ほぼ一か月ぶりに、友人と東京での待ち合わせ。
いつものように中野ブロードウェイ内にあるミニカーショップを訪れました。
二軒目のショップ(一軒目は陳列が大幅に縮小されがっかり)で、探していたミニカーのうちの一台を見つけました。
それが、1992年のル・マン24時間に出場したマツダMX-R01の6号車。

マツダ787Bが日本車として初めてル・マンの表彰台の一番高いところに立ったのが前年。
1992年はルール改正でロータリー・エンジンが使えなくなってしまったので、3.5リッターのレシプロエンジンで作ったのが、このMX-R01です。
おなじみチャージカラーの5号車と違い、6号車はほとんど真っ白の車体。
スポンサーは「KAJIMA」。
そう、あの鹿島建設です。

結果から言うと、総合4位になった5号車に比べ、6号車は途中でリタイヤしてしまいます。
雨の中でのスピンが原因でした。残念。
MX-R01(MXR-01とも言うらしいです)は5台製作され、国内外のレースに出場しますが、ル・マンはこの年だけ。
マツダスピードがこの年をもってレース活動から撤退してしまったのが理由でした。
いかにも当時のレースカー然としたスタイリング、いいですねえ。
モデルはスパーク製、1/43スケール。
中古品にしてはけっこう高価な部類。
しかし、状態は十分満足のいくものでしたので文句なし。
友人は、そのあと行った秋葉原のショップで、やはり探していたミニカーを見つけました。
久しぶりに二人とも大収穫のショップ回りでした。
まあ、こまめにショップ回りを行え、ということでしょうかね。

秋葉原で見かけた風景を一枚。
トヨタのハチロク、こちらは実車です(笑)。
インパクトのあるカラーリングではありますがねえ...。
いつものように中野ブロードウェイ内にあるミニカーショップを訪れました。
二軒目のショップ(一軒目は陳列が大幅に縮小されがっかり)で、探していたミニカーのうちの一台を見つけました。
それが、1992年のル・マン24時間に出場したマツダMX-R01の6号車。

マツダ787Bが日本車として初めてル・マンの表彰台の一番高いところに立ったのが前年。
1992年はルール改正でロータリー・エンジンが使えなくなってしまったので、3.5リッターのレシプロエンジンで作ったのが、このMX-R01です。
おなじみチャージカラーの5号車と違い、6号車はほとんど真っ白の車体。
スポンサーは「KAJIMA」。
そう、あの鹿島建設です。

結果から言うと、総合4位になった5号車に比べ、6号車は途中でリタイヤしてしまいます。
雨の中でのスピンが原因でした。残念。
MX-R01(MXR-01とも言うらしいです)は5台製作され、国内外のレースに出場しますが、ル・マンはこの年だけ。
マツダスピードがこの年をもってレース活動から撤退してしまったのが理由でした。
いかにも当時のレースカー然としたスタイリング、いいですねえ。
モデルはスパーク製、1/43スケール。
中古品にしてはけっこう高価な部類。
しかし、状態は十分満足のいくものでしたので文句なし。
友人は、そのあと行った秋葉原のショップで、やはり探していたミニカーを見つけました。
久しぶりに二人とも大収穫のショップ回りでした。
まあ、こまめにショップ回りを行え、ということでしょうかね。

秋葉原で見かけた風景を一枚。
トヨタのハチロク、こちらは実車です(笑)。
インパクトのあるカラーリングではありますがねえ...。