実家や親戚筋には大きな被害はなかったというもののやはり一度帰って顔をみたいと思い、この週末を使って仙台へ帰省してまいりました。
ガソリン事情がどうにも心もとないですが、かなり改善したということなので恐る恐る北を目指す。
東北道ではこれまで見た事がない地震による速度規制。
4/2土曜日の東北道のガソリンスタンドは直接被害を受けていないお店はすべて営業中で給油が可能な状態でした。
安達太良SAで給油。ここで満タンに出来れば、市内で給油できなくてもおそらくどうにか首都圏に戻ってこれるハズ。10台程度の行列について順番待ちをしていましたが、後ろをみると結構長い車列ができていました。
東北道のコンディションですが、那須あたりから福島県を抜けるまでの道路にあちらこちら段差が出来ておりました。宮城県内よりも福島の方が高速道に関してはダメージが大きかったようです。
橋の継ぎ目などの段差はうかうかするとハンドルを取られるようなものがあり、あまりスピードを出して入ると危険です。
段差付近ではパイロンや矢印の看板など、目印が置かれているので、注意しながら走りました。
仙台市内では長町3丁目付近の道路が激しく陥没していましたが、あとはそれほどではなく、新浦安の道路の方がよっぽど酷い状態でした。
僕の父、そしてカミさんの父母の元気な顔をみてほっとしました。
父は介護老人施設にお世話になっているのですが、電気、ガス、水道とライフラインが止まった状態で、間違いなくスタッフの方々の自宅でも被害が出ている状況のなか、全く問題なくお世話をしていただいたことにただただ感謝です。
一方、義父母の自宅は建物の被害は軽微でしたが、ガスはまだ通っていない状態。今ではすっかりキレイに片付けられていましたが、地震直後は部屋の中にあらゆるものが散乱し片付けるのがとても大変だったそうです。
地震から三週間たち、仙台市内中心部も一見平穏な姿をみせています。しかし目をこらすと今回の地震のすさまじい傷跡がまざまざと残っており、その姿に僕らはただ愕然としてしまいます。
SS30の頂上部分に立つアンテナは大きな被害があったそうで、今もガラスが割れたままになっていました。
また東北新幹線は広瀬川をまたぐ鉄橋の上に放置された状態になっています。無人の新幹線の姿は見る者の心を揺さぶるものがあります。
地震被害が大きかった太白区役所、ショッピングセンター「ザ・モール」ですが、この場所で発掘された遺跡を移転し、砂で埋め戻した経緯があるそうで、この埋め戻した部分が液状化し、建物に大きな被害を生じさせた模様です。
父の介護保険の延長手続きのために太白区役所に行きましたが、立体駐車場は使用不能で訪れる人たちの車で周囲はあふれかえっておりました。カミさんによれば建物のなかはかなりひどい被害になっていたそうです。
そして仙台若林JCT付近。やはりどうしても一目見ておきたいと思い、海に向かう道を東に走ってみました。
写真の場所は南部有料道路から名取川に面した場所です。こんな場所にまで畳や家の材木などが押し寄せておりました。
貞山堀の内側に波が押し寄せてくるなんて考えたこともなかった。
ました、景観としては醜悪ともいえるこの東部道路、南部道路が期せずして防波堤の役目を果たすとは。
被害に遭われた方々のご冥福をこの場所からお祈りさせていただきました。
昔のような元気で美しい海岸線の街並みへ一日も早く復旧されることを祈念してやみません。
市内の親戚筋や僕の勤めている会社の仙台にある支店に顔を出して慌しく駆け抜けて新浦安へ無事もどってまいりました。
復旧を目指して必死に働いている人たちの姿にただただ頭が下がるばかりです。何もできない、役に立つことが出来ていない自分の無力さに情けないやら悲しいやら。ただただ申し訳ない限りです。