松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

ついに練習会も休止に

2020-03-15 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
公共施設が軒並み休館となり
太極拳導引の練習会も休止することになりました。
まあこうなることは昨今の状況から見ても
予想はしていましたが、なんとも残念なことです。

とにかく今月末までは練習会は休みなので
自主練ですね。
このまま来月も休会となるようでしたら
ちょっと困るなぁ。


通常の暮らしがしにくい情勢にあることで
有形無形のストレスがかかっています。
いやな疲れ方をしています。
そうやって消耗していくことで
心身が弱ってきているのがわかります。
感染拡大防止に協力するのはいいけれど
体調は振るわず体力も落ちるとなれば
免疫力や自己治癒力は
むしろ低下してるのではないかと思ってみたり。
訳わからんことになってきます。

そんなときはとりあえず基本に戻ってみる。

私の場合だと
10〜11時には布団に入る
寝る1時間前には歯磨き・入浴などは済んでいる
夕食は軽めにして胃腸に残業させない

こういう状態を続けていると、
なんとなく調子がととのってきます。
つまりは、ほぼ朝まで眠れて(トイレ覚醒しない)
出るものも出て
程よい空腹感もあって朝食も美味しい
となる傾向にあります。

シニア世代に片足突っ込もうかという身ですから
それ相応に感染リスクへの注意も払っています。
その上でそろそろいつも通りの暮らしに戻りたいなぁと
呟きたくなっているこの頃です。






近況など

2020-02-11 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
久々の更新です。
この一年あまりの間、更新しなかったのは
一つにはPCよりも主にタブレットを使うようになったこと。
しかもタブレット用アプリの使い勝手があまりよろしくなかったりで
なんとなくFacebookやTwitterの方に偏ってしまったり。

それとブログの中身も整理したいなあと思い始めていたこともあって
ちょっと距離をおいてみるというか、見直してみようとか。


両親を送って、いざ自分だけの時間が持てるようになってみると
日常の営みにかける時間でほとんど埋め尽くされていて
あまり変化してないような気がします。

とりたてて太極拳導引の練習時間が増えるわけでもなく
どこかへ遠出したりするわけでもなく。
例えば読みたい本を買ってきても
読み終えるまでに時間がかかるようになり
くたびれてきた手拭いやタオルを見つけては
雑巾や台拭きにするためにせっせと縫い始めたり
気づけばオカンと同じことをしてる。

一体これはどういうことなのかと思ったりするのですが
つまりは着実に年をとってるということなんですよね。

足し算よりは引き算
洗練という名のもとに色々なものをふるいにかけて選別しているのかなと。
無駄な動きをしなくなる分着実に落ちる筋力はあるわけで。
それが如実に目に見えてくるようになる、実感できる。
無駄に使わなくて済む力を他に活かせるうちはいいのだけれど、
そういうわけにはいかなくなってくるんだなぁと。
そういう視点のあり方を自覚した上で
日々の導引を続けていければ、これもまた幸せだよなぁと思ったりしています。





2018年を迎えて

2018-01-01 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
ご無沙汰ばかりのブログです。
一昨年、昨年と2年続いての喪中の年越し。

2年続きともなると
年賀状ともすっかり縁遠くなった感じがして
おせちは一応用意してみるものの
彩りは白黒茶色とモノトーン系ですし
少量で質素なしつらえです。
これはこれで落ち着いていい感じです。


朝方は冷え込みましたが
陽光が差し込む部屋は暖房いらずで
穏やかな時間が流れてます。


ひとり暮らしを始めてから
音楽を聴く習慣が消えました。
アロマやお香を焚くこともなくなりました。

その代わり家の周りの公道や私道を掃き清めたり
生活ゴミ収集後の空のゴミ箱を配って回ったり
ご近所ルールを母から引き継ぎました。

この2年の間にもご近所は様変わり。
奥さんを亡くされた後も
長らくひとり暮らしを続けていたご主人が
ひとり娘さんとの同居のために越して行き、
跡地にはすぐに新築が建ち新たな隣人さんが。
見知った人達がどんどん衰えていき
施設入所で留守宅になったり
居宅サービス受給で接する機会もなくなったり。
働き盛りの世代は数えるほどしかいません。


