叔母の見舞いに、甲府市内の病院を訪れました。
叔母は長いこと入院していて、「ちょっと数値が悪くなったから」との従弟の連絡で、家内と二人で様子を見に出かけたのです。
病院の駐車場はガラガラでした。
今のような状況で、面会は難しいのでは、という気持ちがありました。
同時に、院内感染のようなものも少し怖い気がしました。
案の定入り口に、大きな掲示がありました。
総合受付に寄って確認してみましたが、やはり従弟以外の面会は難しそうでした。
我々の前にも家族連れらしい四、五人のグループが病院から出て行きましたので、同じ理由であきらめたのかもしれません。
従弟に連絡してみたところ、「午後から行ってみる」とのことで、時間を合わせて入れるかどうか頼んでおきました。
午後しばらく経って、従弟から電話がありました。
叔母が亡くなった、との連絡でした。
午後1時55分。
前日は意識もはっきりとしていたとのことで、今日になって急変したらしいと言っていました。
結局、彼も母親の死に目に会えなかったことになります。
「こんなウィルスが流行っていなければ」
ちょっぴり悔やまれる結果になりました。
叔母は、先日88歳の誕生日を迎えたばかりでした。
叔母は長いこと入院していて、「ちょっと数値が悪くなったから」との従弟の連絡で、家内と二人で様子を見に出かけたのです。
病院の駐車場はガラガラでした。
今のような状況で、面会は難しいのでは、という気持ちがありました。
同時に、院内感染のようなものも少し怖い気がしました。
案の定入り口に、大きな掲示がありました。
総合受付に寄って確認してみましたが、やはり従弟以外の面会は難しそうでした。
我々の前にも家族連れらしい四、五人のグループが病院から出て行きましたので、同じ理由であきらめたのかもしれません。
従弟に連絡してみたところ、「午後から行ってみる」とのことで、時間を合わせて入れるかどうか頼んでおきました。
午後しばらく経って、従弟から電話がありました。
叔母が亡くなった、との連絡でした。
午後1時55分。
前日は意識もはっきりとしていたとのことで、今日になって急変したらしいと言っていました。
結局、彼も母親の死に目に会えなかったことになります。
「こんなウィルスが流行っていなければ」
ちょっぴり悔やまれる結果になりました。
叔母は、先日88歳の誕生日を迎えたばかりでした。
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