経営士会の総会のために訪れた甲府市和戸。
近くを散歩していると、とあるお寺にある桜の古木が目に入りました。
甲府市和戸にある東勝寺は曹洞宗の寺院です。
山門の両脇に古い石灯籠がありました。
近くにある碑を見ると、芝の増上寺が戦災で焼失した際に、徳川廟の石灯籠が各地に移されたものの内の二つであると書かれていました。
実際にこの寺に移されたのは昭和52年のことのようですが。
左側にあるのが甲府藩主でもあった六代家宣公(文昭院殿)の石灯籠。
家宣公の亡くなった正徳二年(1712年)と彫られています。
脇の桜が満開でした。
まあ、こちらが当初の目的だったのですが。
右側にあるのが九代家重公(惇信院殿)の石灯籠。
こちらの年号は宝(寶)暦十一年(1761年)です。
今回年号を調べてわかったのですが、二人の将軍とも51歳で亡くなっているんですね。
石灯籠には「増上寺」という文字がはっきりと刻まれています。
全国に散らばった(少し大げさかな?)多くの石灯籠を調べている方もいらっしゃるみたい。
ですが、私はこの程度にしておきます。
デジイチではなくコンデジだったこと、それに天候がイマイチだったのがちょっと残念でした。
総会は無事に終わったことを付け加えておきます。
近くを散歩していると、とあるお寺にある桜の古木が目に入りました。
甲府市和戸にある東勝寺は曹洞宗の寺院です。
山門の両脇に古い石灯籠がありました。
近くにある碑を見ると、芝の増上寺が戦災で焼失した際に、徳川廟の石灯籠が各地に移されたものの内の二つであると書かれていました。
実際にこの寺に移されたのは昭和52年のことのようですが。
左側にあるのが甲府藩主でもあった六代家宣公(文昭院殿)の石灯籠。
家宣公の亡くなった正徳二年(1712年)と彫られています。
脇の桜が満開でした。
まあ、こちらが当初の目的だったのですが。
右側にあるのが九代家重公(惇信院殿)の石灯籠。
こちらの年号は宝(寶)暦十一年(1761年)です。
今回年号を調べてわかったのですが、二人の将軍とも51歳で亡くなっているんですね。
石灯籠には「増上寺」という文字がはっきりと刻まれています。
全国に散らばった(少し大げさかな?)多くの石灯籠を調べている方もいらっしゃるみたい。
ですが、私はこの程度にしておきます。
デジイチではなくコンデジだったこと、それに天候がイマイチだったのがちょっと残念でした。
総会は無事に終わったことを付け加えておきます。