両親の看取りの次は自分の老い問題。
どうしたものかと。
終活なんてものではないです。
私にとって老いをみつめることは
生ききることと思っているので、
終わりではなく収めるイメージの方が
合う感じがしています。
太極拳の収勢みたいなものですね。


両親が私に遺してくれた時間を
どう生きて活かして収めていこうかしらと。
ようやく、そう、ようやくね、
向き合えるようになってきたみたいなんです、

介護中はやはりそれ相応の緊張があったんですね。
更年期は比較的軽くてすむのかなと思っていたんですが
緊張のために表に出てこなかっただけみたいです。
いろんな片付け進むに連れて
徐々にいろんな形で実感させられています。

何はともあれ身体のことは
私にとっては人生の大半を費やしてきた
ライフワークみたいなもの。
これからも関わってゆくのはわかっています。

どんなスタイルがふさわしいのか
だんだん具体的になってきたような気もします。





思うところありまして

2017-10-15 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
久々の更新です。

去年今年と相次いで親を送る経験をしてみての実感は
悲しみとか寂しさを味わう暇もなくて
なんかほんとに忙しなく感じるばかりで。
亡くなったそのときから
次から次へと社会的手続きが待っていて。
しかもそれぞれ期限が決められており、
カレンダーに書き込んだ期限日を確認しつつ
コツコツ取り組んではみるものの、
その煩わしさに集中が続かず
なかなか思うようには事が進まない。
ほぼ一年がかりで一応の手続きが完了する頃には
一周忌の法要がやってきます。

さすがに二回目となると
少しは想定できるようになるので
心理的な負担は少ないようにも感じるのですが
心身ともにかなりな疲労感となっているので
結果的には大差ないようにも感じます。

人が亡くなるというのは
ほんとにたいへんなことだなあと。
それも亡くなった後のことがほとんどなんですよね。
自分の死後のこと、本気で考えてしまいますよ。


そんなこんなな経験やら感想やら
書きたかった話題もいろいろとあったのですが、
行動に移すだけの余力はありませんでした。

ここへきて、ようやく一連の事柄にもメドがつき、
これまで手を付けられなかったことにも
少しは目を向けることができそうになってきたかなと。


これを機にブログの内容も見直して
少しずつ整理していこうかなと思っています。



一年たちました

2017-02-01 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
昨日は母の祥月命日。
母が亡くなって一年が過ぎました。
あっという間でした。


一周忌の法要の際に
和尚様からお話をしていただきました。
仏様には五感をもって
心をこめておもてなしをすることが
大切なんだそうです。

視覚によるおもてなしは
お花を供える、
清潔な衣服を身につける、
和尚様の法衣もそうですね。
清められたたたずまい。

嗅覚によるおもてなしは
お香やお焼香ですね。

聴覚によるおもてなしは
読経の声音、鐘や木魚の音色に加えて
物静かな空間をととのえることや
小鳥のさえずりのような
自然音の響きも含まれるのだとか。

味覚によるおもてなしは
くだもの、お菓子などの御供物。

そして触覚によるおもてなし。
手を合わせて祈ること。


五感にはこんな功徳もあったとは
知りませんでした。
仏様とは五感を通してつながれるんですね。
そういえば毎日のお勤めも
五感で行っているなあと改めて思います。







蛇足ながら…
五感といえば、太極拳導引や整体でも
錬り続けることで
五感が研ぎすまされてきます。
味覚なんて直接関係なさそうですが
大アリなんです。
嗜好や味に対する感性や感度が変わります。
おもしろいですよ。







母という存在

2016-09-23 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
『SONGS』に宇多田ヒカルさんが出演されてました。
アーティスト活動を休止されている間に
お母様を亡くされたり、ご自身が母になるなど
この6年間に体験された時々の心境などを
率直に誠実に話している彼女に
強く共感しました。



