松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

かさぶた剥がし、痛っ!

2009-05-16 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
火傷の治療をはじめてから
既に1ヵ月半が過ぎています。
低温火傷はウワサ通り
快癒までに時間がかかってます。
というか重症の部類だったみたいです。

そして今週からは“かさぶた”を
剥がす作業が始まりました。
かさぶたをこのままにしておくと
肉が盛り上がってこれない、
つまり快復が遅れるということらしいです。

外科治療って、おそらくこんなものなのでしょうが、
はじめて外科患者となった身からすれば
その優しい口調とは裏腹の
思いっきりのよい処置ぶりに接する度に
ホラー映画を観るときのような感覚が走ります。

剥がされるときの痛みときたら、
ことばにならないです。“い~っつぅ~!”
水曜に一部、木曜は半分ほど、
そして本日は残りをすべて剥がしました。
いくらそーん(鬆=松)してても痛いもんは痛いっ!
しかし涙は滲んでも
出てくるのはなぜか鼻水なのよねぇ。


さすがに直後は痛みで
脚を引きずるようにして歩くのがやっと。
それでも、どんなに痛んでも
お腹は空いてくるんです。
生きてるぞー、たくましいぞー。


中心から動く感覚

2009-05-13 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
つい先日の推手であれれ?と思ったこと。

動作は中心から動くように
心がけているつもりだったのだけれど、
どうやら肝心の中心が
ちょっと違ってたみたいだった。
おそらく推手では相手を意識するから
相対的に自分に対する意識も明瞭になるらしく
自分の中心もハッキリしたような気がしたのかな。

中心の意識が変わったら
内から外をみるような感覚も
少しだけクリアになったような印象。
相手の中心を感じるというか
距離感(空間)を実感したような気もしたり。

でも、じきにまたちょっと違うかもと
思うかもしれないしなぁ。
つかみどころがあるような、ないような。
なんだかとっても微妙な感覚みたいな
気がするんだなぁ。
それはたぶん、すでに何かを期待しはじめている
自分がいるからではないのかな?

右半球と左半球の世界観 -「復活した脳の力~テイラー博士からのメッセージ~」-

2009-05-09 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
7日の夜、珍しく観たTV番組が
「復活した脳の力~テイラー博士からのメッセージ~」でした。

かつて脳科学者だったジル・ボルティ・テイラーさんは
37歳のときに脳卒中で倒れ、
言語や思考をつかさどる左脳側の機能を失いながら
8年間のリハビリを経て完全復活をはたしました。
その軌跡を通して脳の知られざる力について
紹介していました。

なかなか興味深い映像もありました。
ミクログリアがシナプスを検査するために
タッチしているところなどは
ほんと手で包み込むような感じで…。
機能していないシナプスを消去することで
新たなシナプスがうまれやすくしているんですね。
つまり不要なものを片付けて整理しているというか
活性化しやすい環境をととのえているらしいです。
からだって、すごい!と思っちゃいますね。

体は生きのびることを大前提にしてるんですよね。
もしかしたら、なんらかの不具合に出くわした時に
それを障害や弱みとみなすのか
いのちの営みとして受け容れるのか、
そんな違いだけでも
身体反応は如実に違ってくるのかもしれません。

どうやら彼女は後者だったみたい。
機能しているのが右脳だったことも
影響していたとは思います。
命拾いをしたことを素直に喜び
穏やかな微笑みをたたえた柔和な表情は
倒れる前とは別人のようにもみえましたっけ。

なかでもひときわ興味深かったのは
彼女が語っていた右半球(右脳)の世界観です。

とにかく穏やかなんだそうです。
(彼女は確か“涅槃の世界”と表現してたかと)
自他の境界がなくなり、体が水のように流れているような感じ。
まるでひとつの細胞のようになって動いているような感じ。
そして自然にとけこんで一体化しているような感じらしいです。
五感を通して伝わってくるものを
持続してイメージしていられるようになり、
ステンドグラスでも表現できるようになったのだとか。

このステンドグラスは彼女が趣味で制作していたのですが、
病に倒れた後、作風が一変しています。
こまやかな色彩の豊富さに、とにかく驚かされます。
作品がもつ表情がひじょうに豊かになっています。

これはホントに個人的妄想かもしれませんが
右脳の世界観って、もしかすると松静自然の世界観に近いのかも。
なんとなくそんな気が。
それこそ右脳的直感に近い感覚で思ってしまいました。

それともうひとつ印象的だったのは
彼女が右半球で感じ取っている内容を
ことばで説明しようとすると行き詰まってしまうことです。
ことばでは説明しきれないほど豊かな内容なのだと。
彼女の感覚に、ことばがついていけないんですね。

ことばには限界があるけど感覚には限界がない。
ことばだけに頼ると感覚との間に境界が生じるんです。
飛躍しすぎかもしれないですけど
左脳だけに頼ると競争や紛争(争い)や摩擦が起きるんじゃない?
右脳を解放すれば、もう少し穏やかでいられるのかも。
彼女が実践しているように
左半球(左脳)と右半球(右脳)の使い分けは
わたしたちもできるんじゃないのかなぁ。



怪我、その後

2009-05-07 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
火傷をしてから1ヵ月がたちました。
ようやく落ち着いてきたようです。
消毒などの手当でほぼ毎日通院してます。
火傷は時間がかかるとはきいていましたが
低温火傷はさらにかかるようです。
たぶんこれまでの外傷の中では
いちばんひどいものではないかなと思います。
まあ、快復力だって年齢や体力の影響を
受けますからねぇ。
ある意味しかたのないことですわ。


太極拳導引の先生からは
練習をするように言われていました。
でも、なかなかできなかったです。

  《言い訳に聞こえるかもしれませんが
  とにかく疲れていました。
  つまらない火傷をしてしまったのも
  疲れからの体力低下も一因だったのかも…》


ところで、なぜ動くことが大事なのでしょうか。
それは簡単なこと。ヒトは動物だからです。
動くいきものは、動くことで
体調をととのえられるようにできているからです。
原則的にはそんなもの…らしいです。
(かなり乱暴な言い方のようにも思いますが)

自然の仕組みは本来シンプルにできている
みたいなんですよね。
それなのに(人間が)あとから意味や理論的解釈などを
よってたかって上乗せしちゃって
必要以上に難しいものにしてしまっているのかも。


もちろん動き方もあります。
太極拳の動きは状態にあわせて
動き方を調整しやすいので
こういうときにも効果的な運動といえます。
痛みを感じないような動き方を
探しながら動けるんですね。
だから適度な運動になるわけですね。

一般的には治るまではなるべく安静にと考えますが、
エネルギーは必ず消耗します。
だからどのような状態にあろうとも
消耗したエネルギーを補い供給できる体内環境を
日々ととのえていることが大切なのでしょう。


誰でも本来は、少しずつでも身体を動かす、
動かそうとする意識は持っているのだろうと思います。
そんな本能的なはたらき(システム)と
後天的な情報知識とを
ほどよく融合させていくことも
大切なんじゃないのかなぁ。
こうして太極拳導引が続いているのも
そんなことを日々実感しているからなのかもしれません。