1999年はアウディがル・マン24時間レースに初めて姿を現した年になります。
ル・マン参戦に当たってアウディはオープンタイプとクローズドタイプの2種類のボディのクルマを走らせました。
このうち、冒頭の写真はクローズドタイプのR8Cというクルマです。
Cはクローズドの略ではなく「Coupe(クーペ)」の略ですね。
R8Cはイギリスで製作されたそうですが、開発期間が短かったようで、2台出走しましたが予選は20位と23位、決勝レースではどちらもギアボックスのトラブルでリタイヤしてしまいました。
しかし、私はこのR8C好きですよ。
まあ、あくまでもオープンタイプのR8Rに比べてのことですが。
ちなみにこのR8C、ミニチャンプスの特注品で、あまり中古品市場でも見かけず、おまけにそこそこの値段がします。
今回やっと安い値段で入手できたのが、このブログを書くきっかけになりました。
一方、もう一つのR8R、Rは「Roadstar(ロードスター)」の略ですが、こちらはドイツで製作され、あのヨースト・チームが運営したクルマです。
R8Cに比べ開発期間も長く取り、マシンの熟成にあてたおかげからか、2台のR8Rは決勝で総合3位と4位を獲得しました。
ル・マン初参戦としては見事と言わざるを得ません。
ちなみに8号車は総合3位に入ったR8Rです。
R8Rが好成績を上げたことで、アウディは翌年はオープンボディのR8(特にR8-2000と呼ぶこともある)を投入し、見事1-2-3フィニッシュを飾り、今日に続くアウディ時代の幕開けとなりました。
ついでなので、2000年のル・マンの表彰台を独占したR8-2000を並べておきましょう。
1999年のR8Rよりも洗練されたスタイルになり、ライバル不在のせいもあって予選から上位を独占しました
三台のマシンはドイツの国旗にちなんで黒・赤・黄の三色にカラーリングされています。
ドイツ車らしいシルバー基調には変わりはありませんが。
実は三台のうち、優勝した8号車だけはオニクス製です(他はミニチャンプス製)。
オニクス製というと、時に品質的に問題のあるモデルもあるのですが、この8号車はなかなかの出来映えで、こうして並べてみてもデカールの大きさなど若干の違いがある程度で、私の眼からはさほどの違いがわかりません。
さて、1年限りの登場だったR8Cですが、その設計思想は同じフォルクスワーゲン・グループのベントレーに引き継がれ、2003年のベントレー・スピード8での総合優勝で見事に結実します。
余談ですが、このR8Cからベントレー優勝への流れには、鮒子田寛(ふしだ ひろし)さんという方が多いに関わっています。
鮒子田さんといえば、私にはトヨタ7に乗って富士スピードウェイを駆けた姿が印象的ですが、その後海外にも進出し、日本人で初めてF1やル・マンに参戦したドライバーとして有名な方ですね。
ル・マン参戦に当たってアウディはオープンタイプとクローズドタイプの2種類のボディのクルマを走らせました。
このうち、冒頭の写真はクローズドタイプのR8Cというクルマです。
Cはクローズドの略ではなく「Coupe(クーペ)」の略ですね。
R8Cはイギリスで製作されたそうですが、開発期間が短かったようで、2台出走しましたが予選は20位と23位、決勝レースではどちらもギアボックスのトラブルでリタイヤしてしまいました。
しかし、私はこのR8C好きですよ。
まあ、あくまでもオープンタイプのR8Rに比べてのことですが。
ちなみにこのR8C、ミニチャンプスの特注品で、あまり中古品市場でも見かけず、おまけにそこそこの値段がします。
今回やっと安い値段で入手できたのが、このブログを書くきっかけになりました。
一方、もう一つのR8R、Rは「Roadstar(ロードスター)」の略ですが、こちらはドイツで製作され、あのヨースト・チームが運営したクルマです。
R8Cに比べ開発期間も長く取り、マシンの熟成にあてたおかげからか、2台のR8Rは決勝で総合3位と4位を獲得しました。
ル・マン初参戦としては見事と言わざるを得ません。
ちなみに8号車は総合3位に入ったR8Rです。
R8Rが好成績を上げたことで、アウディは翌年はオープンボディのR8(特にR8-2000と呼ぶこともある)を投入し、見事1-2-3フィニッシュを飾り、今日に続くアウディ時代の幕開けとなりました。
ついでなので、2000年のル・マンの表彰台を独占したR8-2000を並べておきましょう。
1999年のR8Rよりも洗練されたスタイルになり、ライバル不在のせいもあって予選から上位を独占しました
三台のマシンはドイツの国旗にちなんで黒・赤・黄の三色にカラーリングされています。
ドイツ車らしいシルバー基調には変わりはありませんが。
実は三台のうち、優勝した8号車だけはオニクス製です(他はミニチャンプス製)。
オニクス製というと、時に品質的に問題のあるモデルもあるのですが、この8号車はなかなかの出来映えで、こうして並べてみてもデカールの大きさなど若干の違いがある程度で、私の眼からはさほどの違いがわかりません。
さて、1年限りの登場だったR8Cですが、その設計思想は同じフォルクスワーゲン・グループのベントレーに引き継がれ、2003年のベントレー・スピード8での総合優勝で見事に結実します。
余談ですが、このR8Cからベントレー優勝への流れには、鮒子田寛(ふしだ ひろし)さんという方が多いに関わっています。
鮒子田さんといえば、私にはトヨタ7に乗って富士スピードウェイを駆けた姿が印象的ですが、その後海外にも進出し、日本人で初めてF1やル・マンに参戦したドライバーとして有名な方ですね。
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