母のいない初めての春、夏そして秋を迎えました。
変わらず巡りくる季節の折々に
母が世話してきた草木が花をつけるたびに
遺影を携えて話しかけたりするのですが
恥ずかしながらいまだに
涙ぐんでしまったりすることがあります。

母が存命の頃は、
ほんとに雑なつきあい方をしてたなと思います。
最後まで母に甘えていたんですよね。

宇多田さんと比べては申し訳ないんですが
彼女が言われてた
「母はわたしのなかにいる」というのは
まさにその通りです。
この感覚、感触と言ってもいいくらいの
鮮明な存在感。
私は妊娠の経験がないのでわかりませんが、
もしかしたら似ているのかなと思ったりします。


私が私でいられるのも
私のはじまりはあなたからなのだ。
あなたがいたから私があるのだと。


生前の母には照れくさくて言えなかったことを
少しずつ伝えてみたり。
母の前では素直な自分でいてもいいのかなと
思い始めてるこの頃です。



4年目の3月11日によせて

2015-03-12 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
母方の祖父母は宮城県出身です。
祖父は海方(漁師)、
祖母は山方(農家)の生まれで
ともに故郷から離れて縁あって夫婦となり
静岡県で一生を終えました。
祖父母の家には塩竈様のお札があったことを
覚えています。

私の友達は福島県で暮らしています。
福島県の他にも岩手県や山形県などにも
知人が暮らしています。
震災がきっかけとなって
新たにご縁を結ばせていただいた方達もいます。

日常の暮らしのなかで
東日本大震災という大きなくくりで思い出すことは、
正直なところ少なくなってきています。
ですが、知りあいがそこで暮らしているというだけで
折にふれて彼らを思うたびに
震災のこと原発事故のことを思っています。


4年前、どうしても消息がつかめなかった
友人の情報を得るチャンスを求めて
(つまり個人的な思惑から)
ネットでのボランティアに参加しました。
自分が貢献できたのはほんの少しでしたが
時々刻々と変化する状況に対応していくことで
自分が冷静に判断し落ち着いていったのを
覚えています。

動いてみたら自分が変わった。
巡り巡って自分に還ってくるものなんだなと
改めて思いました。
それからは自分のできることを
自分のペースで無理なく続けていかれることを
最優先にしてきました。


東北に行きたいなと思い始めています。
私自身の環境もあって
そうそう身軽に実現できるわけでもないのですが
楽しみなことのひとつに加わりました。





2014年から2015年へ

2015-01-03 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
恭賀新禧

皆様のご健康とご多幸を
お祈り申し上げます


 *  *  *  *  *

ここ数年前から
あまり区切りを意識しなくなってきました。
いのちが有限であることだけで
十分じゃないのかなと
思うようになってきたのかな。
質はともあれ振り返るだけの過去の蓄積も
そこそこにはなってきたし
限りあるものへの眼差しが
少しずつ変わってきているような…。
頭でわかってたことが
身体感覚で感じられるように
なってきたのも影響してるかと思います。


夢の見方(計画の仕方)も
変わってきたように思います。
成功させようと思うのではなく
失敗しない夢の見方を探っている
とでもいうのでしょうか。
夢を実現させるには諦めないことです。
諦めずに何とか続けて行けるような
考え方、やり方を見つけ出すことが
失敗しないことに繋がるように思えます。
もしかしたら
成功は継続の成果とも言えるのかな。
成果とは成りの果て、いのちが果てるときの
末期の象なのかもしれません。


夢(計画)と現実を
どの程度折り合わせれば
自分はスタートを切れるのだろうか。
そんな課題を抱えたまま
進展させることもできずにいます。
それはなぜか。

転機や節目となる局面であればあるほど
心は決まっているにもかかわらず
どうしてもあと一歩が出ない、
踏み出すことができない状況を
何度もやらかしています。
しかも結果的には
とりあえず踏み出してみたケースがほとんどで
なんとも人騒がせな顛末。
自分を信用できないから
自らの決断を疑うことになるのです。
不調の要因でもあると睨んでます。
これがいちばんの弱みだと思っています。


