いや~。近所に来てからで良かった~。

ところで、なんか忘れ物をしたような気分になっていたんだけど、戻って確認してみたら、やっぱり!高浜水門に寄るのを忘れた!!うがぁ~。

今日のお散歩

2010-03-19 00:01:00 | 出来事
今日のお散歩。週末三連休は平日でやりきれない仕事を持ち帰って自宅で作業するしかないと腹をくくって、とっとと机を片付けて、仕事お持ち帰りキットを作って鞄にぶち込んで、気晴らしに歩く。


まずは橋から。

水道橋

送信者 水門と橋その2


お茶の水橋

送信者 水門と橋その2


聖橋

1929年。湯島聖堂とニコライ堂を結ぶことから聖橋と呼ばれたのだそうだ。ブラタモリ的聖地でもある。

しっかしこの聖橋の存在はすごく異質。意匠と云うかディテールが「ない」のだ。この手抜きみたいなデザインの、個人的な感覚としては人の心の入ってない感じが明治の時代を反映している感じだ。感服はするけど、本当の意味で、この「聖橋」は好きじゃない感じだ。


送信者 水門と橋その2


橋のたもとに気になるものを発見。太田姫神社の桜。この桜にかかっていた札には、神田川を開削した際に、結界、鬼門の守り神としてここに建てられたのが太田姫神社だと云う。お茶の水駅の建設に伴い移転したのだそうだ。



そして建物の部


アテネ・フランセ

1962年。モダン。


送信者 建築部



文化学院本館

1937年。これも何かディテールが足りない。のっぺり感があるけれど、こうした雰囲気はこの時代の流行だったのでしょうか。


送信者 建築部



山の上ホテル

1937年。ここは素敵だ。素晴らしい。ちょっと食事に、なんて行ってみたいもんだ。

送信者 建築部



ニコライ堂

1891年。

この大聖堂の存在感は尋常じゃない感じです。
夢に出そうな雰囲気でした。
送信者 建築部



大手町ビル

1958年

云われてみればこの長大さはびっくりな感じだ。フロアはどんな風でどのような使い方をしているのだろう。

送信者 建築部




新住友ビル

1959年

この角を落とした八角形のデザインは当時の流行りだったんでしょうね。大手町ビルとの類似が著しい。

送信者 建築部



東京銀行協会ビル

なんとも「側」だけでありますが、この「側」の部分は1914年。さすがに現代のオフィス環境をこの時代の建物に求めることは無理もあり、都市としての新陳代謝はどうしても必要なものなのでしょうね。そう考えるとなんでこんな「側」だけ残したのか。中途半端ですね~。

送信者 建築部



日本工業倶楽部

1920年

ここはこのビルを三菱UFJのビルが跨いで建つと云う、この写真じゃわからないけど、大変な事態になっている。ビルのデザインはなかなか素晴らしく遺したかった気持ちがよくわかります。

建物自体一見の価値ありですが、このビルの現在の在り様はまたかなりびっくりな景観となっていました。

送信者 建築部



東京駅丸ノ内本屋

1914年。大規模な改修工事中でした。


送信者 建築部



東京中央郵便局

1931年。「トキを焼き鳥にして食うのか」と鳩が言っていたが、結局壊す事になった模様。ご本人はどこまでもKYなタイミングで自民党を離党。改めて眺めるとこの手のビルを「トキ」扱いして遺していたら都市は新陳代謝できずに窒息していく事は明らかだと思う。僕もいつまでも残っていていつでも見られる建物なら眺めて回る事もない。

送信者 建築部



都市も建物も移ろいやすく儚いものであり、だからこそ僕はこれを見て回るのである。





今日のお散歩

2010-03-10 22:38:00 | 出来事
今日は買い物がてらで日本橋界隈を徘徊。スタートが遅れて計画していた場所の半分も回れず消化不良の夜でした。


東京建物ビル

1929年築

送信者 建築部



八重洲ダイビル

1968年築

送信者 建築部



城東小学校

1929年築
こんなところに小学校があるなんてね~。

送信者 建築部



明治屋ビル

1933年築

送信者 建築部



日本橋高島屋

1933年築

送信者 建築部



郵政発祥の地の碑

そして日本橋郵便局にある郵政発祥の地の碑。

送信者 文化財部


日本橋の古い建物は1930年代と云う年代に集中している感じだ。この時代がどんな時代なのかをもう少し掘り下げて知りたいな。

僕の父は今日、導尿管を挿入。カミさんとも随分と話し合って悩んだんだけど、夜中に何度も起きておしっこしている、とか、採尿がうまくいかず、汚してしまったりと云う事を繰り返し、いよいよいこのままにしておく訳にも行かなくなったと云う感じだ。なんとか自力で用を足していたのを断念する事になる事から納得している訳ではないのだが、仕方ないと諦めているという感じだ。