じつは大晦日にホームから
父が高熱を出したとの連絡を受けて
急遽病院へ同行、
そのまま入院することとなりました。
現在、尿路感染症の治療を行っています。
点滴と抗生物質の投与で平熱に。
血圧も安定しています。
腎機能がうまくはたらいていないようです。
年明けから一通りの検査を行う予定で
退院は未定となっています。
今後は急変の連絡も頻繁になるだろうし
入退院を繰り返すのかも。


どこかで何となく分かってはいるのです。
父が存命なうちに一歩を踏み出すこと。
それができたとき
今までと違う景色が広がるのだろうなと。
父に寄り添わねばならないと
思いすぎてはいないか。
寄り添うこと以上に
父を安心させることがあるのではないか。


2014年を迎えました

2014-01-02 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
新年です。おめでとうございます。

新暦では新しい年を迎えましたが
自然のリズム時間の流れでは
たぶん昨日の続きであり
とくに変わったことはないのでしょう。
人間だけがおめでとうと言い合っているのかも。


父が入院しているため
母と二人でおせちと雑煮を食べました。
静かなお正月です。

昨年は助けられた一年でした。
訪問介護のスタッフの方達がいてくださったから
父の異変に気づくことができました。
ありがたいことです。
脳梗塞による高次機能障害はあるものの
健康状態は安定し会話もできます。
めんどくさがりでものぐさな父はそのまま。

入院先の病院では
ソーシャルワーカーの方や看護師の方達から
老いや介護に対する考え方や視点の持ち方など
現場ならではのアドバイスを
いただくことができました。
さまざまな老いと向き合い接してこられた方達の
客観的な視点は学ぶことが多いです。
それは両親に対することでもあるけれど
じつは私自身の老いを受けいれる心のあり方
自分で満足できるような老い方を考える
そしてその先の
満足して逝く為の心と身体のととのえ方を
見据えるきっかけになったと思います。


太極拳導引を続けるために設立した朋昌会。
なんとか2年目につなげることはできたようです。
1年目は夢中で過ぎるもの。
朋昌会が根づくのかどうかを試されるのは
これからです。
今年は根づくためのはたらきかけを
さらにくふうしたいなと思っています。
そして個人的には、ようやく近づきはじめた
太極拳導引の神髄を
さらに確かなものへと理解を深めつつ
それにとらわれることなく
師の目指すところを見失うことなく
精進を楽しみます。


整体師認定試験に合格して既に4年がたちました。
家の事情とか環境とかもあって
なかなか腰を据えて計画を進められずにいましたが
自分が動けるであろう時間を考えると
そうそうのんびりと構えるわけにもいかないし。
当初考えていた方向性とは
ちょっと変わってきている感じもするこの頃。
仕切り直しからのリスタートです。



雑感

2013-05-07 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
父の入院で居宅介護から解放され
自分の時間を取り戻しつつある現在、
父には悪いけれど、
四六時中張りつめていた緊張から
解放されるのが
こんなにもありがたいことかと
感動すら覚える。
つくづくと人は自分の人生を背負うことが
基本なのだなと思う。


父の介護の難しさは
自身の人生を退屈といいつつ
自ら主体的に過ごす気もないと言っている点。

 退屈なんだ。でもしょうがない。

誰のためでもない(自分の)人生を
自ら張り合いのない人生でよしとしているので
家族は本人の望み通りにしているのだが、
面会の度に口癖のように
「退屈だけどしょうがない」とぼやいている。
どうやら父の頭の中には
退屈だけどしかたがない時間が延々と流れているらしい。
自分と向き合うことから逃げ通してきた人だから
どうにも間が持たないのだろうなあ。

でも、そんな父をみながら
それはそれでしかたないんじゃないのと
思えるようになってきたのは、
私自身にとっては進歩なのかもしれない。
父の生き方を受け容れたってことに
なるのかもしれないから。

あとは父の状況に応じて
家族はできる範囲で対処すればいいのではないか。
それ以上は彼の人生に踏み込まない。
面会に行かなければ
父を忘れていたりする自分を否定しない。
だれもが自分のために主体的に生きる時間は
持ち合わせている。
父だってそうしてきて現在がある。